小学生の時にはもう格付けが始まっている

文:なかむら ひろし

 小学生の時に様々な場面で「班行動」をさせられたという方は、多いのではないでしょうか。遠足や社会見学といった行事やグループ学習など、「班」という単位で行動することは、特に小学生の頃は多かったと思います。
 班で行動するには「班分け」というイベントを通過せざるを得ません。この班分けの方法は、いろいろだと思います。くじ引きで決めたという方もいるでしょうし、生徒に委ねられ好きな者同士で組んだという方もいるでしょう。くじ運の悪さに泣かされた方、好きな者同士で組むことによって、トラウマを植え付けられたという方が多数確認されているように、この班分けは、学生生活を謳歌できるかどうか、生徒にとっては死活問題なのです。そんな班分けを筆者も体験してきたわけですが、小6の時の班分けが少し変わっていたので、今回ご紹介したいと思います。

 まず班長を立候補制で決定します。班長の枠は、確か6つあったと思うのですが、進んでやりたがる人は少なく、ここは割りとすんなり決まっていたと記憶しています。後は、残りの生徒を各班に割り振っていくわけですが、くじ引きやそれぞれが好きな班長のところへ行くというものではありませんでした。
 班長になった生徒は、放課後になると教室に集められます。班分けは、担任の立会いの下、班長6名によるドラフト会議によって決められるのです。ただ、単に欲しい生徒を順番に指名していくのではなく、ルールが決まっていました。担任から配られたリストには、生徒がA群、B群、C群と分けられています。

A群
所謂「しっかりした人」が集まったグループ。
B群
人畜無害の一般ピープルが集まったグループ。大半がここに分類。
C群
粗暴で自己中心的といった扱いが難しい人、一人では何もできない要介護といった所謂「嫌われ者」が集まったグループ。

 ドラフトは、各群ごとに行われます。最初に指名するのはC群からでした。班長は、指名するだけでなく、何故その生徒を選んだのか説明しなければなりません。間違っても「どれもゴミだけど、こいつはまだマシ」などとは言ってはいけません。理由によっては、重複した場合のくじ引きに参加させてもらえないからです。当然、C群の中でも「まだマシ」な人がいるので、そこに人気が集中するのですが、その指名理由が大阪から環状線に乗って京橋に行くのに内回りに乗るくらい遠回りな悪口になっていたのが印象的でした。
 次にA群のドラフトへと移ります。こちらもプレゼンが必要なのですが、班長と仲の良い人が分散していたこともあって、比較的すんなり決まりました。ただし、中には「こいついらねえからB群から取らせて」と言われる担任の評価と生徒間の人気に乖離がある人がいることが興味深かったものです。
 最後にB群なのですが、こちらはプレゼンなしの単純なドラフトで決まりました。C群に入れられた人はもちろん不憫なのですが、B群のどうでもいい感がなんとも哀れというか、いたたまれない気持ちになります。

 筆者が体験した班分けドラフト会議のようなものは、現在でも行われたりしているのでしょうか。行われているとしたら、物議を醸しそうなものです。子供ながらに担任から生徒が格付けされていることは、なんとなく気づいていたものでしたが、明文化されると結構ショッキングなものでした。ただ、班分けを行うとなると、どのような決め方でも必ず何かしらの問題が生じるものです。この班分けに関しては、絶対に外に洩らしてはいけないというルールがあったので、表向きにはくじ引きで決めたということになっていましたが、この手の秘密は必ず洩れるものです。担任による格付けまでは知らなくとも、班長によるドラフトで決まったことは知らない人の方が少なかったのではないかと思います。

 今回は、筆者が体験した班分けを書いたわけですが、このような割り振りは、クラス替えの際に先生らによっても行われていることなのです。クラス間で能力差が出ないように、学力や運動能力、性質などから各クラスに割り振られているのです。そのため、能力の高い生徒と低い生徒が同じ学校、同じクラスにごった煮にされてしまいます。それが不幸の始まりというものです。しかも、その能力差は、特に低学年のうちは自身の努力の差ではないのです。大体は、家庭環境です。例えば、入学前から家庭で読み書きや計算を教わっていた生徒は、そうでない生徒とスタートラインが違うのです。家庭学習が行われなかった生徒は、別に努力を怠っていたというわけではありません。単にそういう家庭に育ったからです。小学生どころか、どこの家庭に生まれたかで、スタートラインが違うのです。

 このように我々は小学生の時点で、もうすでに格付けがなされているのです。すべてにおいて、人間は平等ではないとまでは言えませんが、平等でもなければ、対等でもないという場面はたくさん存在します。そのことに早く気づいて、他人と比較するのはやめ、何か自分なりの志を持って精進していけばいいだけの話です。バカにする奴がいても、自分とは文化も倫理観も違う人種による戯言だと思えば、それでいいのです。そういう奴は逆に徹底的に見下すくらいでもいいです。そういう奴には何の良心の呵責も生まれませんから。

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「密室班分けドラフト会議」で教師だけでなく、生徒間でも格付けが行われていることが明白となりました。
大衆の価値観など無視して、己を高め、貫き通しましょう。
「傍から見れば変な奴」も極めれば、ビジネスになるのです。

なかむら ひろしのTwitter

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