/ Column

今のアイドル時代とネオ・ビジュアル系時代

文:田渕竜也

未来予測と恐怖

人の恐怖は大体「未来予測」から生まれる。例えば僕の場合なんていつも心の奥底には未来という恐怖が付きまとってくる。それはどんだけ振り払おうとしてももがけばもがく程、未来という恐怖の沼に沈んでいく。

このセカイの不安というべき将来、老い、オワコン、そのほか数えきれないほどの不安が一斉に向かってくるのではないかと漠然とした心配が日曜のど深夜になると「うわー」ってなってくる。しかもその精神状態で深夜に老人介護のドキュメンタリーなんて見てしまったらもう不安で押しつぶされそうになる。
まぁ、こういったこともストロング飲んだりとりあえずしシベリア超特急でもみれば一時的には波は引いていくのだけど、困ったことにそれでも100%完全に不安を駆逐できることはなく、大型連休初日に出稿した原稿に誤字があることを思い出したグラフィックデザイナーのように、日々ビクビクしながらぼくらは生きているのである。

なんだかよくわからない不安感。それは基本的に未来を考えてしまうことにある。人間の脳っていうものは「考えるな」って言われるとついそのことで頭でいっぱいになってしまう。例えば、今、ぼくが「シロクマのことを考えるな」って言ったら人の脳はどうなるかというと「なんでシロクマなんだ?」っとずっとハンターハンターのクラピカみたいに考えてしまう。
それに人間の脳みそって空白をつくりたがらないようになっている。この記事を見ているみなさんもなにか頭で考えているでしょ。なんのエロ動画をみようかとか、やっぱりカリビアンコムかなとか、やっぱりプレステージってクソだなとか。つまり人間の脳って常に頭に詰め込められるものを常に探している。だからみんな未来について禅問答が行われる。未来を考えると同じようなことが起きる。
「将来なんて考えるな」「未来を考えても無駄」。そんなことを言われれば言われるほど未来のことを考えてしまう。そんなわけで知能を持った僕ら現代の人間に未来を考えないという行為は不可能なのである。

アイドルというもの

前置きが長くなった今、ぼくの頭でいっぱいなのは「アイドル世界の未来」だ。めっちゃ話しが飛躍したな。でも今、アイドルというものはもう一度考える段階にきていると個人的には思っているのです。
Twitterを探ればめっちゃアイドルで溢れかえっている。タイムラインは加工しまくった原型止めない自撮りの自称アイドルだらけだ。多分、日本全国のアイドルを合計したらコンビニとか歯医者よりも多いと思う。
まぁそれぐらい今、アイドルって名乗っている人って多い。その上、音楽性なんてへったくれもない世界だから音楽の良し悪しは本当ピンキリで自分に合うか合わないかになる。

だけどここ数年のアイドルは変化している。めっちゃハードコアな曲を歌わせたり、ラップをやらせたり、ダブステップをやらせたりと随分と極端な音楽性になっている。まぁこれはプロデューサーの人や大人の意向のままにグループを操れるというのがアイドルグループの特性でもあるんだけどね。

だけどこの光景ってぼくは一度目の当たりにしたことがある。そう今から10年前のネオヴィジュアル系バンドブームの頃にそっくりなんだよね。

ネオ・ヴィジュアル系とアイドル性

あの頃のヴィジュアル系バンドってDir en greyがハードコア、ヘヴィロック方面へサウンドをシフトチェンジで世界的な成功した結果、ほぼ全てのヴィジュアル系バンドがスクリームパートを取り入れたり、ラップのパートを取り入れたり、グロテスクな世界観にしたり、みんなコアな方向へ行った。
その後、コアになりすぎた分、ヴィジュアル系にあった本来あった「耽美」というアイドル成分がなくなって病みや重さを押し出すことになってしまった。その結果、そのコアな部分に追いつけないヴィジュアル系バンドのファンたちは置いてけぼりを食らうことになり、どんどんとライブの集客が減っていった。そしてやがて数多くいたヴィジュアル系バンドたちはどんどんと解散していった。

現に今いるデスコア系ヴィジュアル系バンドやテクニカルなヴィジュアル系バンドにめっちゃ必死で追いかけるファンってもう随分と減ったように感じる。だってヴィジュアル系全盛期のファンってめちゃくちゃすごい演奏を聞きに来ているワケでもモッシュしてダイブするハードコアなライブを見に来ているのではない。バンギャがライブへ行くのは説法みたいなもので魂の解放だ。だったらヴィジュアル系バンドの演奏がめちゃくちゃ上手いってあまり意味を持たない。
だからもっと手軽に見られる「歌い手」の方面へみんな行ったのだろうと思う。美容師の専門学校に行って高い金払ってグッズ買って、写真買って、音源買ってそして風俗に沈むなんてバンギャクソルートが昔はあったんだけどそれももう古い話だ。

