第65回もう一度まなぶ日本近代史~世界をかき乱すヤバイ人たちがいよいよ表舞台へ~
日本が国際連盟を脱退し、国内で派閥抗争を激化させている間に、世界では今後の主役となる人物たちが表舞台へと登場していました。今回は、そんな人物を簡単に紹介します。この人たちがずっと政権に就いているのに対して、日本の首相は何人かわるのか・・・
どん底だったアメリカを救った救世主
世界恐慌の影響でアメリカ経済はどん底でした。銀行は次々と破綻し、失業率は25%を超えるという最悪な状況です。そんな状況で大統領に就任したのがフランクリン・ルーズベルトでした。
フーバー前大統領は「政府が市場に介入するのはよくない!」と有効な手立てもないままで、アメリカ経済は悪化する一方でした。まず、ルーズベルトは金輸出を停止し、銀行を救済します。その後、政府がお金を出して農業を助けたり、莫大な公共事業を興して政府が仕事を作ってあげるなどのニューディール政策を打ち出し、事態を打破するのです。こうして、ルーズベルトは国民から大きく支持されるのですが、彼の人気はその政策からだけではありませんでした。それは巧みなメディア戦略にもあったのです。大統領に就任してから病死するまでラジオを使って、「強いアメリカ」を印象づけるような演説を国民に語り続け、恐慌ですっかり荒んでいたアメリカ人に勇気と自信を与えました。
アメリカ人にとっては救世主だったフランクリン・ルーズベルトですが、日本にとってはいろいろと迷惑なことをしてくれています。側近にソ連のスパイが紛れ込んでおり、危険視されていた社会主義国家であるソ連を国家承認してみたり、人種差別主義者でありながら、なぜだか「中華民国は民主的だ」と言って蒋介石を支援して、日本を大バッシングするなど、日本にとってはこの時期、この人がアメリカ大統領になって、国民から大きく支持されたことは不幸でしかありません。
民主的に独裁者が誕生
世界恐慌後、ドイツ経済はアメリカ以上に最悪な状況に陥っていました。そこに現れたのがアドルフ・ヒトラー率いるナチス(国家社会主義ドイツ労働者党)です。ナチスは反ヴェルサイユ体制を掲げ、第一党に躍り出て、ヒトラー内閣が成立しました。
国民がナチスを支持したのは単純な話です。第一次欧州大戦後に締結されたヴェルサイユ条約があまりにも過酷だったからです。すべての植民地を取り上げられただけでなく、軍備も制限され、軍隊も取り上げられたといえます。さらに厳しかったのがありえない額の賠償金(完済したのはつい最近の話だったりします)でした。帝国主義の時代に利害がぶつかり合って起こった第一次欧州大戦にどちらが正しいなどという理屈はありません。それなのにも関わらず、連合国側は勝ったというだけで、ドイツを再起不能に陥れるような条約を押し付けたわけですから、国民が強硬論を吐くナチスを支持したことを理解することは難しい話ではないはずです。
国民から支持を受けたヒトラーは全権委任法を通過させ、独裁制を確立します。全権委任法とは、議会から立法権を取り上げ、立法は憲法による制限を受けないという、もうナチスのやりたい放題というものです。そして、ナチス以外の政党はすべて禁止し、ヒトラーが首相と大統領を兼任する総統に就任するのですが、それは国民投票で承認を得ることになります。さらに日本に続いて国際連盟を脱退すると、ヴェルサイユ条約の軍備制限を無視して軍拡し、非武装地帯と定められたラインラントに駐留します。当時、最も民主的と評されたワイマール憲法を有していたドイツでしたが、奇しくも国民が独裁国家への道を選択してしまったのです。
その後、ヒトラーは反ユダヤ主義を掲げ、ユダヤ人を迫害したり、近隣諸国の侵略を開始し、世界をかき乱す最悪の独裁者となるわけですが、ここまでヒトラーが支持されたのは口だけではなかったからです。ヒャルマル・シャハトを起用して、経済政策が上手くいったことも大きいでしょう。ドイツは、日本に次ぐスピードで世界恐慌から脱出していたのです。
赤い独裁者
レーニンの死後、ソ連ではヨシフ・スターリンが権力を掌握していました。書記長となったスターリンは次々とライバルを蹴落とし、その権限を強化していったのですが、反対派勢力もまだまだ根強く、磐石とはいえませんでした。そこでスターリンは「大粛清」を敢行します。反対派をバンバン抹殺していったのです。その数は1000万人以上と言われ、戦争で亡くなった人間を凌駕します。人道的には最悪な行いではありますが、スターリンにとって、内乱による自滅を回避するにはこうするしかなかったのかもしれません。
共産党による一党独裁を確立したソ連は、社会主義国家として五ヵ年計画を進めることで世界恐慌のあおりを受けることなく、国力を増強させていきます。そして、国際連盟に加入して国際的な発言力を持つようになったのと同時に、コミンテルンの活動を活発化し、世界を赤く染め上げようと暗躍するのです。
このコミンテルンの中国支部ともいえるのが中国共産党です。共産党は、蒋介石の国民党としのぎを削っていましたが、次第に押され始め、遂には敗走してしまいます。この敗走の責任によって共産党内の勢力図が変化し、ここで毛沢東が台頭するのです。毛沢東は、国民党の攻撃をひたすら耐えて、逆転のチャンスを窺います。そして、後の西安事件で大きく流れが変わります。
次回の話になりますが、岡田啓介内閣が倒れた後、広田弘毅内閣が誕生します。
その広田内閣ですが、どう見てもヤバいナチス・ドイツに接近してしまうのです。
それ以外にもあまりに楽観的すぎる考えで日本を明後日の方向に導きます。
戦後、文官でありながらA級戦犯として処刑され、同情的に描かれることが多いのですが・・・
二・二六事件は収束しましたが、その後の政権運営には暗雲が立ち込めていました。矛盾しまくりの方針で日本は窮地に陥ってしまうのです。