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パンクスが社会に出るためのHow to

文:田渕竜也


「アラサー」。それはどの人にも生きていれば必ず平等にやって来てしまう分岐点である。パンクスとして生きてジミ・ヘンドリクス、カート・コバーン、エイミー・ワインハウスみたいに27歳で死ぬと思っていたけどのらりくらりノコノコと三十代まで生きてしまった。

バンドをやっていたら「アラサー」に差し掛かると様々な現実が突きつけられる。あの頃の友人たちは会社で出世したり、家族ができたり、旅行をしたりで自分はというと「パンクで生きていく」猛進的な生き方でその日その日をバイトとライブに明け暮れる毎日でしまいには長年、連れ添った彼女には愛想をつかされてしまってもう四面楚歌状態である。おまけにそもそもパンク自体が流行ってない。

もう「ノー・フューチャー」って「俺たちに明日はない」とか言ってられないぐらいに現実が突きつけられて三十代のパンクスの顔はドンドンと年をくう度に暗くなっていく。「よし、仕事に就くか」だけど「仕事に就こうって思ってもうまくいくのか不安」「ひょっとしたら、ムカつく上司をナイフでメッタ刺しに…」など自分に向いてないと思うかもしれない。

大丈夫だ。安心してくれ。パンクスは髪が短いからメタル、V系とは違って断髪する通過儀礼がない。長髪の人がいきなり髪を短くするのはすごく抵抗があるからその辺りはパンクスの方が有利であるはずだ。強いていうなら髪を黒く染めてピアスを外すことぐらいだ。

今回はそろそろ新年度ということで今、アラサーの分岐点に立っているパンクスたちにどうやって立ち回ればこの社会をうまく生きていけるかバンドの話を交えてHow toを語っていこうと思う。

無知になれ

無知でいる。これって大人になるとめちゃくちゃ難しくなってくる。

例えば、パンクスのあなたがベースを担当しているとして、バンドの中でどういうベースラインを弾くかはまずはやる楽曲を弾く上でその曲について「知りたい」と思うことがないと「知ること」にならない。「それはどう言う曲ですか?」「激しい感じって重いハードコアな感じですか?スピーディーなスラッシュな感じですか?」「音はドンシャリ気味ですか?モコモコ気味ですか?」など「〇〇ってなんですか?」とバンドメンバー同士で問答しながら楽曲のベースラインを作っていくはずである。

だけどこれが知った気でいるとこのような問答ができない。「よし、パンクだからこんなもんでいいか?」そうなると自分が楽曲を知った気でいることで自分の「知」だけで作り上げようとすることになる。こうなると大抵のベース弾きは決まって楽曲制作に失敗する。なぜなら自分の無知を自覚していないからだ。

かつてソクラテスは自分の無知をさらけ出した話は「無知の知」という言葉で知られている。知というのは「知らない」からこそ「知りたい」と思うものである。「だからこそ、自分がまだ何も知らないことを認める」これがソクラテスの「無知の知」と言われているものだ。この無知を自覚するというのは大人になればなるほど経験したことや見たり聞いたりした経験が多く重なってくる結果、なんだか世間を知った気でいてしまう。だから大人になるにつれて知らないことに対して大体の目安で語ることになって、さらに他人に無知をさらけ出すことに恥を覚えてしまうのである。

どうだろうか?例えばいくら歴の長くてテクニックのあるベース弾きでも場違いなタッピングのフレーズやスラップフレーズを挟んでくる方が恥ずかしいと思いませんか?「いや、ここはこういうドラム叩いてんだからバスドラに合わせろよ」ってなるのではないだろうか?

だから、新社会人になろうとしているパンクスがやるべきことは「知らないことを知ること」である。知った気でいる、賢い風を装うぐらいなら無知になってバカになれ。その方が真っ白なキャンバスで色々と書き加えていける。

「無知であることを知ることが真理への第一歩」である。

正直になれ

旧約聖書によるとカインが弟であるアベルを殺した後、アベルの行方を問われたカインだ「知りません」と答えたのが人類のはじめての嘘と言われている。嘘というのは「あることをないと言う」、「ないことをあると言う」の二つのタイプに分けることができるが「隠し事」と言うのは「あることをないと言うこと」である。

隠し事。これって持ってしまうとすごく精神をすり減らしてしまう。その日その日だけならいいけど、隠し事を持っていると四六時中、何時そのことが頭によぎってハラハラすることになってしまうから心臓や精神にすごく悪い。そしてその隠し事次第では休日など日々、気が休まらない状態になってしまう。人間の脳みその構造上、そのことに対して考えないようとすればするほどそのことで頭でいっぱいになるそうだからね。だから隠し事から逃れることができなくなる。それにその隠し事がバレたときがまぁたいへん。

もし、パンクスのあなたが今回のバンドの楽曲を任されたとして、1ヶ月後にバンド全体で合わせるというスケジュールだったとしよう。だけどそのスタジオの日まであと三日というのにまだ楽曲も歌詞もメロディーすらもできてない。こうなってしまったらすぐにでもラインで正直に「ごめん、楽曲の制作が間に合わなかった」と言えばいいだろう。だけどこの失態をずっと隠して当日を迎えたら間違いなくバンド内の信用が一気に失ってしまう結果になるだろうと思う。

件の話で何が言いたいかと言うと自分の失態は誤魔化さずに正直に早く言った方がマシだという話だ。早く言えばそれなりに当日の予定をリカバーできるし、正直に言ったことで信用問題もある程度は落とさずに済む。

