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日本におけるヒップホップ文化が急激に浸透してきている

文:田渕竜也

悪そうなやつは…

みなさんの周りには悪そうなやつらはいますか?大体友達ですか?私の周りは隠キャばかりで、悪そうなやつには近づきません。いいことないしね。まぁそんなしょうもない話は置いといて。考えてみてみると新しいものを受け入れていく人っていうのは隠キャではなく大体、陽キャ系のパリピな人だったりそんな人々である。彼らは流行とともにやってきて廃れたらまたどっかの流行にまるで偏西風に乗ってやってくる台風のようなものである。「ああ、パリピって酒飲んでドンチャン騒ぎをする人ね」と思う人もいると思うが、まぁその通りだよね。

ところで巷で言う「パリピ」の起源ってどこからだろうか?と考えた時、78年に『サタデー・ナイト・フィーバー』の大ヒットにより、ディスコ・ブームが日本全国で拡大していったところから始まるのではないかと考えている。革ジャンとかサングラスではなく、アフロヘアに細いスーツ、黒人系ファッションである。もう一つ挙げれば『フラッシュダンス』の大ヒットにより、原宿のホコ天ブームと重なったこともあり、ホコ天の竹の子族が見よう見まねでブレイクダンスを始めた。これにより日本全国でブレイクダンスのブームが起き、ダンス甲子園などが開催されさらに活発になった。まぁそのダンス甲子園にはメロリンQとして登場した山本太郎氏がこんなことになるなんて誰も想像できなかっただろう。

この80年代というのがファッション、洋画、音楽というアメリカのポピュラー文化が大量に輸入された時代であった。そもそもパリピという言葉は「パーティピーポー」という言葉の略語なので彼らには従来日本にはなかった「パーティ文化」の意味の言葉が入っている。だからパリピというのはすごくアメリカンナイズされた人々なのである。EDMにいち早く飛びついたり、インスタグラムに飛びついたりするのもそう言うことだろう。そんでディスコで踊っていた若者たちやホコ天でブレイクダンスをしていた竹の子族の若者たちがパリピの起源というならもはや死語となったが、「Bボーイ」と言う人種はアメリカ文化にもろ影響を受けているので、ディスコ、ホコ天ブーム後の進化、派生したのがBボーイである。Bボーイっていう言葉は97年から2017年まで開催されていたB BOY PARKというヒップホップカルチャーのフェスティバルから普及していった。ちなみにBボーイのBはブレイクダンスのBである。別にヒップホップ風のファッションをしているからってブラックのBではない。
現在では「Bボーイ」と言う単語はあまりに聞かない。もう「Bボーイ」と言う存在は古いものとなり、今の彼らの姿はEDMやダブステップ、トラップを擁するパリピとなっているとも考えられる。

日本におけるヒップホップの文化

よく議論されている日本のヒップホップはどこからかという問いに関していとうせいこう氏がよく挙げられる。しかし、ジブラ先輩ことZEEBRA氏は当時、いとうせいこう氏のヒップホップに違和感があったと言う。だってその時代のヒップホップというのがスネークマンショーとかいとうせいこう氏のラップはアングラでギャングスターなヒップホップと言うより”文化系サブカルチャー”なものであった。

いとうせいこう & TINNIE PUNX – 東京ブロンクス

スネークマンショー – 咲坂と桃内のごきげんいかが1・2・3

しかしZEEBRA氏は本気で黒人になるために渡米して本場のヒップホップを学ぶことをしている。そこでキングギドラというラップグループを結成する。ZEEBRA氏だけではなく、この時代にはブッダブランドなどはそんな本場アメリカでのヒップホップのアングラ感、ギャングスター感を持ち帰ったZEEBRA氏はじめキングギドラのメンバーやブッダブランドのメンバーは日本ヒップホップにおいてレベルを底上げしていった功績は偉大である。
しかしだ、この国においてどれだけ本場へヒップホップを学びにいったところで渡米してヒップホップの修行ができるだけでも坊ちゃんである。別に貧困にあえいで強盗やドラッグディーラーをやったり、銃が側にある環境でもないし、『Straight Outta Compton』みたいな日常はこの日本国にはない。西成に行ってもこんなギャングスターな日常はないよ。どんなにギャングスター気取ったところでハリボテのバッタもののギャングスターである。

キングギドラ – 見まわそう

BUDDHA BRAND – 人間発電所

そんなわけで80年代は手探り状態で見よう見まねだった日本のヒップホップも90年代以降、ライムスターやMicrophone Pager、キングドラにブッダブランドなど様々なアーティストたちがアンダーグランド上で頭角を現わすようになった。対するメジャーシーンではEast Endがラップを取り入れた楽曲でヒットチャートにランクインした。そんな発展していく90年代の日本ヒップホップシーンはDragonAshの『Greatful Days』でオリコンチャート1位という形で一つのピークを迎える。

