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ただの青空カラオケ、梅田の路上でカラオケする奴らをボロクソに言ってみる

文:田渕竜也

書を捨てよ街へ出よ

 時々、街を歩いていると自分とは全く人生の傾向が噛み合わないだろう人たちを観察したくなる。

 大阪を代表する繁華街・梅田。そこは若い男女、大行列を成すタピオカ屋、ヘップ前で来る人来る人引っ掛けようとするナンパ師、しつこいぼったくり居酒屋のキャッチ。みんな特に用もないのに大阪の人たちは梅田という街に集まる。人がたくさんいる。僕はこの街が大嫌いだ。その上、あまりいい思い出もない街でもある。

 第一、梅田に何がある?って聞かれても特に思い浮かばない。強いて言えば映画館か服装がモーゼな人は入るだけでも粒子分解されそうな服屋ぐらいだ。しかし大阪で「どこに集まる」と話になったら大抵この梅田になる。

 この大嫌いな街で行き交う人々、溜まる人々の中でも特に僕とは噛み合わないだろう人を摘まみ上げる。ホイっと摘み上げたならば、これがこれまでの僕の日常というつまらない未来永劫を地平線の彼方へと随分と遠くへぶん投げるきっかけになるかもしれないのだ。そう思うと何だか心なしか面白味を感じて行く次第であります。

 とは言えこの梅田という街で僕とは噛み合わないってどんな人たちだろうか?街を歩いていて見たことないだろうか?人通りの多い道端でカラオケをしている輩を。ストリートミュージシャンなんかじゃない。オリジナルでも自分たちで楽器を演奏するわけでもなくただただ音源を流して歌い上げる。これを”路上カラオケ”と言わずして何という。

 ここまで読んだならある程度察するかもしれなけど、僕はこの路上カラオケする奴らが噛み合わないどころか大嫌いだ。彼らを応援している人には僕の意見を見て不愉快に思わせるかもしれないけど、別に彼らを根絶やしにして焼き尽くしたいわけなんかじゃない。「こういうことを思っている人もいるよ」と思うぐらいで、そうじゃない人は別のサイトにでも飛んでください。

 てな訳で、注意書きもしたことで路上カラオケ演者たちに向けてバッチバチにいろんなことを言ってやろうと思います。こういう輩に対して妙にムカムカするのって結構あると思うので。それでは行きます。

パフォーマンスに見るおぞましさ

 一応、僕はバンドをやっている身です。もちろんコピーバンドもやったこともあるし、オリジナルもやっていた。あとストリートライブもやったことがあります。だからそれで人のグループの活動に対してああだこうだいうのもどうかと思うけど、僕が真っ先に気になったのは歌い上げかた。パフォーマンスだ。

 人の第一印象っていうのは72時間ともに過ごさないと変わらないらしい。僕は路上でカラオケをする彼らを観察してもった印象は「チャラいなー」「この群れをなす人たちのうち何人がセフレなんだろう」「性病持ってそう」である。これは印象の話ですよ。だからこの人たちが実際にはどういう人たちかは知りません。
 だけど僕が受けた第一印象は歌うのは道具であって目的はセックスなんだろうなって印象を持ちました。そもそも噛み合わなさそうな人たちなのに72時間もともに過ごすなんて檻の中でヒグマと過ごせって言われるぐらい無理ですよ。だから印象が変わることはできません。

 そんな「チャラい」という印象を持っている側からしたらなんか「気持ちを込めて歌ってますよ」って手で音程を取っている風なパフォーマンス、胸のあたりになんか拳を握りしめて歌うパフォーマンスはなんか気持ち悪いんだよね。なんか、芝居掛かってるというか歌手のコスプレをしたなにかというか…。永遠と自称モテる自慢する奴が女性の口説き方を語ってるような気味の悪さ。「可愛い子、紹介してや」って言われる嫌さ。

 僕としては歌なんて正直、上手いも下手もどっちでもいい。「歌」って音程がどうとかよりもやっぱり伝えたい何か、アツい何か、パッションに惹かれるものじゃないだろうか?だから下手でもかっこいいものはかっこいい。
 それは手で音程を取ろうとするパフォーマンスや「気持ちを込めて歌ってますよー」みたいな見た目だけでは出すことはできない。その楽曲が日本語で歌うならなおさらそうなはずである。

