レッチリというバンドと捨て曲
かっこいい、感動する、グッとくる、あの曲が好きとか嫌いかって、基本、人それぞれの価値観や主観に委ねられる。自分はこのバンドの激し目の曲が好きなんだけど周りはあまりピンときてないなんてことも人それぞれの主観だ。よくあることだ。だからアルバム単体で聞くと「あぁぁ、なんだこの曲は」ってどうしても飛ばしてしまう楽曲が発生してしまう。そんな曲をみなさんはどうしていますか?我慢して聞いていますか?あまり我慢をし過ぎるとストレスになってしまうので無理せずに飛ばすことをオススメします。「これが逆にいいんだよ」っていう輩もいるかもしれませんがそんな言葉には「Fuck off」でございます。まぁアルバムを作っているバンドやアーティスト本人たちは恐らく全曲捨て曲なしの全て神曲として作っているのだろうけど、いくら自分の好きなバンドやアーティストでもアルバム単位で聴くと飛ばしてしまう「捨て曲」というものがどうしても発生してしまう。普通に考えて10数曲入っているアルバムなら仕方ないことだ。精々、気に入った楽曲が4、5曲あれば上出来で2、3曲聞ける曲があれば合格点と言ったところだろう。最悪の場合、アルバムのリード曲一曲しか気に入った曲がなかったりする場合もあるしね。許さんぞフランツフェルディナンド。Take me outに騙されて他が全く聞けるものなかったぞ。ただ、ジャケ買いして全曲くそなアルバムに比べたらマシなほうか。許さんぞL’Arc~en~Ciel TRIBUTE。
そんでこの聞き手それぞれの主観次第で駄作にも、傑作にもなるすごいバンドがいる。そう通称「レッチリ」ことご存知、Red hot chili peppersである。(以降Red hot chili peppersとい正式名称でいうのも面倒なのでレッチリと略します)
多分、ベーシストなら必ず一度は通るバンドですよね。一度は「Higher ground」をコピーしたり、試奏のときやリハーサルのときにレッチリのベーシスト・フリーのスラップフレーズを弾きまくって怒られたことある人はいるのではないかと思います。はい、僕は怒られたことがあります。ベースやギター、ドラム各々楽器単体ならレッチリのコピーはできるんだけどコピーしてからバンドで合わせると大抵ひどいことになる変なバンドでもある。稀に学祭でレッチリのコピーをやってるバンドいるけど絶対やめておけ。その会場の雰囲気が南極か北極ぐらいのヒエッヒエに冷えた会場になってしまうから。レッチリのコピバンでかっこいいやつは生まれてこのかた見たことがない。
レッチリはいくつかの時代に分かれる。
古生代レッチリ
第1期はヒレル・スロヴァクというギタリストがいたレッチリの古生代にあたる時期だ。ヒレル・スロヴァクはボーカルのアンソニーとは親友でその当時、いじめられっ子でど陰キャだったフリーにベースギターを教えてバンドに誘ったレッチリ結成の中心人物。フリーにとってはプリンス・カメハメ的存在だった。だけど僕個人的な主観では古生代のレッチリの音源は捨て曲が多いのであまりオススメしない。特にメジャー第1作目のレッチリの「Red hot chili peppers」はバンド公認のクソ版。どこをどう聞いても最後まで聞ききることができない。かっこいいのはジャケットぐらいで。あまりの出来にレッチリのメンバーがこの作品をプロデュースしたアンディー・ギルに糞をトッピングしたピザを送りつけたというエピソードが語られるほどの本当の意味でのクソ盤だ。ちなみに古生代期のレッチリを聞くなら『The Uplift Mofo Party Plan』がパンクなエッセンスとファンクのグルーヴがうまく合わさっていてオススメ。
The Red Hot Chili Peppers-Why Don’t You Love Me
出だしは「激しい曲かな」ってワクワクさせるんだけど、曲が始まるとモッサリしたファンクソングが始まる。しかもこのアルバム、全体的にドラムのミックスがいまいちなんですよね。履き潰した靴の裏ぐらいペラッペラな音にリバーブを結構かけてるからより音がチープな印象になってしまっている。ただ、80年代の音の流行りを考えたらこんなものか。どうだろうか?
