なかむら ひろし

インスタで「いいね」をもらえない奴はコミュ障

 所謂『意識高い系学生』の口から「いくら勉強ができてもダメ。大事なのはコミュニケーション能力なんだよね。」などという言葉を聞いたことがある方は結構いるはずなんだが、そいつらに「コミュニケーション能力って何なんや?」と聞いてみたことはあるだろうか?私の経験上、大体返ってくる答えは「初対面の人とでも臆することなくしゃべることができる」とか「誰とでもすぐに仲良くなれる」などといったものばかりだ。
 確かに逆は真かもしれない。「初対面の人とまったくしゃべることができない」「誰とでもすぐに揉め事を起こす」ような人間のコミュニケーション能力が高いとは到底思えないわけで。でも、「初対面の人と臆することなくしゃべることができる」というのは、相手からしたら単に無礼な奴だという場合もあるし、「誰とでもすぐに仲良くなれる」っていっても所詮は同じ学校の学生だったり、バイト先の同僚とかそんなものだろう。これから何度も顔を合わせるだろう人間と下手に揉め事を起こしたら面倒だと仲が良いように振る舞っているだけの可能性だってある。そもそも同じ学校の学生など最初から共通点のある人間と仲良くなることはそれほど困難な話ではなく、「俺、コミュ力高けぇ」などと胸を張っていえるようなことではない。自称コミュ力高い人間っていうのは、コミュニケーション能力というものを理解していない可能性が高いと思うんだよね。
 それだけじゃない。一般的に他人との会話が苦手な人間はコミュ障とされがちなのだが、自称コミュ力高い人間ほど他人の話を遮ってまでベラベラしゃべる。こっちの方がコミュ障だろって話なのだが、本人は無自覚どころかコミュ力が高いと思っているのだから手に負えない。それこそ面倒くさいから軽くあしらうのだが、それがこいつらには「仲良くできている」ように見えるのだろう。
 また、SNSの発展というのもコミュニケーションというものをややこしくしている。巷ではLINEの返信が遅いだけでコミュ障なのだそうだ。なんとも相手の都合などお構いなしの自分本位の言い分だ。それに思ったことをすぐに送信するよりも、面と向かって会話するより自分の感情を伝えるのが困難なのだからと少々時間をかけて推敲した方が親切だと思うのだが、それもダメらしい。LINEでは己の感情を思ったままに垂れ流す方がコミュ力が高いとでも言うのだろうか。SNSでいうと、インスタグラムの躍進も無視できない。画像が中心のインスタグラムというのは「非言語コミュニケーション」といっても過言ではないのかもしれない。文面だけでも自分の感情を正確に伝えるのが困難だというのに、こちらは言語すらも必要としないのだから怖ろしい。現代社会のコミュニケーション能力というのは、言語など必要なく、他人の目を引く写真をアップして、フォロワー数を増やし、多くの「いいね」をもらうことなのだろう。そもそもインスタをやっていない人間は共通言語を持たない未開人という扱いを受けても仕方ないということかもしれない。
 本来、コミュニケーションというものは己の感情を発信するだけではない。相手の感情を汲み取ることもコミュニケーションだ。それにも関わらず、現代社会のコミュニケーションはあまりにも発信の方に特化し過ぎているように感じる。つまり「言った者勝ち」の世の中になったということだ。悪質クレーマーやモンスターペアレントの増加もコミュニケーションの変化がもたらした産物なのかもしれない。

この記事をシェアする