 僕個人の観点で言えばこの梅田の路上でカラオケをやっている輩ってチャラい顔に「セックス」とキョンシーの如く顔に張り付いた気味の悪い札が見えてしまっていて気色悪くてしょうがない。 
 「女の子のために歌うよ」ってセリフは岡村晴幸が歌うからかっこいいのであって、クソ素人がカラオケでエグザイル一派やジャニーズの歌を歌われてもやっぱり彼らのセックスアピールにしか見えてこない。「どや俺、歌うまくてカッコええやろ」とドヤ顔するような押し付けがましさも同時に感じる。

歌声のアクのなさ

 うまそうな歌声って大体似たり寄ったりだ。河村隆一のような「ヴィジュアル系声」、絢香みたいな典型的な「ボイトレ声」、エグザイル一派のような「なんちゃってR&B声」、「ジャニーズ声」そして今クソだと僕が主張している路上カラオケ一派は「なんちゃってR&B声」と「ジャニーズ声」だ。

 声の荒さやクセは少ないけど歌い上げかたはエグザイル一派の模倣的でなんとなくうまく聞こえるし、元気そうに歌えばジャニーズっぽくもなる。カラオケだからうまく聞こえるのは当たり前だけどね。ここで言いたいのは「なんかお前ら人間臭さがないよ」って話。

 上の方でも言ったけど僕個人が惹かれるのはやっぱりアツさなんですよ。この人にしかできないOne and onlyっていうものがやっぱりかっこいいんですよ。だけどこの路上カラオケの人たちはそういうったアツさもないし面白みもない。整形して綺麗にはなったけどみんなマネキンみたいになってるぐらい同じだ。
 しかも上手いのは上手いけどそれはカラオケだから。そんなものってうまいうちにはいるだろうか?入るわけねぇだろ。

青空カラオケと何が違うんだ

 かつて大阪・天王寺には青空カラオケというものがあった。ボロい屋台が天王寺の公園にはいくつもあり、そこから爆音で演歌や軍歌なんかが流れきったないじじいやばばあたちが真昼間から酒を片手に歌っていた。それももう15年ぐらい前に全て不法占拠ということで撤去され全滅した。

 思うに梅田の路上でカラオケしている人たちとこの撤去された青空カラオケと何が違うのだろうか?路上で大音量で歌を歌う。ほぼほぼ同じだと思う。違うとすれば若いか年寄りぐらいか。

 そんな天王寺の青空カラオケと同人種の梅田路上カラオケの人たちはアーティストなのだろうか?いや違う。彼らは何も作り出していない。歌う熱意も感じられない。ただただ今ある楽曲を歌って消費しているだけだ。それにどこがアーティスト性があるのだろうか?

終わりに

 別にカバーをするなという話ではない。カバーでもたくさんいい曲があるのは知っているし、コピーバンドでも僕はいいバンドを知っている。GueenっていうQueenのコピーバンドには感動させらたし、カバーだったら布袋寅泰の『ロケットダイブ』のカバーやいさじの『やらないか』は最高だ。だけどこの梅田の路上カラオケは別だ。

 他人の曲に「チャラさ」だけが全面に押し出てすぎて気持ちが悪い。歌を歌うアツさとかそんなんじゃないんですよ。ただただ涼しい顔で歌ってるだけなんですよ。その気持ちを込めて歌っている風なパフォーマンスもなんかケツにピンクローターでも突っ込まれたような顔をしていて鬱陶しいし。
 というよりも彼らのセックス、ナンパ以外に目的があるとするなら本当の目的って何でしょうね?全く見当がつかない。だって印象が「チャラい」しかないし。それに何であんなに女性が群がるんでしょうね?だって偽物でもない、クオリティーは中国版ミッキーマウス以下のものですよ。よくて片田舎の老人会のお歌の会ですよ。まだギター持ってたりキーボードで演奏したりするストリートミュージシャンならわかりますよ。でも彼らってただのカラオケじゃないですか?

それに僕の記憶の中でもオリジナルではなく路上カラオケで世に出た人は見たことがない。ネット界の歌い手みたいな強烈なまでのネットメディアでのマーケティング力とか頭の良さも感じられないし、誰か彼らのセックス、ナンパ目的以外の目的がわかる人は僕のTwitterのDMにでも送ってください。Twitterのリンクはここ

今日はこの辺で、それでは。

mucc – 大嫌い2006

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