Freaky Styley-Battleship
レッチリ2枚目のアルバム「FREAKY STYLEY』の中でも一番パンクな楽曲。プロデュースにファンク界では北島三郎ぐらいの重鎮であるジョージ・クリントンが担当している。恐らくレッチリのキャリアの中で一番ブラック色が強いアルバムだと思う。ベースの音もこの後のレッチリサウンドの特徴でもあるドンシャリした音と言うより、モコっとした70年代のファンクっぽい音になっている。
The Uplift Mofo Party Plan-Party on Your Pussy
「初期レッチリ」を形付けたのはこの三枚目のアルバム『The Uplift Mofo Party Plan』だと思う。よりハードな音で派手になった今作。フリーのキャラもしっかりと立ってきた。だけどギタリストであったヒレル・スロヴァクはこの後、薬物過剰摂取で死んでしまう。クスリだめ絶対。そしてドラムのジャック・アイアンもこの後脱退してパール・ジャムにFA宣言してしまう。ここでレッチリはバンド存亡の危機を迎える。
中生代レッチリ
メンバーの脱退、そして死でバンド存亡が危機的状況の中、4枚目のアルバム『Moteher’s milk』からドラムにチャド・スミス、ギターにジョン・フルシアンテが加入し、ここで第二期レッチリの黄金のラインナップが出揃う。そしてレッチリが世界的成功を収める『Blood sex sugra magic』の後に一旦脱退した後、デイブ・ナバーロが加入した頃が第二期レッチリである。
この頃はグラミー賞受賞したりライブではちんこにソックスを履かせるぐらいのイケイケで波に乗っていくレッチリ。中生代にあたるこの時代がレッチリ全盛期というファンは多い。だけどこの時代のアルバムもまだ結構捨て曲が多いのも事実。個人的にはデイブ・ナバーロが在籍していた6枚目の『One hot a minute』がレッチリの中では一番好きなアルバムなんだけどめっちゃ捨て曲が多い。だけどすごく過少評価されているアルバムでもある。
Mother’s Milk-Higher Ground
今作よりギターにジョン・フルシアンテ、ドラムにチャド・スミスが加入しレッチリ全盛期メンバーが揃った。全米アルバムチャート52にランクインされプラチナディスクを獲得しレッチリがブレイクするきっかけになったアルバムである。ボーカルのアンソニーによると、カバーは得意ではないのにも関わらず、プロデューサーに無理矢理勧められてスティービー・ワンダーの『Higher Ground』をカバーしたと回想していてこの曲はバンドとしてもあまりいい曲ではないらしい。
余談になるが僕自身もこの曲、バンドでコピーしてえらい目にあったことがあるのであまり聞きたくはない。
Blood Sugar Sex Magik-Sir Psycho Sexy
ハードさパンクな雰囲気は影に潜めてよりサイケデリック、アシッドなファンクロックサウンドになりジョン・フルシアンテのキャラがより立ってきた今作。
フリーのバッキバキのスラップベースは控えめになったけどよりバンドアンサンブルとしての「間」を作っていくベーシストへと進化した。しかしこの曲、長い、長すぎる。精神と時の部屋だ。いくら「ファンクだ」「アシッドだ」って言っても長すぎる。長いのでこのアルバムの中でも最後まで聞いたことがなかった曲だったけどやっぱり長いな。
One Hot Minute-Falling Into Grace
ジョン・フルシアンテが日本ツアー中に謎の帰国をしてそして脱退、代わりにデイブ・ナバーロがレッチリに加入した『One hot minute』はレッチリ史上最もヘヴィでダークな作品。前半5曲目まではゴリゴリでハードでかっこいいんだけど後半からずっと似たような曲が続くのでメッチャ飽きが早い。いや、本当に個人的にはレッチリの中で一番好きなアルバムなんだけどね。前回のアルバムとこの後に続くアルバム以降のレッチリの評価が高すぎてデイブ・ナバーロはちょっと気の毒なギタリストでもある。結構、ハードでいいギター弾くんだけどな。
新生代レッチリ
第三期はデイブ・ナバーロが脱退した後、またジョン・フルシアンテが復帰した『Californiacation』。この頃は新生代にあたる時代でイケイケだった古生代、中生代の頃のレッチリの楽曲に比べてかなりメロディアスな曲も増えて捨て曲が一気に少なくなってロックバンドとしての地位を確立した時代でもある。もうローリング・ストーンズとかAC/DCとかと肩を並べるようなワンピースでいう王下七武海ぐらいのバンドになった。
僕の中ではこの頃がレッチリ黄金期だと思う。やっぱりソングライター、メロディメイカーとしてのジョン・フルシアンテは優秀すぎる。
Californiacation-Purple Stain