だけど実際のところ、「まぁなんとかなるか」ってな具合に自分の失態は猫のトイレのように隠そうとする。まぁ、人間って怒られたり怒られることが恥ずかしいと思うしそういうことに発展してしまうことに面倒な態度になってしまうからね。

だけど僕の知るところでは普段、「感謝」とか「一期一会」とか言ってるやつが見積もりの数字をミスったことをずっと隠して誤魔化していた結果、その会社で大きな信用問題に発展したケースを知っている。それだけならまだ首を斬首されるぐらいでいいけどこの人、経費をチョロマカしていることもバレて逮捕寸前までいった。なので数字も正直になった方がいいです。

「正直に生きる」これがある意味、社会では一番、楽に生きる近道だと僕個人としては思います。

責任は人を巻き込もう

バンド経験者ならレコーディングする日程を決めるときが自分一人の決断だった場合って心の中が苦しくなった経験ってあると思うんですよ。

そのレコーディングの日程が決まってから「値段が高いな」「もっと近場にいいスタジオはないの?」「うちのバンドにレコーディングする技量があるかしら?」など不安視する意見がメンバーから漏れることが多々あると思う。

そんでいざレコーディングが始まってミックスもマスタリングもできて完成した音源を聞いて「あれ?もっといいエンジニアのいるところってなかったの?」とか散々な意見を言われる結果になって、決めた本人に責任が重くのしかかってしまう。

このケースだと自分一人で決めてしまったので、うまく日程やレコーディングスタジオの決定理由に言い訳できるスペースがなかった。

だから少しでもいいわけできるようにするため何かを進める時は自分に近い人でもなんでもいいから誰かに同意を求めることが必要だと思う。

誰かの同意があれば「いや、だってあいつがこれでいいっていうから」って言い訳ができるし加勢してくれる味方にもなってくれる可能性がある。まぁ人はブルータスのように裏切ることもあるけどね。だけどここは性善説を信じてみるのもいいと思うんですよ。井戸に落ちそうなこどもを黙って見過ごす人なんていないわけだし。人には生まれながらに善の心があるっていうのは孟子の言葉だ。

よく、「言い訳すんな」って水戸黄門の印籠のごとくこの言葉を振りかざす人っているけど、結局何言ってもいいわけになってしまうので、責任を一人で背負い込まずに同意してもらった人に責任を分散させた方が自分の精神衛生にはいいですよっていう話です。

適度にサボれ

パンクスには喫煙者が多いと思う。スキあらば街の片隅でハイライトに火をつけて煙をフカす。

もっともここ最近ではパチンコ屋も居酒屋まで禁煙の店が出てくるようになった。世の中は嫌煙の流れになっていて、スモーキーな店舗っていうのは昭和、平成の面影になりつつあるようだ。

「世はまさに大禁煙時代!」とワンピースのオープニングのナレーターがいいそうだけど、喫煙は禁煙時代の現代社会においては今だに有利に働くことが多い。

例えば10分ほど席を外して喫煙しに行ける言い訳ができる。しかも喫煙室へ行くと他の人と話ができて会社での立場が有利になることがある。それから喫煙のいいところはシラフの状態で話や相談ができるところだ。酒の席の場合、酔っ払ってしまったら理性が保てなくなる。真面目な話をしようとしても自分たちの快楽でしか動けなくなってしまうからその結果、飲み会が説教大会になったり、本当に聞きたかったことが聞けないことになる。

だからパンクスが仕事を始めたらまずはじめに喫煙室へ行ってみることをお勧めする。

都合のいいやつになるな

もしパンクスのあなたが金がないのにそこそこ売れてきている仲のいいバンドのライブに誘われたら断れるだろうか?

「行きたいのは山々なんだけど、もう電気もガスも止められて水まで止められたらあたしゃぁ死んじゃうよ」なんて言えればいいんだけど、知り合いのバンドの雰囲気に流されて結局ライブに行ってしまったっていうことはありませんか?私はあります。そして二日ほどタバスコを飲んで生活したこともあります。

この空気を読んで相手を気遣うのは相手は喜んでも自分にとっては損である。だって他人が喜ぼうがどうしようが自分にはプラスになる要素が全くない、ましてやなれるのは都合のいい人間にしかなれない。だから太っ腹と思われるよりケチと思われる方がまだマシなのである。

日々の仕事の中で終業の時間になっても帰らない人っていませんか?これは周りが忙しそうにしているからその場の空気を読んで帰らないそうだ。だけど言っておこう「帰れるなら帰れ」と。

周りがなんと言おうと仕事が終わればすぐに帰るべきだ。無駄に時間を過ごすぐらいならまだ実写版デビルマンでも見てヘラヘラと笑ってる方がよっぽど精神衛生的にマシである。

人の命って時間換算すると結構、短いからね。こうしてこの記事を読んでいる間にもあなたの寿命は縮んでいっている。まぁ、この話はこのへんにしておこう。

終わりに
以上がパンクスが社会に出るためのHow toだ。人生の分岐点に立つアラサーパンクスの皆さん、少しは参考になったかな?

長々とした文章になったけど正直に生きるのが一番ラクであるというのが今回、一番言いたかったことだ。西城秀樹も「走れ正直者」って歌ってからね。

まぁこの記事を読んで「よし頑張って社会の土俵で戦っていこう」と思うもよし、「なんだこのわけのわからん文章だな」って思うもよし、「やっぱ俺はパンクスとして生きる」と決断するもよし。何であれこの記事があなたの人生の羅針盤にでもなって勝手に生きてくれれば私は嬉しい限りであります。

それではまた

田渕竜也のTwitter

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