こう言うやつはカラオケで死ぬ〜カラオケ死亡診断書〜
カラオケは好きかぁ〜!好きでもない、興味もない曲を誰かに歌われるのは好きか!趣味嗜好を他人に押し付けて自己満足で曲を歌うことは好きか!はい、とここまでテンションを上げて叫んで見たけど僕はカラオケというものが好きではない。いや歌うこと自体は割と好きなんですよ。こうやって文章を書く作業中にも人間椅子の「リンゴの泪」を口ずさみながら書いていますし。
ただなんというかカラオケって正直、空気の読み合いじゃないですか?「ここはHYの流れだから〜」「俺たちの世代の曲」「ここでこの曲とかないっしょ」って言われる集団の中で人間椅子、特撮、ザ・スターリンなんてカラオケの履歴に入れたら非核三原則に反するようなもの。カラオケ常任理事国によりみんなトイレやジュースを汲みに消えていく圧力をかけられる。この曲が盛り上がるからとかこの曲にはデュエット、この振り付けとかもはやそういった流れが礼儀になっている。
うるせえ、歌いたい歌を歌わせろ。カラオケってそういうもんだろ。麻雀やってんじゃねぇんだぞ。こちとら付き合いでカラオケにきてるだけなんだよ。マイヘア入れんぞこの野郎。マイヘアを入れてその場で自爆した人、正直に挙手をしなさい。はい、僕です。だからマイヘアには気をつけろ。マイヘアを歌う際は一人もしくは男同志のカラオケで歌うことを強くお勧めする。
考えてみればカラオケっていう娯楽自体、日本人には一人でやる方が向いているのではないかと思うんですよ。だってバンドのボーカルなんてやりたくないでしょ?昔、知り合いにめっちゃカラオケが好きなやつがいたんだけど、そいつに「バンドのボーカルやって」っていったら「無理、恥ずかしい」っていうんですよ。それっておかしくないですか?だって人に向かって歌うなんてカラオケもライブも同じゃないですか。でも「一人カラオケはいや」とも言うんですよ。人前で歌うのは恥ずかしく一人でカラオケに行くのも恥ずかしくて、数人でカラオケ行けば人前でバッチバチに歌えるってやっぱり変だ。
思うに日本人って昔からシャイってよく言うじゃないですか?歌うにしても人に聞かれるのは恥ずかしいけど元々、宴会文化だったカラオケならまだ個室ということで恥ずかしさがある程度相殺できる。だけど宴会文化ゆえに一人で行くことにはぼっちという抵抗がある。だからよく恥ずかしいけど歌いたいっていう人はよくカラオケに誘ってくる。
この件の人の場合は対人とのカラオケの楽しみ方、礼儀を知っているからカラオケを娯楽として楽しめるからまだいいんですよ。
問題は僕のような偏った嗜好をしている人。つまりはカラオケの礼儀を知らない人に取っては時として地獄を見ることになる。僕は自分のようなカラオケにおける悲しみを背負ったモンスターをこれ以上増やしたくないので、今回はカラオケの死亡診断書を書かせていただく所存です。
そもそもですね。「毎日が楽しい」とか「お母さん、いつも美味しい夕ご飯ありがとう」なんていうやつらと僕とでは住む世界が違えば、知っている世界が違うわけなんですよ。
こんな日頃から社会に対して中指突き立てているデスメタルやデスコア、ダブステップ、白塗り、ハードコアなんかでなんとか毎日生きている人間とゆうこすみたいな人間とでははじめっから何もかもが違うんですよ。モテ仕草なんてカメラのシャッターが切られると同時に両手で中指を突き立てることぐらいしか知りません。多分、ゆうこすと僕とで人間として同じ部分は体の構成が70%が水分で20%がタンパク質、残り10%はその他ぐらいです。もはや白人、黒人みたいな人種以上に違うのですよ。
だからこんなFuckとしか言えないような人間と「毎日がハッピーデイズ」な人たちとカラオケに行っても悲劇しか生まれない。僕はあの時、V系好きの友人に誘われてカラオケに来ただけなんですよ。それなのにマイナーリーグやCockroachの曲を入れるとみなさんそそくさとトイレやドリンクバーへ行く。別に聞いてもらおうなんてさらさら思っていないけどやっぱりあからさまに消えられると悲しいことは悲しい。そもそも頭の中にExileとか嵐という選択肢は初めからないワケだし。
しまいには僕がデンモクを持つと嫌な顔をされる始末だ。こうなればこちらもヤケである。Going Steadyの『若者たち』を入れて全力で歌ってやることになる。こうしてカラオケに対するトラウマを抱えたモンスターがまた生まれていく。
