田渕竜也

まともな批評家が登場しないJ-POP界って正直、もう伸びしろがないよな

本屋へ行ったら「スゴい日本」とか「外国から見た日本」とかバカのひとつ覚えのように自画自賛している書籍などにうんざりさせられたりしませんか?そんな本ばかりを売り出すから若者は本から離れるんじゃないかと思ったりもする。なぜこうもうんざりさせられるのか?「自分を日本という共同体に置いて日本を褒めることしか自分への慰めにならない」そんな影が本屋へ行くと見えてしまって、最近では本屋へ行くといつもうんざりしてしまう。結論としてやっぱりなんでも欲しい書籍をクリックをすれば商品が届くアマゾンが最高や。

自画自賛する日本ホラー映画界の末路

自画自賛するしか慰めにならなくなったものにはもう伸びしろがない。かつて邦画界が「全くダメ、ハリウッドでドンパチ最高や」っていう時代にたまたま偶然、大ヒットしたリングをはじめとした日本のホラー映画。これら日本のホラー文化をマスコミはJホラーとか言ってセンスのないコピーで神輿を担ぐことになった。まぁいまでは「J」と名がつくものは正直ダサいものと言っても過言ではない。それに「日本が誇るホラー文化」って言っても結果は惨敗でヒットしたのなんて呪怨にリングぐらい。あとはよくあるツタヤの隅の方にある出来の悪いインディーズホラー映画みたいなものばかりだ。ちなみにウチの近所のゲオなんてデビルマンがJホラーコーナーにあったりしたぞ。ファッキューデビルマン。今やJホラーなんてもてはやされた日本ホラー映画界は無謀な世界戦略の末、無理矢理ホラー文化が日本の誇りになった結果、ほとんどの日本製ホラー映画が死に絶えた。そもそも日本のホラー映画なんてアングラ文化なんだし、そんなアングラを素晴らしいとかいう考え方自体に無理がある。それにリング、呪怨以前の日本製ホラー映画なんて全く誰も見向きもしてしなかったよ。そんでこんなアングラ文化で世界市場を目指すなんてインパール作戦ぐらい無謀だよ。結局、「J」と名がつくもので世界市場を目指すなんて無理だっていう話。その結果が今の日本ホラー映画界だよ。

機能しないJ-pop批評界

そんなダサい「J」と名がつくJpopの場合、近年では「こんなに素晴らしいJpop」という論客が登場し始めている。テレ朝でやっている『関ジャム』なんて「素晴らしいJpop」の筆頭じゃないかな?この前やってた海外アーティストと邦楽アーティストとの歌詞の差で勝負みたいな企画をやっていたけどあれはひどかった。そもそもエド・シーランみたいなクラブ指向の音楽と秦基博の歌詞で比較ってもう相撲ルールでUFCチャンピオン対朝青龍ぐらいひどい。そもそも比べる畑が違うよ。クラブ系の音楽と歌唱系の音楽を同じ音楽だと考えているこの番組制作者の意識が低すぎるし無知すぎる。
J-popにまともな評論する論壇がないのも問題だ。音楽の批評には内側と外側の批評がある。音楽の外側の批評とはポップスミュージックの歴史のライトと、海外も含めた現在のカルチャー全体のライト、そして世相をふくめた社会全体のライトの3つのライトを照らすことが重要だ。つまりこの音楽が今の社会、文化、歴史においてどの位置にあるかということ。そして音楽の内側の批評とは「このコードのここがすごい」とか「コード進行が…」ととか「この歌詞の物語が…」とか「このドラムのビートは…」とかが内側の批評になる。まぁただの知識のひけらかしのウンチククソ野郎だ。そしてJ-pop批評界に多いのが内側の批評家だ。音楽の外側の部分を無視し内側ばかりしか目をいかないから社会性の低い批評が多くなった。そんでJ-popは音楽的自画自賛へ繋がっていくのではないだろうか?
あと「Jpopはもう終わっている」論者もいる。彼らは「○○がJpopを殺した」とよく言う。よくAKBとかLDHとかソニーとかジャニーズの名前が上がってくるけど、そもそもJpopなんていい音楽だったのかね?よく言われている説では人間、12歳から16歳までの外からの影響が自身の嗜好に繋がるていう説があるみたいだ。実際そうだとしたらこの「○○がJpopを殺した」という人たちはもうJ-popの今の流れについて行けない人たち。つまりもうこんなダサいJpopという音楽をさっさと捨てて新しい音楽を探しなさいということだ。
それを考えるとヤン車でEDMとかHIP HOP、Trapなんかを爆音で流すヤンキーとかパリピな人の方が新しい音楽を常に捕まえてる分、まだリスナーとしてはまともなような気がする。ダサいものはさっさと切り上げて、「ウェーイ」って言って、いち早くトレンディなものへシフトチェンジする。パリピトレンド市場は音楽業界にとって重要なポジションだ。Jpop界にとって一番の損失はEDMブームの乗り遅れだろう。LMFAO、Skrillex,Aviiciiなどの登場以降を期にパリピ層が洋楽側へシフトチェンジしていったような実感が筆者の経験としてある。

Jpopってなんだったのか?

そもそもJpopというものはあまり的確な実体はない。しかし大間かに言えば80年代は歌謡曲と言われていた日本の音楽がJwaveとか渋谷のレコード屋などのオシャレなメディアが80年代終わり際から90年代初頭に当時、海外で勢いのあったブリティッシュロックやトランス、テクノ、ダブ、ハウスなんかの海外のサウンドを紹介していった結果にそのサウンドをいち早く取り入れた分野と思ってくれていいだろう。この考え方で言えば昭和歌謡から影響の強いいきものがかりなんかは歌謡曲になる。まぁ、もっとも今のJpopは未だに90年代ブリティッシュロックとかトランスとかテクノとか古くさいサウンドの音楽が多いのでもはや歌謡曲、演歌みたいになっているけど。海外では音楽のジャンルが進化しているのにも関わらず、邦楽は未だに90年代後半からサウンド的革新は全くない。それどころか歌謡曲がすげーとかほざいたり、地上波の音楽番組では重鎮とよばれる年老いたご老体とコラボレーションしたりと保守化が進んでいるとすら思う。

終わりに

こうしたまともな批評家が登場しない、邦楽ポップス界の社会にとってどの位置にあるかをまともに批評できる評論家が出てこないあたりやはりJ-popというジャンルはもはや終わったジャンル。もう伸びしろのないジャンルなのである。批評の有無はそのジャンルの未来を左右する羅針盤みたいなもの。まともな批評家が出てこないと、いくら激アツで盛り上がりが熱盛状態でも、個体個の消費で終わってしまう。ただの消費するだけのカルチャーになってしまったJ-popの末路はまるでかつての「Jホラー」として担ぎ上げられ、当時の社会、文化、歴史のライトを無視した「日本のホラー映画はスゴい」しか評論されずに消費されていった日本ホラー映画界にも似ているのではないだろうか?

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