やがて混沌としていく00年代に突入し、そこでは謎の偏見や誤解が多く生まれた。その筆頭が「チェケラッチョ」とそれを言ったあとの変なポーズだろう。あのフレミングの法則のような手で「Yo」とか言ってくるあれだ。こんなポーズのラッパーのCDジャケットなんか見たことない。恐らく当時、アメリカにおけるヒップホップが東海岸と西海岸でギャングの抗争状態にあったため西海岸側のラッパーが「ウェッサーイ!」と言ってギャングサインの『WEST SIDE』や『LA』をやっていたのを誰かが日本に持ち帰った結果、ドンドン分解されて言って、フレミングの法則状態になったのではないかと言う説がある。

あと誤解で言うと、ラッパーは別に韻を踏まなくてもいい。メロディーが弱いラップにおいてリズムを作ることが重要である。なので韻を踏むことで大事なのはあくまで『リズムを作るために韻を踏む』のである。だからリズムさえしっかり出ていれば韻を踏む必要などない。むやみやたらに韻を踏んでも駄洒落の機関銃化してしまうだけなので、こうなってしまってはメチャクチャダサい代物になってしまう。
これら誤解や偏見により日本のヒップホップは00年代終盤辺りまで混沌とした「ガラパゴス化」が進むこととなった。

世に浸透していくヒップホップシーン

現在、日本のヒップホップは全体的にめちゃくちゃレベルが上がっている。幽遊白書で言えば仙水を倒したあとの魔界統一トーナメントの急激なパワーインフレぐらいレベルが急激に上がっている。要因は何かと考えるとフリースタイルの文化が割と世間でも受け入れられてきていることと、SNSやYoutubeなどの発達と発展によって海外のトレンドが簡単に情報が手に入るようになったこと、あとは動画サイトとかにラップのやり方とかを無料で知ることができるようになったからではないかと考えている。
Bボーイパークが20年に渡り歴史を作ってきたことでKREVAをはじめ般若など様々なラッパーたちが世に輩出してきた。それまでアングラにあったフリースタイルラップは現在ではYoutubeやテレビ放送の「フリースタイルダンジョン」さらに「リンカーン」での中川家剛が練マザファッカーに短期留学しに行く企画により徐々に世間に浸透していき、いまではアングラのヒップホップ用語であった「ディスる」という言葉が広く世間に浸透した。

そんな広く浸透してきている日本ヒップホップシーンでは若手ラッパーたちの台頭が目立ってきている。特にラップのスキルもすごくインフレ化しているけど、それ以上にサウンドの成長率がヤバい。それでは今回は最後に4組注目のラッパーを紹介しよう。

Rude-α – Mirror Ball

SIRUP – LOOP

ゆるふわギャング – Psychedeligood


KID FRESINO – Arcades ft.NENE

終わりに

J-POPはドン詰まり状態である。どの曲を聞いても「また同じ展開か」、「また同じような歌詞か」、「こいつどんだけ恋してんだ」って思っている人って結構いてるんじゃないでしょうか?しかし今、日本の音楽シーンではヒップホップめちゃくちゃ熱い。ラップの技術はもはや洋楽とも引けを取らないほどに向上してるし、サウンドもトラップを取り入れた曲もあれば、都会型のアーバンなジャズファンクなものもあってバラエティが豊かである。

しかし大きな問題点もある。それはラップという技術が「競技化」している点である。韻やフローだったりラップのスキルがもはや幽遊白書の魔界統一トーナメントばりにフリースタイルはインフレを起こしている。そしてヒップホップの話題はどの話を聞いてもフリースタイルラップの話で持ちきりで、個人的には「で、そのフリースタイルラップで優勝してそのあとどうすの?」って思う。なんだか速弾きギタリストが持て囃された80年代から90年代のハードロックシーンにも個人的には被って見える。皆こぞって、速弾きをやってきて、ドンドン複雑で速くなるだけで聞いてるリスナーたちはドンドンと置いてきぼりを食らっていくそんな感じだ。
それにフリースタイルラップと言っても個人的にはツイッターのレスバトルと何が違うんだと思ったりする。

今、日本のヒップホップリスナーはパリピ型のフリースタイルをライブで見にいく派と隠キャ型のヒップホップを音源で聴く派と別れてきているような感じがする。この二分化していくヒップホップシーン入ったいどういう形になっていくかはこれからすごく注目の音楽シーンである。

田渕竜也のTwitter

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