群れとなる現代オタクたち vol.3 ライトノベルに於ける物語の機能性

文:田渕竜也

ライトノベルに於ける「漫画的リアリズム」

 オタクたちの行動を特徴づける虚構重視の態度はアニメやゲームの虚構の世界を中核とした別の行動原理で決められていることも少ない。特にその虚構重視が見られるのが第四世代以降を占めている「ライトノベル」を中心にした物語である。ライトノベルとはかつてはキャラクター小説とも呼ばれ、主に登場人物のアニメ的なイラスト、挿絵、そして最大の特徴が小説という文学の中に「マンガ・アニメ的リアリズム」が導入されていることである。
 たとえば西尾維新の描く『化物語』は、主人公が吸血鬼に襲われ、吸血鬼と戦って吸血鬼もどきの人間となり、それからは「怪異」と呼ばれる神や妖怪、悪魔などの非現実的な現象に関わった少女達と出会い、その怪異にまつわる事件を解決していく物語であるが、登場人物や物語、メタ的な台詞回しは決して現実的ではないが、コミックやアニメの世界では可能なものであり、したがってその現実的ではない虚構がライトノベルファン層はリアルだと受け止める。
 オタク第5世代以降、「異世界転生もの」という物語が大きな流れになっている。このジャンルでは主人公はただのオタクや普通の能力のない人間が多い。過去の世界や封建制社会で文明が未発達の世界の異世界で現代の知識で異世界の人間の知識を凌駕していく。主人公が強すぎてロールプレイングゲームでいうと一度クリアしているものをもう一度、高いレベルでやりなおすようなものでチート状態ある。『ソードアートオンライン』をはじめこのような物語は基本的に主人公が失敗や負けにくい状態のものが多いのである。しかしバーチャルリアリティのゲームの世界や過去の世界の史実や封建制社会の無駄なところを指摘する主人公にこの転生もののファン層はリアルだと受け止める。

ライトノベルに於ける「大きな物語」と「小さな物語」

 この近年のライトノベルの物語の構造を分析してみると「大きな物語」と「小さな物語」の二つの構造が見られる。「大きな物語」とは作品全体の話であり、世界観である。対して「小さな物語」はその作品のキャラクターデザインやキャラクターの性格など登場人物に関わることのことである。
 そして「大きな物語」を必要としないキャラクターに依存をすることをオタクたち自身によって「キャラ萌え」と呼ばれるようになった。
 具体的に考えてみると『起動戦士ガンダム』のファンの多くは、架空の戦記の物語に大きな物語への情熱がいまだに維持されている。しかし〇〇年代半ばに現れた『涼宮ハルヒ』のファンたちは絶頂期でさえ、ハルヒ世界の全体にはあまり関心を向けなかったように思われる。ハルヒやキョン、みくる、長門のそれぞれのキャラクター性は知っているが物語の話となるとどうだろうか。物語よりむしろYou Tubeなどでオタク自身がエンディングの振り付けを踊りそのキャラクターになるという新しい形が生まれてきた。そしてオタク層にいた人たち自身がYou Tubeやニコニコ動画でアイドル化していくものもあらわれるようになった。
 結局、大きな物語の消失した結果、「物語」といものを必要としなくなり、オタクたちはキャラクターやキャラクター設定に依存することになったのである。その結果「キャラ萌え」によるコミュニティがオタクたちの群れとなっていく中で、次第にSNSなどの拡散で大きくなっていきコスプレイヤーや「踊ってみた」や「歌ってみた」果ては「実況プレイヤー」というものがあらわれるようになり、自身がSNS上などで「キャラクター化」して、群れとなっていくオタク層になっていった。

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