ぼくらの『ネオ・ヴィジュアル系』世代 序章
今、”ネオ・ヴィジュアル系”を考えるということ
なぜ、”ネオ・ヴィジュアル系”を考えるのか。
これはこれまでXjapan、Boowy、筋肉少女帯をはじめとした初期のヴィジュアル系はロキングオンなどの音楽雑誌や市川哲史氏によって散々語られて来た。理由としては90年代後半以降のバンド達への影響力や嘘か本当かわからないロックミュージシャンらしい武勇伝やバラエティ性、そしてそのライフスタイルなどだろうし、80年代、90年代の音楽シーンの変わったサブカルチャー側の総評としても価値があるのだろう。
しかし2000年代後半以降のネオ・ヴィジュアル系に対する総評はほとんど存在しない。ネオ・ヴィジュアル系はXjapanやBoowyなどのヴィジュアル系バンドの系譜ではあるが明らかに音楽性や歌詞の思想性、メイク、売り出し方、ファンの文化が違っているのである。具体的なワードを上げると、リストカット、へドバン、咲くなど自傷的部分が濃く、音楽性もアメリカのバンドKORNのような重たい感じになっている。つまりネオ・ヴィジュアル系というものはネガティブ部分の総体が根本のテーマとなっている。本コラムでは細かいネオ・ヴィジュアル系の定義を省いて、ネオ・ヴィジュアル系的な部分をトピックとして扱う。