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結局僕らは期待してしまう〜再結成の流れからみる「呪い」の仕組み〜

文:田渕竜也

現代の病理

 ハローみなさん。今日も元気に嘘の笑みをこぼして生きていますか?作った笑みで世間の歩調に合わそうとするそんなあなたは典型的な日本人です。がんばってますね。無駄に「がんばれ」と応援してくる芸能人たちよりも十分すぎるほどに頑張ってると思いますよ僕は。
 例えば松岡修造に「頑張ればできる」って言われるのって僕としてはなんか腑に落ちないんですよ。だってあいつの家、超金持ちだから、僕らとは生まれも育ちもスタートのところ違うからね。ホイ卒、幼卒でマウント取り合っているレベルの人物じゃないですからね。まぁ、そんな修造も何かしらの病気かもしれないのでここでは「ウルトラ躁」と命名しましょう。
 でも僕たちって結局、芸能人たちに応援されることや自分の立場を肯定してくれることを期待している。みんな芸能人に期待しているからゴシップが流れるとみな一斉に叩き出し、ワイドショーのコメンテーターの意見に賛同したりしてこれを歪なメビウスの輪と言わずしてなんというのだろうか。
 応援してくれることに期待しているだけじゃない。性格診断、成功者の話、文化人のお説教。みんな自分の思っている持論を肯定したいから少しでも自分より目上の人の意見を探してみんなスマホを片手に一心不乱に人と繋がろうとしている。
 考えてること受けている現状を誰かに肯定してもらえることを期待する。だからこの21世紀の車も空を飛べそうなそんな時代に占いなんて職業が成り立っている。誰かの承認を得るためにクソくだらないTwitterとか加齢臭のするヤフコメ、まとめサイトに入り浸ってしょうもない時間を過ごす日常。これって現代人の病といっても過言ではないと思うんですよ。ここまでは期待をかける側の話ね。

期待という呪い

 だけど「期待」というものはかける人もいればかけられる人もいる。僕にはどうもこの光景というのは「期待」というのは「呪い」とほぼ同義語だと思うんですよ。
 最近、ナンバーガールを始め、エルレガーデンなどレジェンドバンド再結成ブームである。
 zazen boysで散々、向井秀徳の自己満足をやりきっていたけど、結局、僕らが期待したのはナンバーガールのころの向井秀徳だったじゃないですか?エルレガーデンの細美武士もはっきり言ってthe HIATUSの細美武士なんて誰も期待してなかったじゃないですか。

the HIATUS – Clone

Zazen Boys – Weekend

 もちろんZazen boysの向井秀徳もthe Hiatusの細美武志にしてもちゃんと熱狂的なファンはいると思いますよ。僕としては両者ともに好きだし、だけどZazen boysやthe Hiatusの曲をカラオケで歌えますか?
 僕はエルレガーデンならサラマンダーとかRED HOT、ナンバーガールならOMOIDE IN MY HEADを必ず歌いますがZazen boys、the Hiatusの曲なんてほとんど記憶に残っていないし歌ったことがない。だからみんな期待していたのは全く別のところにあったと思うんですよ。いくら自分のやりたいことや目的があっても周りの期待ってのがエルレガーデンやナンバーガールだったらそれってもう呪いですよね。いくら逃げても逃げてもその期待からは逃れられない。
 こうなったらライブであの頃の楽曲を持ってくると盛り上がるけど、自分たちのやりたい曲を持ってくると全く盛り上がらないし、なぜか不評を買ってしまって思い悩んでしまう。こういった葛藤もあるだろう。
 考えてみればレジェンドバンドの人たちでもこれだけの状態になるのだ。だけど若手にも「期待」という「呪い」をかける奴らもいる。
 雑誌とかで聞いたことないですか?やれ「神童」だの、「100年に一度の逸材」だの、「ナンバーガールズの再来」だの、「ポストAndymori」だの、「和製Maroon5」だの、本当にほどほどにしておけよと。一体逸材は一年間にどれだけ量産されてんだ。
 そんでどれだけの若手にこういうしょうもない呪いをかければ気がすむんだ。お前に言ってんだよロッキング・オン。こういうレジェンドバンドを引き合いに出してしまうとその若手バンドの音楽性と比較してしまって本当に非常によくないキャッチコピー。
 これからそれ以降も若手バンドはポスト〇〇という色眼鏡でずっと見られて行くわけですよ。これがどれだけ大変なことがわかりますか?ポストNIRVANAみたいなキャッチコピーをつけられて大成したバンドを見たことがありますか?僕はありません。みんなこのキャッチコピーに潰されていった。
 だってこのキャッチコピーをつけられたずっとNIRVANAみたいな音楽をやっていかないといけない運命になってしまうんですよ。それがどれほど過酷なことかわかりますか?だから極力こういうキャッチコピーは使わないでおこうねロッキング・オン。しまじろうとの約束だよ。

 期待をかけられるバンドの話をしたけどもっと身近なところで考えて見ると「期待してるよ」って言われて成功したことがありますか?僕個人の経験の中ではありません。この言葉を聞くとドラクエの例のメロディーが頭の中に流れ出します。
 この「期待している」という重圧の呪いはなかなかとり除くことはできない。むしろその力は周りの「期待」も相まってどんどんと強くなっていく。言えば、この社会の人たちの期待という呪いの念が積もりに積もって巨大な怨霊となるのだ。ひょっとしたら「ウルトラ躁」状態の松岡修造もその怨霊に取り込まれてあんな感じになっているかもしれない。
加えて、その期待にそぐわなかったらその罰も比例して大きくなる。失敗したらどうするんだと詰められて社会的銃殺刑である。
しかし「期待は呪い」だと僕は言っているけど、やっぱり僕らは人に期待してしまう。人に優しさを期待するし、コンテンツに面白さも期待するし、この世界に甘えも期待してしまう。例えばヤフコメって何を期待して見てますか?香ばしいジジイの説教くさい書き込み、頭の悪そうな一般論、正論ぶった馬鹿みたいな書き込み。テラスハウスだったらドロドロの人間模様とスタジオゲストのつっっこみ。えぇ僕はこれらの書き込み期待している。

結局、僕らの世界って

 考えてみると、「期待」という「呪い」は周りが想定している範囲内に収めたい意思が働いているんじゃないかと。だってポスト〇〇なんてもっともたる例。ポストMaroon5と言ってしまえば「あぁ、若干、R&Bテイストのあるバンドね」って音楽性は想定内に収めることができるし、雑誌を書くライターやプロモーションをするレコード会社の人だってそう言っておけば音楽性を想定内に収めることができる。
 想定内に収められるから安心感がある。優しさに期待して裏切られる想定外になっててしまったらもうその人のことは信用ができなくなってしまうからね。
 だから結局、僕らは「期待」という呪いをかけあって安心の境地へ行こうとするのだろうと思う。

 僕に対する期待ってなんだろうね?特に何も期待することがない、かける呪いもないっていうのが一番の不幸かもしれないけどね。

それでは。

田渕竜也のTwitter

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