第15回もう一度まなぶ日本近代史~禁門の変、長州の汚名を返上せよ~

文:なかむら ひろし

 八月十八日の政変で失脚、池田屋事件で多数の同志を失った長州は、一発逆転に向けて動き出します。

長州の率兵上洛

 なかなか名誉回復が叶わない長州では、兵を率いて上洛し、無実を訴えようとする考えが出てきます。軍事力をちらつかせて、半ば強引に迫れば、朝廷は受け入れるだろうと考えたのです。こういった強攻策を推進していたのが来島又兵衛や真木和泉でした。一方、久坂玄瑞、高杉晋作、桂小五郎らは、そんなことをしたら戦争になると反対していました。
 長州でそんな議論がなされている間に、参預会議が崩壊し、諸藩が次々と郷に帰っていきました。すると、それまで実力行使に反対していた久坂も「これは好機」と賛成に回ります。さらに池田屋事件のことが伝わり、積極策は一気に盛り上がることになります。久坂、来島、真木らは、兵を率いて京都へと向かうのでした。

名誉回復の嘆願

 京都に到着した久坂は、朝廷に長州の名誉回復を求める嘆願書を送ります。公卿や他国の藩士の間で長州に同情的な意見が出ましたが、当然これに反対する者も多く、朝廷でも対立が起こります。ちなみに一橋慶喜は、当初長州に対して退去命令を出しますが、会津の長州討つべしという意見を孝明天皇が支持したため、最終的に強硬論に回っています。
 そんな朝廷内での対立を沈静化させたのが薩摩でした。薩摩が兵を率いて上洛すると流れは、強硬論に傾きます。さらに、幕府の京都出兵の命令を受けた諸藩も京都に到着します。

強硬派の暴走

 流れが悪くなり、久坂は「我々は戦争をするために上洛したわけではなく、もし戦争になったとしても勝算は低い」と朝廷の退去命令に従うことを訴えます。しかし、強硬派の来島は、久坂を「臆病者」と罵り、進軍するべきだと反論します。真木もこれに同調すると、久坂に賛同するものはいなくなり、進軍が決定されました。
 1864年7月、御所へ進軍した長州は、蛤御門で会津と激突し、戦闘が始まりました。御所の門(禁門)付近で起こったため、これを禁門の変と呼んだり、一番の激戦区が蛤御門だったことから蛤御門の変と呼んだりします。

激戦蛤御門

 勇猛で知られる来島は、会津軍を次々と撃破し、御所内に進入します。しかし、来島の前に立ちふさがったのは西郷隆盛率いる薩摩軍でした。実は、薩摩は長州掃討を訴える会津に加担しない、あくまで御所の防衛を行うと宣言していました。来島の予想以上の活躍によって、薩摩は引きずり出された形だったのです。
 西郷の援軍により形勢逆転、長州は一気に劣勢となりました。さらに西郷隊によって狙撃された来島が致命傷を受け自刃すると、長州軍は崩壊していきます。

久坂最期の嘆願

 長州の劣勢を知った久坂は、鷹司邸へ立てこもります。親長州であった元関白鷹司輔煕へ、朝廷への参内のお供として付いていき、最後の嘆願をさせて欲しいと頼みます。しかし、もはや崩壊寸前の長州に与することでやっかいごとに巻き込まれるのは御免と拒絶されてしまいます。やがて屋敷は敵に放たれた火により大炎上、久坂は燃える鷹司邸の中で自刃しました。
 一方、真木和泉は天王山に敗走し、新撰組の追撃を受けます。しばらく抗戦を続けますが、やがて弾薬が尽きると自刃しました。

「朝敵」長州

 禁門の変は1日で終わりましたが、戦闘により上がった火が風に乗り、次々と延焼し、京都の町の半分が焼け野原になったといわれます。
 敗れた長州には名誉回復どころか、藩主毛利敬親の関与が暴かれると、毛利敬親追討令が出され、「朝敵」という最大の汚名を受けることとなってしまいます。
 朝敵となってしまった長州は、薩摩と会津に深い憎しみを抱き、草履の裏に「薩賊会奸」と書き、踏みつけたといわれています。「賊」や「奸」はどちらも「悪者」という意味があります。このようにして、薩摩と長州は犬猿の仲だといわれるようになったのです。

踏んだり蹴ったりの長州

 禁門の変で破れ、朝敵となった長州にさらなる不幸が訪れます。第11回でやった下関事件を覚えているでしょうか。下関事件の報復にイギリス、フランス、アメリカ、オランダの四カ国の連合艦隊が下関を砲撃、さらに陸戦部隊を上陸させ、下関砲台を占領する四国艦隊下関砲撃事件(馬関戦争)が起こります。
 よく思い出してください。長州が下関事件で砲撃したのはフランス、アメリカ、オランダだけでした。しかも、イギリスが三カ国を誘ってやってきています。「なんでや!イギリス関係ないやろ!」という話ですが、長州が関門海峡を閉鎖したことで貿易の妨げになるとして、攘夷派に一泡吹かせてやろうという目論見があったわけであります。ちなみに、その後の講和に当たったのが高杉晋作で、伊藤博文が通訳として同席しています。

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結果的に強硬論で長州を朝敵へ導いてしまった来島又兵衛。
この来島を狙撃したのが、後に初代警視総監となる川路利良です。
この川路さん、筆者は知らなかったのですが、実写映画化もされた人気漫画『るろうに剣心』に少しだけ出てくるそうです。

 2連敗中の長州に待っていたのは、長州征伐の勅令でした。もはや戦う気力もない長州が取った行動とは・・・

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