ここまで叩かれるのは妥当なのか、もう少し考えてみよう

文:なかむら ひろし

 先日、参議院議員・今井絵理子と神戸市議・橋本健の不倫疑惑が報じられ、現在も炎上しとるわけだが、政治家のスキャンダルが報じられるたびに「議員を辞めちまえ!」なんて意見が多く見受けられる。不倫は民事訴訟の要件にはなるが、犯罪ではないため、リコール制のない国会議員なんかは本人が辞めるといわない限り、辞める必要はない。特に参議院の場合、解散もないので任期まできっちり議員でいられる。不倫は犯罪ではないにしても、道徳的に問題があることは自明で「こんな奴の懐に税金が入るなんて許せない」という気持ちはわからんでもない。ただ、不倫を擁護する気などさらさらないのだが、こういった道徳を振りかざしての批判っていうものにはどうも気持ち悪さを感じるんだよね。
 まず、不道徳であることと有能であるかどうかには相関関係がないのにも関わらず、批判の材料として使われているという点。初代内閣総理大臣の伊藤博文や最近話題になった田中角栄なんかもかなり遊んでいたようだが、現在でも(いろいろ意見はあるだろうが)偉大な政治家として評価されている。今井絵理子に政治的手腕があるとは思えないし、政治家自身(特に自民党)も「いじめがなくならないのは道徳教育が不足してるせいや!」などと言っちゃってるからあまり説得力を持たないかもしれないけど、道徳を振りかざすと聖人君子でもない限りは何でも批判できちゃうんだよね。
 「伊藤博文や田中角栄なんて時代が違う!」と反論する方もいるかもしれないが、二つ目がまさにこれ。道徳って決して普遍的なものではなくて、時代によって変わるんだよね。殺人や窃盗なんていう普遍的な不道徳のほとんどはすでに犯罪になっていて、不倫のような犯罪ではないけど明らかな不道徳の場合はどれほど断罪されるべきか、グレーなものは不道徳かどうかという判断。これらは「空気」で決まってると言っても過言ではない。煙草なんかがいい例だよね。喫煙率が高かった頃は喫煙者だというだけで不道徳なんて意見はほとんどなかったわけだけど、喫煙率の下がった現在ではマナーを守って吸っていても喫煙者というだけで不道徳であるとされることも少なくない。これからお酒を飲む人がどんどん減っていったらお酒を飲むことも不道徳だとされる時代が来るかもしれないね。
 三つ目はその空気が必ずしも正しいとは限らないという点。これが一番怖いところ。煙草に関しては、様々なアプローチからちゃんとデータを示して喫煙が不道徳であると主張しているので真面目なのだが、ほとんどの場合は憶測や感情論でしかないんだよね。例えば、ニートや引きこもりは不道徳みたいな言い方をされがちだけど、そうなってしまったのは過去のいじめによる対人恐怖症とかだったら、それは精神疾患であり、不道徳ではないんだよね。しかも、未だに精神疾患は甘えとか言っちゃうようなアホがいるから困ったもんだ。
 道徳を振りかざして叩くという行為自体は、誰もが行なっていることだし、すべてを否定することはできないわけだけども、とりあえず気に入らない相手を叩きたいだけという理由だけで重箱の隅をつつくような真似は必ずブーメランとなって返ってくる。こんなものは社会を不寛容にするだけで、絶対に生きにくい世の中になるだけ。時代によって移り変わる道徳に関しても、そこまで断罪されるのは妥当かどうかという多角的な視点も必要。

なかむら ひろしのTwitter

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