ヤク中、うつ病、ホームレスともう人生詰んでしまったなんて気安く言えないぐらいに詰んでしまったレッチリ脱退後のジョン・フルシアンテはもう2年もギターを弾いていなかった。しかし彼はリハビリの末、ドラッグを見事に克服する。その話を聞きつけたレッチリのフリーはバンドへの説得の末、再びジョン・フルシアンテはレッチリに加入した。
このような経緯から今作はメッチャかっこいいギターフレーズなんかはあまり出てこない。出てこないけど「枯れたギター」とも言われるエモーショナルなギターサウンドとジョン・フルシアンテのコーラスワークは結果としてレッチリ最高傑作『Californiacation』を生み出す。
本当にこのアルバムは捨て曲がないんだよな。どれも聞けば聞くほどいい曲で車には一枚置いときたいアルバム。
By the way-Cabron
今までのハード、パンク、ファンクにヒップホップなどマッスルでUSAなレッチリからよりメロディアスで哀愁を満ちた「グッとくる」クラシックロックなバンドサウンドになった。特にジョン・フルシアンテのコーラスワークが素晴らしいのなんの。ドラムのチャド・スミスが「Very John」と言うだけあってフルシアンテの色が強いアルバムでもある。あまりにもファンク色が少なくなったのでベースのフリーとフルシアンテと対立するにまで至ってフリーは「本気で脱退を考えた」とインタビューで答えている。ただやっぱり初期のレッチリサウンドが好きな原理主義者の人たちは物足りなさを感じると思う。マッスルとかおバカというより萎れた人のいいおじさんっぽい感じ。
Stadium Arcadium-Hard To Concentrate
映画『デスノート』の主題歌にもなって日本でも一気に知名度をあげたレッチリ。割と2枚目のアルバム『Freaky Styley』にマッスルでおバカな感じを抜いた感じに近いかも。しっかりとファンクをやって、尚且つジョン・フルシアンテの叙情的でエモーショナルなギター、そしてコーラス。全体的にインパクトのある曲はあまりないけど、レッチリとして楽曲に全員の個性をしっかりと出せたのは今作が一番ではないだろうか。だけど今作、二枚組なので聴き通すのがとにかくキツイ。とにかく時間がかかる。
第四紀レッチリ
そして現在、新世紀の第四紀にあたるまたジョン・フルシアンテが自身の芸術の探求のために脱退して交代にジョシュ・クリングホッファーが加入した現在は第四期レッチリとなっている。もう完全にレジェンドバンドに成り上がってしまったレッチリはワンピースでいうとシャンクスとかあの辺の四皇ぐらいの地位になっていると思う。
I’m With You-The Adventures of Rain Dance Maggie
「俺はもっと音楽を追求したいんや」とまたジョン・フルシアンテは脱退してジョシュ・クリングホッファーに代わって一発目のアルバム。フリーのベースが昔みたいに派手なベースラインを弾き散らかすというより音楽、曲、アンサンブルとしてが楽曲の中心に戻ってきた感じがする。個人的には前作の『Stadium Arcadium』よりこっちのアルバムの方がコンパクトにまとまっていて聞きやすくて好きなんだけどね。あまり評判がよくないらしい。
GETAWAY-The Hunter
キャリアが長くなるとどうしても「昔のレッチリはよかった」という初期原理主義者とか「今も昔もみんな違って、サウンドは時代によって代わっていくもの」という進歩主義が生まれてくるのは必然だ。
正直、このアルバムは良作だと個人的には思う。かっこいい曲もあるし、サウンドも進化している。プロデューサーがデンジャー・マウスということもあって、若干エレクトロな雰囲気もある。このバンドはまだ成長しようとしている。だけどこのアルバムが「レッチリのどいう時期にあたる作品か?」と問われれば「まぁ、レッチリの他のアルバムに埋もれてしまうよね」って思う。何しろエネルギーが足りない。まぁバンドの高齢化だよね。もう五十半ばの人たちに「昔みたいに激しい曲を作れ」って言ったってそりゃ無茶だぜ。レッチリの初期原理主義者の皆様もう少し五十半ばのレッチリを労ってあげてください。
終わりに
「自然のあらゆる努力は、すべて快楽に向けられる」とフランスの小説家ジイドが書いてる。動物や植物は、無心に快楽を求め、無心に楽しんでいる。人間だって例外じゃない。ライブへ行けばぶっ飛ぶ人もいるし、ライブをする人もぶっ飛んでるし、何かを作って喜ぶしともぶっ飛んでる。自分の本能のおもむくままに行動することってすごく自然的なことなのである。いくら自分たちが神曲と思って作ろうがそれを大衆が捨て曲、くそ曲と言われようが作る快楽にはかなわない。今回はあまりスポットの当たらないレッチリの捨て曲を特集しながらそんなことを思いました。そして最後にみなさんはどの時代のレッチリがお好きでしょうか?
それではまた次回。