群れとなる現代オタクたち vol.1 スマホと現代オタク
今と昔のオタク
オタクと聞いて、今なお根クラとかアングラを連想する人は少なくないだろう。かつてのオタクのイメージといえば他者の世界を受け入れない、排他的で閉鎖的な世界。SF、無線、鉄道、ミリタリーなどサブな文化を趣味としている。なにかと収集癖がある、VHS、パソコン通信など一言で昔のオタクを片付けるなら宅八郎的なアングラで根クラというネガティブなイメージが思い浮かぶ。
かつての”オタク“というものは一人の世界を作るため一人の部屋が必要であった。ゆえに、家庭の中に自分の部屋が必要で、地域社会の家庭ではなく、都市部やニュータウンの核家族の家庭において勃興するものとなった。一人で部屋に閉じこもるので世間からは憚れる存在にあった。
それでは最近の”オタク”というもののイメージを思い浮かべてみる。深夜アニメを限定的に語ってくる。フィギュアやグッズを買って一喜一憂している。声優に関して口がうるさい。リア充死ねと言いながらオタクコミュニティで群れている。初音ミク。歌ってみたに踊ってみた。長ったらしい題名にアニメイラストのライトノベルを主に読んでいる。自分がオタだと誰も聞いていないのに自称してくる。コスプレ趣味、Twitterなどでアニメを実況する。アニメで使っている言葉を使いたがるなど挙げてみれば様々である。
今ではテレビにVHSで録画せずとも、アニメもゲームも漫画もネット配信され、スマホさえあればなんでも手に入るようになった。しかしこのスマホ、かつてのオタクのように一人になるということをさせてくれない。Twitterをはじめ、YouTubeやニコニコ動画など常時接続のSNSによって、外部と接続するツールと化した。そしてPCをあまり使っていなかった若者もインターネットをスマホで気軽にできるようになった。このスマホがコミュニケーションのプラットフォーム化し、我々は、いつでも誰とでも繋がることができるようになった。この一人になることということが大きく現在のオタクとかつてのオタクの決定的な違いなのである。
スマホとオタク
コミック、アニメ、ゲーム、特撮、フィギュアなどの所謂、現在の「オタク系文化」は、かつては子どもの文化であったが、現在では若者文化としてイメージされることが多い。その「オタク文化」に関する消費者の中心は一九五〇年代後半から六〇年代後半かけて生まれた世代であり、この意味ですでに長い年月をかけてオタク系文化が日本社会に根をおろしていることからもはや「サブカルチャー」とはいえないといえる。
およそゲームに縁もゆかりもなさそうな主婦やサラリーマンが萌え系の絵柄のスマホゲームを遊び、見た目DQNなやつらが涼宮ハルヒのパチンコを打っている。そんな世の中が到来した。子どもの文化からオタクの文化へ上り付き、そして現在は若者文化の一つとなったのであった。