シネマフィリアvol.3 シング・ストリート

文:田渕竜也

バンドを組むということ

 中高生になるとなぜかバンドを組み出す人たちがあらわれる。理由としては簡単でほとんどの割合でモテたいからというのが理由であろう。実際、バンドをやってモテるかと考えると、かつて学生時代にバンドをやっていた筆者としてはそれはない。ただ、やっているジャンルによるとしか言えない。プログレやデスメタルやフュージョンではモテないのである。

音楽の喜び

 とここまで脱線した話であるが、音楽を題材にした、バンドを題材にした青春映画は『スクール・オブ・ロック』をはじめ数多くある。今回の『シング・ストリート』も完全にそうである。シングストリートという学校に転校してきた主人公のコナーが年上の少女ラフィーナに一目惚れをすると、コナーは自分のバンドのミュージックビデオに出ないか誘うところから話は進む。この映画の主人公はほぼゼロからスタートである。全く楽器経験はない。
 そこからダーレンという校内コンサルタントと手を組んでバンド仲間を集めて行く中で、楽器も万能にこなせるエイモンを引き入れる。さらにベース、ドラム、キーボードが仲間になっていく。彼らは中学生の素人バンドである、それ故、ギターを弾いて、そこに歌でメロディーをつけて、でたらめな歌詞で曲が誕生する瞬間。その喜びをものすごく繊細かつ丁寧に、確実に捉えていく。この彼らの若い初々しさと手当たり次第にかっこいいものを取り入れ「これ、かっこよくね?」と話しながら音楽を誕生させていく中の音楽の喜びを知っている人の視点である。

主人公の兄の存在

 主人公は兄から教えてもらったロックミュージックを上手く吸収しメキメキと上達していく。ある時はデュラン・デュランのようなペラペラなファンク、ニューウェーブみたいな音楽、またある時はザ・キュアーのようなポストパンクみたいな音楽、また、コナーのバンドは自分たちでミュージックビデオを制作しているこのビデオもまた、マイケル・ジャクソンの『スリラー』のようなホラーっぽいものや、ザ・キュアー風のちょいゴスっぽい黒い服に海辺でビデオを撮ったりしてこの辺りも80’sポップの当時の子どもたちがかっこいいと思ったものを寄せ集めた感じがする。ファッションもニューロンティック風の『魅惑のルージュマジック』の忌野清志郎みたいな感じになったり、ザ・キュアーのロバート・スミスみたいになったり主人公はすぐに影響を受ける。この映画に出てくる音楽やミュージックビデオ、ファッションは80’sのロックシーンのハイライトでもある。
 そして主人公の兄は全てを諦めた社会的ルーザーだ。「俺だって昔はこうだったんだ」と言ってしまう、ちょっと見方をかえると引きこもりのような兄だ。しかし彼の存在は主人公のロックミュージックを伝授する師匠としての『師弟モノ』としても完成されている。

80年代のアイルランドの社会

 また、バンドが上達するにつれて主人公の生活にも自信がついてくる。はじめは家庭も両親が不仲で、転校先の校長に目をつけられたり、学校でいじめられたりしていたが、次第に反抗して立ち向かって行く。とにかくナイーブだった少年が音楽と出会い音楽と共に成長する物語であり、80年代のアイルランドの社会、カトリック社会という中でポジティブにもがき、アイルランドは不況という中、海のすぐ向こう側にあるロックミュージック、ファッションにあふれたイギリスにみんな憧れと希望を抱く話。
 80年代のアイルランドは大不況ど真ん中の国だった。主人公の父親は失業している。両親は不仲になる中カトリック信仰の強い当時のアイルランドでは離婚が法律で禁止されており、別居という方法しかなかった。映画の中は主人公の両親は離婚できないことが終盤、両親は別居をすることなる。

若さ

 はじめてのバンドは”ダサい”とにかくダサい。いろんな人に笑われるし、演奏下手だし、メンバーはやりたいことを詰め込んでバンドのコンセプトはバラバラだし。しかし、そこの羞恥を突っ走る思春期の行動力って本当にバカなんだけどその後先を考えずに突っ走る、曲を思いついたらすぐにメンバーの何時だろうが家へ行き、すぐに曲作りをしたり、周りを巻き込んで突っ走る力は若くて青いこの時期にしかないのである。
 それとやっぱり終盤でいじめの主犯格がバンドのローディとして引き入れるところはすごく胸アツな展開だった。

田渕竜也のTwitter

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