第21回もう一度まなぶ日本近代史~激突!鳥羽伏見の戦い~
徳川慶喜は、大政奉還を行い、政権を朝廷に返上したのですが、まだまだ薩長にとって不利な状況は続いていました。そこで、薩長は、列藩会議が開かれる前に王政復古の大号令というクーデターを起こし、辞官納地を決定するなど、慶喜の翼を折りにかかるわけです。しかし、慶喜擁護派はしつこく、薩長の邪魔をするのです。
土佐の逆襲
慶喜擁護派の山内豊信は、他藩を誘い、慶喜を徹底的に叩き潰そうとする岩倉具視や西郷隆盛らに抗議を行いました。さすがに岩倉らもこれを無視することはできず、妥協案を出さざるをえないことになります。
その妥協案とは、慶喜が辞官納地に応じれば、慶喜を議定に任命し、それまでの官職にふさわしい発言権を認めるというものでした。これは、妥協案といいながらも、薩長にとってかなり不利なものでした。はっきり言って、辞官納地の意味がほとんどなくなってしまうからです。
やりたい放題の慶喜
一方、慶喜の方はと言うと、将軍職を失い、幕府も廃止されてしまったのにも関わらず、徳川による支配を継続していく気が満々でした。
辞官納地に関しては、「家臣には反対派がたくさんいるので、時間をかけてやっていかないと暴発が起きちゃいますよ」と言って、なかなか応じる気配がありません。また、大坂城にイギリス、フランス、アメリカ、オランダ、プロイセン、イタリアの6ヶ国の公使を招き、「大政奉還は行ったけど、これまでどおり外交権は徳川にあるし、これまでに結んだ条約もきちんと引き継ぐので、内政干渉しないでね」と釘を打ちます。さらに、朝廷には「王政復古の大号令は、なかったことにしてくれない?」と言って、王政復古の取り消しは認められなかったものの、朝廷は徳川による支配を事実上認めてしまうという、慶喜のやりたい放題でした。
薩摩の挑発
慶喜のやりたい放題に危機感を覚えた薩長は、如何にして慶喜を引きずり出すかを考えていました。そんな中、江戸で誰が何のためにという謎がまったくない事件が頻発します。
江戸にいる討幕を目指す過激派の志士たちが、討幕運動と言う名の略奪や暴行などの狼藉を働き、薩摩が彼らを匿うという挑発を繰り返していました。その中に、人気漫画『るろうに剣心』で有名な赤報隊の相楽総三がいました。彼は、江戸城に何度も放火するという猛者でした。先にこの人の末路を書いてしまうと、「年貢を半減してやるから、こちらについて戦え」と言って、旧幕府軍と戦います。しかし、この年貢半減令は新政府に認められていたものの、方針変更によってなかったことにされた挙句、相楽らは「偽官軍」として捕縛され、処刑されています。
幕府により、江戸の治安維持を任されていた庄内藩は、これらの狼藉に怒り、江戸の薩摩藩邸を焼き討ちにしてしまいます。この情報が大坂に入ると、慶喜の周りで「薩摩を討つべし」という意見が高まり、旧幕府軍が京都へ向けて進軍を始めます。
薩長との武力衝突に反対していた慶喜でしたが、もはや家臣たちを止めることは不可能と考え、挙兵を許可しています。実は、慶喜には秘策があったのですが、それは後ほど触れることにします。
鳥羽伏見の戦い
旧幕府軍の進軍を知った薩長は、「ついに慶喜を引きずり出すことに成功した」と歓喜します。これで武力倒幕の口実ができたからです。新政府の中では、松平慶永が「これは徳川と薩摩の私闘であるから、新政府は関与すべきではない」と主張します。しかし、大久保利通や岩倉具視は、「これは旧幕府軍の新政府に対する挑戦だ」として、新政府軍と旧幕府軍の戦いという構図へ持ち込みます。
京都の鳥羽、伏見で戦闘が始まると、序盤は旧幕府軍のやや劣勢という展開でした。しかし、錦の御旗が翻り、新政府軍が正式に所謂「官軍」となると、混乱した旧幕府軍は敗走を繰り返します。このとき、山内豊信は慶喜を擁護して、「いくらなんでも、それは酷すぎるでしょ」と抗議しますが、岩倉具視に「じゃあ慶喜についてもらっても構いませんよ。あなたも賊軍になりたいんですか?」と言って黙らせています。この後、薩土密約に基づいて、板垣退助が薩長に加勢するのですが、このときまで土佐は中立であり、薩長とは敵対していたわけです。
まさかの敵前逃亡
旧幕府軍は、緒戦では劣勢でしたが、新政府軍の3倍の戦力があり、武装も幕府陸軍に関しては、最新式であり、まだまだ勝てる見込みはありました。徳川慶喜は、徹底抗戦を主張し、鼓舞します。しかし、その夜、少数の側近を連れて、大坂に停泊してあった幕府海軍の旗艦である開陽丸に乗り込むと、どこに攻め込むのかと思いきや、なんと江戸に帰ってしまったのです。事実上、幕府海軍のトップであった榎本武揚にとっては、逃げるために旗艦船を持っていかれるという非常にかわいそうな話です。
総大将のまさかの敵前逃亡に旧幕府軍は、戦意喪失し、次々と江戸や自領に引き上げていきました。江戸城において、会津の松平容保、桑名の松平定敬、さらに幕臣の小栗忠順、榎本武揚、大鳥圭介らは、慶喜に対して徹底抗戦を主張するも、慶喜は「朝敵になるなんて耐えられない、恭順します」と言って、引きこもってしまいます。慶喜は、主戦派をクビにして、「全部あいつらがやったことで、私は悪くありません」と、これまで支えてくれた人たちを裏切って、保身に走るのです。これが先ほど触れた慶喜の秘策です。本当に最低野郎ですね。
兄の容保と共に御所をずっと守ってきたのにも関わらず、一瞬にして「朝敵」にされてしまった桑名藩主の松平定敬。
桑名は、家臣が勝手に新藩主を立てて、新政府軍に恭順、実家の尾張は新政府軍についたため、もはや戦うしか道がなくなりました。
総大将の慶喜が逃亡し、引きこもるという異常事態に陥った旧幕府軍でしたが、会津を中心に徹底抗戦を続けます。鳥羽伏見の戦いから始まった戊辰戦争は、まだまだ続くのです。