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邦楽がUSチャートに弱いワケを考えてみよう

文:田渕竜也

怪物襲来

 今から約20年ほど前、それは日本音楽界にとっては青天の霹靂だった。宇多田ヒカルという怪物がアメリカからやってきたのだ。その頃の日本のチャートと言えば小室哲哉の時代である。当時、小室哲哉がプロデュースすればほぼミリオンヒットしていた時代だ。しかし彼の築き上げた帝国はまるで豪鬼の瞬獄殺のごとく宇多田ヒカルの登場は一瞬にして小室帝国を崩壊させ葬り去った。
 アメリカからやってきた宇多田ヒカルは日本人が最も苦手とした英語の発音、さらには本場のR&Bの独特な跳ねた16ビートのような空気感も持ち合わせていてまさに無敵状態だった。当時の邦楽シーンを思い返すとこんなやばい人物は現在に至るまでほぼいないと考えてもいいと思う。強いてスポーツを含めていうなら大坂なおみぐらいか。

 これまで小室哲哉が研究し尽くしたゴスペルやディスコの音楽などの洋楽的なエッセンスはぶっちゃけ言えばエセものだった。エセものだけどよくも悪くもそれがJ-popというシーンを築き上げた。
 だけど、怪物の前ではなすすべがなかった。しかも当時16歳の小娘である。この出来事がどれだけの大人たちがこれまでJ-pop界で築き上げたプライドをぶち壊されたかは容易に想像がつくだろう。
 そのぐらい宇多田ヒカルというアメリカからやってきた怪物はゴジラそのものであり、当時の邦楽シーンでは自然災害そのものだったのである。

 そんな日本国内ではシン・ゴジラ状態で無敵だった宇多田ヒカルが当時、アメリカでは人気プロデューサーだったティンバランドとタッグを組み全米デビューした。
 スポーツに音楽、ハリウッド。神話なき国であり、エンターテイメントを神話とするアメリカという国でエンタメ分野で成功させることは日本人ポップスターたちの悲願の一つでもあった。
 時代を経てメジャーリーグではイチロー、野茂をはじめゴジラ松井などスポーツの分野では通用していったんだけど依然として音楽に関しては現在に至るまでどうしても壁が分厚かった。

 通用しない理由についてまず英語を6年も勉強して喋れないというのがある。いやおかしいんですよ6年も勉強して喋れるのは「This is a pen」ですよ。「これはペンです」って見りゃあわかるし、こんな言葉を外国人に喋ったら「コカインでもきめてんのか?」って思われるよ。
 だからこれまでの邦楽アーティストたちのアメリカ進出は散々たるものだった。それは俳優もしかりだけどね。

 なので宇多田ヒカルの全米デビューに対する邦楽界の期待値はかなり高かったと記憶している。
 これまでアメリカに挑戦してきたジャパニーズポップスターたちの死屍累々の山たち。ピンクレディー、松田聖子、YMOなどはアメリカデビューはしたものの興行的には全て惨敗だ。トップテンにすら入らない。

 これまで敢え無く敗れて行った人たちとは違い音楽は新鮮で英語も完璧。そしてフレッシュ。これで勝てる。もちろん全米デビューアルバム『Exodus』の完成度に関しては確かにめちゃくちゃにいい。

 だけど結果は完全なる惨敗だった。

 ここまで宇多田ヒカルの話で長くなったけどなぜ邦楽はアメリカで受けないのか?別に出来が悪いと言うわけではないし、
レベルがどうとかの話ではないんですよ。だけどなぜ受けないのかということを今回は考えて行きたい。

現在のアメリカチャートの基準はラップ

 ここ20年ぐらい、アメリカのチャートに入る基準が”ラップ”であることにお気づきの方はいますか?もし暇があったらこの20年ぐらいのビルボードチャートを見てみてください。バンドにしてもポップスにしてもほとんどの楽曲にラップの要素が入っている。
 入ってないとしたらカントリーという日本でいうと演歌みたいなジャンルぐらいですよ。

 これで何が言いたいかというと邦楽アーティストがアメリカで受けない理由の大きな理由の一つに「ラップが下手」という点が大きいのではないかと思うのですよ。

 まず宇多田ヒカルの失敗例から見てみよう。2004年に発表された『Exodus』の年ってもうすでにUsherをはじめOutkastなど田舎臭い英語の訛りが特徴的なサウスコーストラップの時代に入っていた。すでにラップの時代である。R&Bの楽曲もどこかしらラッパーと共演している楽曲ばかりである。