ここで重要なのはヴィジュアル系本来あった耽美性という「アイドル性」を置き去りにしたことである。誤解を恐れず言えば、ヴィジュアル系が好きになった人ってバンドメンバーのヴィジュアルが主だったと思う。ぶっちゃけ言ってしまえばヴィジュアルから入る時点でもうアイドルなんだよね。だから「ヴィジュアル系をやる」というアイドル的な根幹の部分がなくなると本当に薄っぺらい化粧とちょい派手な衣装を着た演奏の上手いバンドに過ぎない存在になってしまうんだよね。

現代アイドルの肖像

じゃあこのネオヴィジュアル系の人たちを女性のグループ置き換えてみよう。どうだろうか?この状況ってめっちゃ10年前の状況に似てると思いませんか?

今のアイドルグループってPerfumeを皮切りにめっちゃ音楽性を詰めたグループがどんどんと登場していった。そんじょそこらのハードコアバンドよりもハードな曲をやったり、ラップをやったり、ダブステップをやったりしてそれまでアイドルには見向きもしなかった音楽ファンやサブカルファンへどんどんとファン獲得の方向を向けていった。
今では「俺、バンドやってるけど結構アイドルの曲好きだよ」みたいなことをさもステータスのようにいうバンドマンもたくさんあらわれてくる結果になった。しかも夏フェスにもよく登場するようになった。

だけどそれってアイドルである意味があるのだろうか?そもそもアイドルという括りってどういう認識だったっけ?今のアイドルというものを定義するなら「プロデューサーの意向やグループの企画に沿ってダンスや歌を踊って握手する集団」だ。
この詰めた音楽性というのはほとんどプロデューサーや大人たちの企画によるものと考えた方がいい。そんな大人が考えたコアな音楽企画にファンたちはどこまでついてこれることができるのだろうか?今、アイドルに起きているのはこのコアな企画のチキンレース状態だ。

もはや「アイドル」って「あの子たちのおかげで元気がもらえる」とおっさんに言わせてグッズやCD、チェキに金を絞り取らせてウシジマくんの世界へと突き放す一種のビジネス用語にもなっているような気がする。
最も金を絞られても自分がそれで救われるならそれでもいいような気がするけどね。なんかこのあたりもネオ・ヴィジュアル系の時代に似ている。

現代アイドルの未来はある?

さて、じゃあ今いるアイドルグループの未来を考えるとやっぱりいい未来は見えてこない。だってもうアイドルをやってる人が多すぎる。それに何が「モイ!」だ。うっせ消えろ。その上にこの無謀とも言える奇抜な音楽性ばかりの企画合戦には限界がある。大人の企画でデスボイスで歌わせたりスクリームパートをやらせるなんてなかなかの虐待沙汰ですぜ。

あと流行りというのは微熱みたいなものだ。みんな何かの熱に犯されて熱中していく。だけどある日突然、その熱は下がってしまう。「あれ?俺、何やってたんだ?」と目が冷める。ネオ・ヴィジュアル系の時代がまさにそうだった。多感な思春期にリストカットや薬物、自殺などと刺激的なワードが並ぶ歌詞とヴィジュアルに熱が出て熱中していたけど、ちゃんと就活を行う頃にはみんな、染めていた髪も黒く染め上げ、ちゃんと社会人として熱が覚めた。
いまのアイドルも同じだ。いずれは金を貢いでいたおっさんたちも気がついてくる。

未来のことを考えると悲観的なことばかりしか出てこない。まぁ当然だ。みんな不安だから未来を考える。じゃあ、これかのアイドルって何が必要なのかを考えると、とにかく大人に支配されないことではないだろうか?いまの大人の企画のままにアイドル活動するのではなく本当に何がしたいのかがポイントになってくる。

だってそろそろお布施洗脳していたおっさんたちが「あれ?俺たちって裏で操ってるおっさんたちに金払ってたの?」って気づいてそうだし。じゃあもう事務所とかレーベル抜きにして自主的にやるしかないと思います。別に歌って踊らなくても人が集まればもうアイドルです。怪談でも政治論壇でも哲学でもなんでもしっかりと自分たちの手で自分たちの「アイドル」という経典を作って布教活動して崇拝されるアイドルを自分たちが作る時代に入って来ていると思うのです。

じゃあ今回はこの辺で。

田渕竜也のTwitter

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