なかむら ひろし

そんなことぐらいで殺されることだってある

 先日、滋賀県警で未成年の新人警官が上司を銃殺したという事件があったことは記憶に新しい。犯行の動機として「ガミガミ言われて腹が立った」などと供述していて、こういった事件が起こると決まって「そんなことで」というコメントをよく耳にする。兵庫県警機動隊で自殺が相次いだ事件などを見ていると、ここでもパワハラ紛いのことが行われていたのではないかと邪推してしまうほど、警察の信用は地に落ちているわけだが、この事件に関しては、裁判も終わっていないし、被害者が死亡していることもあり、事件の真相はわからないので、被害者を批判するつもりはないし、犯行を正当化するつもりなどさらさらない。ただ、「そんなことぐらい」が殺人にまでつながるという点を見逃してはならない。

 パワハラの話になると「俺の時代では当たり前だった」とか「体育会系では当たり前」などといったさもパワハラ被害者の精神的鍛練が足りないのが問題みたいなことを言ってくる奴らが現れたりする。当たり前とか言ってる連中に対しては遠慮なくパワハラをしても大丈夫なのだろうが、この「自分が大丈夫なんだから、相手だって大丈夫」というマインドは他者にとっては迷惑極まりない。パワハラに限らず、何とかハラスメントって、大抵このマインドから発生してると思っていい。例えば、自分はしつこく食事に誘われることぐらい平気っていう人が他者に同じことをした場合、多くはそれをセクハラだと思っていない。

 また、普通は他者を攻撃すると報復されるリスクが発生し、抑止力になる。しかし、パワハラというのは、相手の射程範囲外から一方的に撃っているようなものなので、報復されるかもしれないなんていう感覚が薄い。そのため、相手の立場になって考えることができない人間にとって、唯一ともいえる抑止力が働かず、暴力·暴言の中毒性が拍車をかけて、どんどんエスカレートしていく。
 パワハラ被害者の方が『アンガーマネジメント』が必要みたいなことを言うのは、本来はどう考えても逆で、パワハラ加害者にこそ必要なのだが、パワハラが「そんなことぐらい」と言われる現状では、そうなってしまうのも納得できるというものだ。

 簡単に「そんなことぐらい」という言葉が出るということは、それだけ自分自身がパワハラ社会人に染まってしまっている可能性が高い。自分にとっては「そんなことぐらい」かもしれないが、相手は「そんなことぐらい」とは限らない。部下のミスは「重大」で、上司の暴力·暴言は「そんなことぐらい」がまかり通るようでは、「そんなことぐらい」のことで殺される人、自殺する人が今後も出るのは自明だろう。

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