 この時代に流行っていたラップの要素がない楽曲というとEvanescenceやNickelbackなどポストグランジと言われていたバンドの楽曲ぐらいだ。もう15年前の時代でこの状態である。

 宇多田ヒカルの『Exodus』ってアルバムは完成度が高い割には印象が中途半端だと僕は最近聞いて感じたんですね。何が中途半端かというと圧倒的にヒップホップ的なサウンドを取り入れようとする姿勢はあるのに肝心なラップがないというかそれっぽいのが下手なんですよ。

 ラップの上手い下手って何かというと難しいんだけどね。とりあえず当時の物差しで考えるならミッシー・エリオットなんかを聞いていただくとわかりやすいかと思います。プロデューサーがティンバランドで同じだしね。
Missy Elliott – Work It

 R&Bの要素はどうかと言うとこれもすごく中途半端なんですよ。じゃあこの年に大ヒットしたAlicia Keysの楽曲と比べてもやっぱり宇多田ヒカルの方はどこか中途半端で抽象的な印象を受けてしまう。
Alicia Keys – If I Ain’t Got You

 別にこの曖昧さ、抽象さが悪いという話ではなくて、この時代のヒットチャートで考えた場合、中途半端という話である。

 このアルバムの中途半端さの正体っておそらくヒップホップやR&Bというよりはビョークとかポースティーヘッドみたいなトリップホップやオルタナティブ色が強いところにあると思うんですよね。この曖昧さ、抽象さが受けるのってそもそも欧米なんですよ。
 だからこの『Exodus』ってアルバムはアメリカデビューには向いてなかったんですよ。多分UKチャートとかならまだ健闘できたはずである。
Björk – All is Full of Love

近年のアジア人が進出した成功例

 じゃあ同じアジア人のアメリカ進出の成功例を見てみよう。時代は飛んで記憶に新しいのはK-pop一派の防弾少年団である。成功の要因には頭のいい人たちが「メディア戦略」とか「民族的な・・・」とか色々小難しいこと言うけど僕は単純に徹底的に鍛えたラップの要素が勝因だと思う。
 もちろんメディアの戦略もありますよ。今の時代、SNSでかなり広い世界に繋げられる時代にもなったわけだし。だけど大きな方角の失敗とK-popの成功を照らし合わせるとやっぱり「ラップ」というキーワードが浮かんでくる。

 K-popもBoaをはじめ東方神起など幾度となくアメリカ進出には失敗してきた。彼らの失敗は紛れもなくラップの要素がなかったからだ。歌とパフォーマンスの力で勝負という宇多田ヒカルと同じミスリーディングをしてしまっていたのである。

 だけどK-popがラップによるアメリカ進出に手応えを感じ始めたのはおそらくBigbangのアメリカ進出からだと思う。当時のEDMブームに乗っかることができた幸運もあって様々なDJたちやラッパーと共演することができた。

 この手応えをもとにラップとクラブサウンドという要素に注目したK-popは防弾少年団を徹底的にしっかりとしたヒップホップグループとしてのラップとメロウなクラブサウンドの素養をつけさせた。その結果、防弾少年団がビルボードチャートで1位を取る快挙を成し遂げ、アメリカ進出に成功させた。
 これって例えで言えば曙が横綱をとったぐらいの快挙なんですよ。
Trivia 轉 : Seesaw

サウンドの変容

 アメリカ進出にもう一つ大切な要素として時代のサウンドを的確に読むと言うことだ。とにかくアメリカは流行るサウンドがコロコロと変わる。
 つい最近まで流行っていたトラップと言われるバスドラがズドーンと唸るサウンドも今ではもう下火。

 じゃあ今何が流行ってるのよ。って話になるんだけど。まぁこの話は置いといてとにかく流行りがすぐ変わる。昨日今日まではやっていたサウンドも明日にはまた違うトレンドになっているぐらいだ。
 だからこの時代のサウンドを読むと言うのはアメリカヒットチャートを考える上でかなり重要になってくる。

 何度も引っ張ってくるけど件の宇多田ヒカルのアルバムと当時、流行っていたUSHERと比べても一目瞭然だと思う。当時のアメリカはこういったクランクサウンドなるものが流行っていた。
Usher – Yeah!