どうせfragileとか歌うんだろう?いつもそうだ。そのあとHYの「あなた」とか入れてしまうんだろ?恋ってなんなんですか?恐らく、この流れの人はおそらく三十代序盤の人たちだろうと思う。どうですか?当たってますか?見事なまでに『あいのり』、携帯小説世代ですね。当たって入ればメンタリズム成功です。
まぁ、僕の例はほぼほぼ自決だ。自分の世界がぶち壊されるぐらいならいっそのこと自らその世界をぶち壊すという魔王の思考。自業自得ですね。だって無理して歌いたくない歌を歌いたくないじゃないですか。何が盛り上がる曲だ。フランク・シナトラの『My way』を全力で歌うぞこの野郎。
ここからはカラオケについてああだこうだいっているけど元カラオケ店員だった僕がこういう奴はカラオケで死ぬ人たちをご紹介していく
なんでなんだろうね?なんで洋楽ってあんなに盛り上がらないんだろうね?みんなBon joviとか好きじゃないの?Guns & Rosesは好きじゃないの?Welcome to the jungleなんて絶対盛り上がると思うじゃん。でも盛り上がらないんですよね。必死にアクセル・ローズみたいに「シャナナナナナナ」って歌っても誰もこの頑張りに反応してくれない。むしろ人が離れていく。
というよりそもそもカラオケの映像が楽曲の世界観と相反するものだったりする。KornのBlind入れて世界の車窓からみたいな映像の時はズッコケルかと思いましたよ。そして英語という壁もその場の空気とやらに冷水を浴びせることになるんですよねぇ。怖いですねぇ。Judas Priestの『Painkiller』なんて絶対にダメですよ。2回目のギターソロの時には誰もいなくなって帰ってこなくなりますから。
まず、ヴィジュアル系という選曲はトイレタイム必須のジャンルだ。盛り上がる盛り上がらない以前の問題であって、周りがドン引きするという事態を引き起こす可能性がマックス。結論から言うと集まりの人たちと良好な関係を維持したければヴィジュアル系という選曲だけはとりあえずは避けたほうがいい。「人肉、人食、サイコホラー」でカラオケの室内の人たちが誰も喋らなくなったトラウマをお持ちの方はいますか?多分、バンギャ人口の15%ぐらいは体験したことがあるのではないだろうか?
当たり前だけどバンギャ同士でV系ソング大会なら楽しいワケですよ。そりゃ、みんなヴィジュアル系というものを知っているからヘドバンやろうが咲いても共通言語として通じるワケですよ。だけどこのヴィジュアル系のノリを普通の人たちの場やってしまうと言語が通じないワケである。そうなるとその場がグランドゼロ状態になってえらいことになってしまう。例えば蜉蝣の『アイドル狂いの心裏学』なんて歌って頭を振ってしまったら、そこにあるのは虚無の世界だ。何かもが消えてなくなってしまう。下手したらその場にいた人たちからラインもブロックされる可能性もあるのでV系ソングの取り扱いには要注意。
僕は何度も見かけたことがある『金太の大冒険』とかブリーフ&トランクスの曲を歌って滑り倒す人たちを。そういう人ってまじで自分が今、めっちゃ面白いことしている錯覚をしているので同じ過ちを何度も繰り返す。まるで見ている光景がエンドレスエイトだ。だから前回の悲劇をまた同じくやらかす。だけどこの世界にはには長門なんていない。
こういったコミックソングって基本、出落ちが多いので大体、初めの1分は笑ってられるんだけど2分となればツッコムのも怖くて誰もツッコメないという最悪の悪循環を迎えてしまう。やっぱり悲劇だ。
ただ洋楽とかV系を歌う人には滑り倒している彼らのことを悪く言う資格はないんだけどね。すみません。
終わりに
カラオケで爆死するのはやっぱり好きなものが偏っていることに原因がある。V系然り洋楽然り。だけどやっぱりいくら「カラオケの流れが」と言われても結局、この悲劇を生み出す僕らはExileやいきものがかり、絢香なんて歌いたくもなければ聞きたくもない。なぜなら好きでもないからだ。
だからそれならばとラストサムライのように華々しく散ってしまう方を僕らは取ってしまう。結局、好きなものしか愛せないし、愛せないものは心を許すこともできない。だから嗜好が強い人にはカラオケでこのような悲劇が生まれる。だってどんな集まりでもマイナーリーグの『青い空』入れてしまうもん。しょうがない、好きな音楽なんだから。人間椅子だって歌ってやる。
だから僕から言えることは周りがどんな反応しようが何を言われようが「もう好きなものなんだからしょうがないよ」です。それが嫌なら降伏してゆうこすを目指すしかないと思います。
それでは