今年はゲームボーイ誕生25周年です。
2014年4月21日、任天堂のゲームボーイが発売からちょうど25周年を迎えました。
ゲームボーイについて軽く説明しますと、横井軍平さん(1941-1997)がゲーム&ウォッチのマルチソフト化を、ということで開発し1989年4月21日に発売された携帯ゲーム機です。
縦148mm横90mm厚さ32mm(ニンテンドー3DSLLより少し小さいくらい)
画面は144px×160pxのモノクロ4階調、単三乾電池4本を使用し、連続で約35時間遊べます。子供が持ち運んで遊ぶということでとにかく頑丈に作られていて、液晶が割れるようなことがなければ階段から転げ落ちようがバイクに轢かれようが平気です。爆撃された建物から見つかったゲームボーイが起動したというエピソードまであります。(こちらはテトリスのでもが流れている様子がyoutubeで観ることができます)
開発がスタートしてから発売までに紆余曲折あるわけですが、そちらはフィルムアート社刊の「横井軍平ゲーム館RETURNS」を読んでいただければと思います。
どこでもゲームが遊べるということで自分もよく外出先に持って行って遊んでいました。当時はテトリスやロックマンワールドなんかで遊んでましたね。自分の家は親もゲームをするような家でしたので甘かったのですが、初代ゲームボーイのモノクロ液晶が緑色でさらに画面上部に保護カバーの影が出来たりして視認性があまり良くないせいか、モノクロ液晶が目に悪いということでゲームボーイ禁止の家があったり、逆に据え置きゲーム機は買ってもらえないけどもゲームボーイだけはある、といった家もありました。たぶんテレビを占領しないからだと思うのですが。
東洋大学調査のデータによりますと、ハードの国内出荷台数は発売年度の89年は148万台、翌年90年には310万台を記録しますが、その後は下降線をたどり95年には100万台にまで落ちます。
そしてその翌年96年の2月にポケットモンスター赤緑(ポケモン)が発売され、再び勢いを取り戻します。
ゲームそのものは今改めて遊んでみるとバグが多く、バランスも悪いゲームですが、当時は自分含めて周りがみんなポケモンに夢中になっていました。
噂やバグ技なんかも友達同士の間で流れたりテレビでの大会に応募しようとしたり、ゲーム自体はすぐにクリアしてしまってもいろいろと話題が尽きませんでした。
ポケモンが登場した時の話題となると決まって出てくる話ですが、何より通信でできる楽しみが広がりました。
それまでゲームボーイの通信機能は対戦にしか使われていませんでしたが、それを交換にも使うことでゲーム内の収集要素がソフト内とそれを遊ぶプレイヤーにとどまらず、周りとのコミュニケーションを含んだ楽しさに広がりました。
珍しいポケモンの出現場所などの情報を交換する、自分のソフトでは出てこなかったり数種類のうち1種しか手に入らないポケモンを交換する、もちろん対戦もする。
そういった部分が受けてだんだんと広がり、ポケモンは大ヒットします。
同時にゲームボーイの販売台数ソフトの販売タイトル数も再び増え始め携帯ゲーム市場は任天堂の独壇場となります。
たぶんポケモンのヒットがなければゲームボーイはあくまで据え置きより一歩下のポジションという状況なまま消えていたんじゃないでしょうか。
その後1998年にゲームボーイカラーが発売されついにカラーに、他社もワンダースワン(バンダイ)やネオジオポケット(SNK)などを発売していきますが、任天堂がトップシェアを維持したまま2001年にゲームボーイアドバンスにバトンタッチしました。