 そして現在のアメリカチャートに入ってくる楽曲の特徴としては音数の少なさだ。めっちゃシンプル。ラーメンでいえばしっかりとしたスープと麺、そしてネギぐらいシンプルだ。だけど一つ一つの音選びはかなり的確でツボを抑えている。そんでしっかりと新鮮なサウンドになっている。
Billie Eilish – bury a friend

 多分、サウンドの話はラーメンで例えるとすごくわかりやすいんだけどこの話はめっちゃ長くなりそうなのでまたどこかで話そうと思います。

 米津玄師の『Lomon』と上のビリー・アイリッシュの楽曲と比べてみたらわかると思う。

 やっぱり邦楽のサウンドはまだモリモリいろんな楽器の音があってシンプルさはない。だけど楽曲の激しさと感情に訴える感じはわかりやすい。正直、ビリー・アイリッシュの楽曲はかっこいいけどメンヘラの日記帳ぐらいにしか思えないし。
 だからそもそも邦楽サウンドがアメリカチャート向けではないんですよね。

もう一点邦楽がウケない理由:サビの概念の違い

 邦楽におけるサビとは何かというと一番印象に残って歌うパートのことである。
 「はい、それじゃあGLAYを歌いましょう」ってなると「会いたいから〜♫」ってなるのが邦楽におけるサビの概念だ。

 だけどアメリカは違う。あいつらは歌うんじゃなくて踊る。飛ぶ。
 確かに80年代、90年代の楽曲は歌うサビだった。しかし10年代に入ってヒップホップとクラブカルチャーが限りなく近づいた。そしてEDMブームがやってきてそれ以降、サビは踊る、飛ぶパートへと変化している。

 聞いて、歌うと聞いて、踊るの違いがそもそもこの両者にはあるんですよ。アメリカって英語が通じない人が結構いたりするから非言語で盛り上がることが必要なんですよ。
 ほらアホそうな日本語が通じなさそうなパリピがEDMで踊り狂ってるでしょう?つまりそういうこと。

つまり今回言いたかったことは

 例えば米津玄師やKing gnu、ポルカドットスティングレイなど今をときめく邦楽ミュージシャンたちがアメリカでデビューしたとして成功するか?と聞かれると僕は上記で述べたことを基にすると限りなく失敗すると思う。

 この例に挙げた人たちの作品がそもそもの良し悪しの問題ではないんですよ。

 だって多分、コロコロサウンドの流行が変わるアメリカチャートを考えれば防弾少年団がまたビルボードチャートで一位を取ることはもうないと思います。あの成功は流行のサウンドの流れとラップの単年の末の会心の一撃みたいなものだった思うので。

 そもそもアメリカチャートを賑わしたアメリカのラッパーですらすぐに消えてしまう。みんな50centとかJa ruleとか憶えていますか?彼らも結構売れていたのに随分と忘れ去られてしまっている。
 何年も生き残って現在でも活躍しているラッパーって僕の記憶にある限りではEMINEMぐらいだ。そんな彼も最近ではフェードアウト気味だけどね。
 そのぐらいアメリカチャートって新陳代謝がいいんですよ。

 邦楽の人たちは失敗すると言うけど今、僕が一番、アメリカ進出に近い人物はW-ingsのKeitaさんだと思います。
 彼は今のアメリカチャートのサウンドを知り尽くした上で楽曲を作っている。歌うと言うよりZEDDみたいなトラックメーカーのほうがいいかもしれないけどね。
KEITA / Don’t Leave Me Alone

 本当に今回の話は「邦楽のレベルが」ていうことでない。アメリカでウケる楽曲のフォーマットの話だ。

 だからいちいちYoutubeのコメント欄で洋楽、邦楽で良し悪しの争いをするのは醜いと思うんですよ。そもそも両国間でのウケるフォーマットが違う。宇多田ヒカルのアメリカ進出の失敗も楽曲のフォーマットが違ったから。
 だからもうそうやって争うことはそろそろやめにしません?という話でした。

それではまた次回。

田渕竜也のTwitter

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