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女と幽霊、そして怨念と。最恐の女流怪談師・志月かなでを見逃すな

文:田渕竜也

恐怖と女性

 怖いものの世界に首を突っ込んでみるとなにやら女性というものに特別なものを想う。

 皿を数える女性の幽霊が登場する皿屋敷や応挙の描く幽霊画、平成の『リング』シリーズに到るまで僕ら日本人が想起するのは決まって長い黒髮の女性だ。彼女たちはマンションの一室、トンネル、橋など場所を問わず本当にどこにでも現れる。超サイヤ伝説ぐらいのエンカウント率。出てきすぎだね。少しは出現するところぐらいは考えてほしいね。

 思ったんだけど長い黒髪で女性の幽霊の話はよくあるけどショートボブでユルフワパーマな幽霊の話って聞いたことがない。ちょっと想像して見たけど本田翼みたいな雰囲気の幽霊なんてただのご褒美だもんな。全然怖くない。恨めしさよりも異世界女房的なむしろありがたさを感じる。量産型ライトノベルの世界だ。

 やっぱりこの濡れた乱れた長い黒髪の女がこちらを睨むこのステレオタイプな幽霊がなにやら僕たちに恐怖心を与える何かがある。そしてこの一つのステレオタイプが僕らの”恐怖心”という想像力を介して無限に増殖しどこにでも偏在している。それはまるでコンピュータウィルスのように。

 濡れた長く乱れた黒髪の女を見せるものとその女が見せるものって怖いから見えるのか?それともその女が恐怖を見せるのかどちらなのだろうか?岩井俊二の題名みたいなことを言ってるけど

 まぁどちらが先なんて考える意味なんてない。ホラー映画なんかでよくみる鏡に幽霊が映り込んだり、シャワーや排水溝から長い髪がなんかのシーンはまさしく都会に於ける人間の心が見せる現代に潜む恐怖の具現化だと思う。大都会で旧日本兵や落ち武者の亡霊って全然しっくりこないからね。やっぱりその場所における恐怖心から幽霊を見せるのではないだろうか。

 見聞きする幽霊の出現過程にはその”場所”という要因が絡み合っている。戦争の土地なら兵隊の幽霊の話があるし、学校のトイレには花子さん、刑場があった場所には落ち武者みたいな幽霊といった具合に、恐怖はその場所によって具現化される。だから幽霊ってその場所とその時代に拘束されている。侍はこのバンドマン総ブチャラティヘアの時代なのにずっとチョンマゲだし、フェミニンなりゅうちぇるみたいな両性性剛ファッションが多い中でも侍の格好だ。

 だったら濡れた髪の女性の幽霊は?さっきも言ったようにこれは累やお岩さんからリングに呪怨に至るまでその時代の風景や場所を問わずどこにでも偏在している。だから僕らは決まって何かがありそうと思うそのさきには必ず女性の幽霊を想起する。

 真っ暗な赤い橋のその先に白くぼんやりと何かが見える。ほら女性の幽霊を想起しませんか?これ、稲川淳二あるあるです。

なんで怖いんだろう?

 そもそもなんでこの濡れた長い髪の女が怖く恨めしく見えてしまうのだろうか?ひょっとしたら割と明るい人かもしれないのに。だけど僕らは彼女たちとはなんの関係もないのに暗闇から突然姿を現し、苦悶の表情を浮かべて生きている僕らを死を予感させ恐怖に陥れる。メッチャ怖い。

 彼女たちの出現は言ってみれば八つ当たりである。

 だから女性の幽霊というものはこの不条理があるからこそ怖い。こちらは何の関わりもないのに向こうから絡んで恨んでくる。
 言ってみればたまたまSNSでつぶやいたことを謎のフェミニスト団体や政治団体にブチ切れられるようなものだ。俺がなにをしたっていうんだ。本当にたちが悪すぎる。

 とあるホラー映画を研究している科学者がホラー映画を愛好している女性観客たちを調査したそうだ。その結果が彼女たちは映画の不条理にも殺されていく被害者たちよりも加害者の方に感情移入するという結果が出たそうな。だいたいホラー映画の被害者って男の人は割とさくっと死ぬけど女性は酷い目に合うじゃないですか?逃げてクローゼットに隠れるけど断末魔を上げながら電動ノコギリで殺されるようなシーン。

 ホラー好きの女性の見方ってこんな感じで自分より世界カーストの上にいそうな人。つまりフェイスブックで毎日パーティや合コン三昧の日常をあげているような、脳みそテラスハウスな人たちが酷い目にあっているの姿を楽しんでる。
 この観点で言えばホラー好きの女性そのものが怨念めいた何かでその映像を見ていると思ってもいいのではないだろうか。だから女性と幽霊、はたまた怪談は切っても切れない何かで繋がれている。

 それなら怪談というものもその状況を淡々と語ってくれる女性怪談師ならスゲーいいんじゃなかと。そして長い黒髪で和服の人なら

 そこで僕が言いたいのは志月かなでという怪談界を今後背負っていくだろう女性怪談師を皆様に見逃して欲しくないのである。大手ネットメディアにあるあるの忖度なしでまじでオススメの怪談師。

 今回はそんな話。それではどうぞ。

効果音テクニックの凄さ

階下からの騒音

 ひとまず長いけどこれを聞いてくれ。長いけど聞いているとあっという間だ。

 引越し先の得体のしれない隣人の話なんだけど、内容自体はめっちゃ襲ってくる幽霊とかは出てこない。あらすじとしては頭のおかしい階下の住人が暴れてるだけのことなんだけど、この志月かなでにかかれば超弩級に恐ろしい話に生まれ変わる。

 僕も実家の隣がだいぶキチガイな人なので僕の隣人体験談を怪談にしてくれないかな。もしよろしければご連絡お願いします。とっておきの話がありますので。

 話は戻る。怪談の表現方法ってどうしても早口でなに言ってるのかわからない。その上、登場人物がわかりにくなどが挙げられるけど、志月かなでは全く違う。タイプ的には舞台役者のような憑依型の怪談師。このタイプの弱点ってとにかくオーバーなリアクションにある。まず顔がうるさい、手振りが鬱陶しい。それ故に話が頭に入ってこない。しかもどんどんと憑依のテンションが上がっていくからもう話についていけなくなる。うるさい。

 だけど志月かなでは恐ろしくローテンポで低い声。それも最後まで同じペースでメッチャアンビエント。そして単語の一つ一つが聞き取りやすく、状況もわかりやすい。話も階下の住人だけを焦点にして話が進むからあんまり話のカメラワークがあっちもこっちも散らからないからサクサク進む。憑依型怪談師ってエモなイメージがあるけど、彼女の特徴は対極的にあるチルやアンビエント。ダイソンのように静かだ。

 そして特筆すべきはこの要所要所で現れる反則技に近い効果音と意味不明なグロウルボイスみたいな奇声。怪談師によく苦悶に満ちた奇声の表現を「ぎゃー」と驚かせる人っているじゃないですか?あれとは全く違う。あんな小手先の薄っぺらなもんじゃない。魂の入った念の塊のようなある意味、呪詛の音のような効果音とグロウルボイス。元々、声優志望だけあってとにかくこの人の幽霊の表現がめちゃくちゃに怖い。多分、今、怪談師で活躍している人の中では効果音の表現力はトップクラスなんじゃないかと思う。

 あと地声と怪談の時のギャップもすごい。雲泥の差って言葉こういう時に使うんだな。

向こう岸に立つ女

 男の声の再現が鋼の年金術師を思い起こす。なかなかこういう男性の声と女性の声を上手く使いこなす怪談師っていなかったと思う。この話はその先にある何かが女性に置き換わった話何だけど、冒頭での件の話とリンクしているような気がする。やっぱり暗闇の中の女性は怖く映る。

 こう言った男性目線での話も上手く声のテクニックで話をまとめ上げられる。

終わりに
 男と女で映る姿は違って見えてくるのではないかと思う。なんだかんだいって女性は一途だ。好きな人に対してはずっと目をかけている。例えば男性がそれを疎ましく思えた時、その男の人の中でどう映るかと考えればそれは怨念である。「俺は自由でいたい。好きに日常を生かしてくれ」と思ってもずっと女性から視線を送られればストレスにもなるしその影がずっとついてまとってくる。「メンヘラか?」と考えてもそれとは全く違う似て非なるものだと思う。僕の中では巷に溢れているいわゆる”メンヘラ”というものはただの消費されていくただのトレンドものだと思うので。

 夜道にフラフラと漂うハサミを握ったワンピース姿の女の人。こんな人を見てしまったら幽霊とかおばけ関係なくめっちゃ怖いと思いませんか?僕は友人とサイゼリアへ行く道中で見たことがあります。これもこの女性のメンヘラ云々じゃなく怨念だったんじゃないかと思う。これは怖かった。

 この女性がどういう経緯でワンピース姿ではさみを持つことになったかは知らないが、この愛情という怨念の感情が女性の幽霊の怖いと思う所以ではないかと。だからこう言った愛情による怨念によって恐怖に慄くのが男性なのではないかと。皿屋敷もそうだしね。愛情は時として恐怖に変わるし、不条理にも変わる。

それではまた次回。

田渕竜也のTwitter

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