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Kagrraと和、音楽とヴィジュアル系

文:田渕竜也


 「ありがとう」「世界で一番」「君を愛してる」「永遠に」。このキーワードが楽曲に登場するだけで「あぁ、自分もういいっす」ってなるんだよな。だってこういう曲っていつも同じじゃないですか?自分のLOVE感情を汚水を垂れ流す工場のように排出するようなLoveソング。ストリングスのメロディーとともに流れてくる音楽はどれもこれもいつも恋愛について説法を食らわしてくる。説法を食らわしてくるわりに完全に結婚という形にたどり着いてるケースは稀。

 よくよく考えてみればあいつらってアホの一つ覚えのように片想ってる。向こう岸にいる愛される側の意思をほぼガン無視。そして次の曲ではまた別の人に片想ってる。だからどの人にも「愛してる」なんて陳腐なセリフを誰彼問はず言えるんだよ。もはや八つ当たりのように呪いまくる貞子と一緒だな。

 そんな代物によく「共感したー」とか「泣けたー」みたいなことを言う人いるけど、そうなのか?この世界の人間ってこんなにも相手の気持ち完全に無視して片想ってる人がたくさんいるんですか?なにこれ怖い。お化けよりも怖いよ。

 別段、恋愛ソングがクソだという話ではない。山崎まさよしのワンモアタイムは好きだし…。言いたいことはただそう言った恋愛ソングに出てくるセリフがあまりにも陳腐すぎるという話である。だって例えばあなたが「世界で一番愛している永遠に」と告白されたとしてどうですか?なんか全部パワーワードすぎて受け付けられなくないですか?実際にこんなセリフで告白された人っているんですか?フィクション性が強すぎてなんか受け付けるのが難しい。もし本当にそんなセリフを吐きつけたなら恥ずかしくて黒歴史だよ。学生時代の貴重なモラトリアム時間をずっと告り魔というレッテルを貼られてしまうよ。

 こんだけあれこれ言っているけれども恋愛ソングならまだいい。相手を思って呪う演歌と思えばいいだけの話。西野カナの場合、ギャルが聞くギャル演歌と思えばいい。ここまではなんだかんだ言って許容の範囲内である。

 だけどやっぱり最近の音楽シーンになんとなくうんざりしませんか?アイドルが歌う頭クルクルパーなオタお遊戯ソングや精神病院でかけたら間違いなく自殺者が増えるだろう人生応援ソング。ウェーイでバンザーイなパワーワードで攻めてくるシャツ屋。北朝鮮のマスゲームみたいな変な振り付けをかましてくるファンたちそして架空のバンドマン像を作り上げてヘイトスピーチを垂れ流すバンド。

 聞いていたらこっちの脳がやられる。こんな状況がほとほとに僕なんかはうんざりしている。JASRACKが日本の音楽を潰したなんて言われているけどそれ以前の問題。

 僕の嫌いなワードで「逆にこれがいいんだよ」って言葉がある。よく音楽通ぶった人なんかがよく言っているのを見かけるけど本心で言っているのか?なんだ「逆に」って表にはなにがあるんだよ。なにもないだろ。

 そんな音楽Fラン時代。完全に巷に溢れていた恋愛ソングよりも確実に偏差値が下がっている。というよりも言語という概念が崩れてる。一度、アイドルの音楽を8時間ぶっ通しで聞いてみてください。マジで脳の細胞何割かが死滅するから。もう「アンパンマン」と言えてたのに「アンアンアン」っていう言葉を失った赤子のような状態になってしまう。

 こんな代物が向こう10年以上この世界に残るのか?残るわけがない。音楽の良し悪しの判断って非常にシンプルでメロディーと歌詞の余韻があればそれでいい。別に複雑なコードワークもアレンジもいらない。ただそれだけだ。

 だけどかつていたんですよ。和というコンセプトを貫いてシンプルにいいと言えて音楽が脳裏に焼きつくバンドが。Kagrraというバンドです。

Kagrra – [渦]

 印象に残る残らないにはピッタリと収まる自分のハコみたいなものがある。結局のところこのハコにピッタリと収まるのは一種のフェチズムみたいなもので、偏りがちだ。印象に残らないのは自分のハコに収まらないだけの話だ。

 例えば、ドロップチューニングのギターでボーカルがシャウトすればSlipknotが作り上げた重低音キッズたちから支持は得られるかと思う。実際に僕もSlipknotにハマっていろんなバッタもんのSlipknotに出くわしてきたし、ネオ・ヴィジュアル系で言えばバッタもんのDir en greyもたくさんつかまされてきた。

 ほら、今なんてどれだけの数の椎名林檎のコピー品がいると思いますか?なんとかかんとかスティングレイとか。統計は知らないけど、多分、絶滅危惧種のコウノトリよりは多いと思うよ。要はオリジナルのものを一つあればそれに乗っかって行けばある程度のその種族の人間のフェチズムをつかむことができるという話。ブランド力に魅了された人が本物のヴィトンの財布は持てないけどバッタもんのヴィトンの財布なら買えるようなもんだね。

 Kagrraはそういったハコのもとになるバンド。

 重低音、自傷的歌詞全盛期のネオ・ヴィジュアル系時代にヘドバンなし、グロウル/シャウトなし、英語なしのとにかく和に徹底して拘ったスタイル。これってネオヴィジュアル系のシーンでは案外いなかったかと思う。ネオ・ヴィジュアル系時代なんてみんなDir en greyやkorn、Slipknotが作り上げたニューメタルのハコにのかっていってまるで量産型ザクのようなにそんなバンドがわらわらと出没していた時代だったじゃないですか。そんな中でのKagrraのスタイルって一言で言うと地味。メッチャ苦労するルートだったと思う。

 ところでこの和がコンセプトのバンドって先人には人間椅子がいるけど彼らはハードロック、70年代洋楽ロックを下敷きにして完成されたスタイル。だけど、Kagrraは完全に正統派ヴィジュアル系を下敷きにして作り上げた和のスタイルで全くの別物。ギターの四七抜き音階を多用した和風メロディーや琴の音色、ベースはスライドと高音を多用したフレーズがザ・ヴィジュアル系っていう音をしている。これって結構すごい発明。コロッケを蕎麦にぶち込んでコロッケ蕎麦にしたぐらいの発明。
 歌詞も漢字を多様した抽象的だけどよくよく読んでみれば片思ってる。だけどパワーワードで攻めるんじゃなくてしっかりと詩として完成している。偏差値が高い。

 今でこそこういった和楽器を取り入れた和風ヴィジュアル系って一ジャンルとして完成され和楽器バンドや己龍などが和風アレンジバンドとして活躍している。だけどこの界隈でのKagrraからの影響は多大だし、今日にまで受け継がれる和サウンドの元となるハコといっても過言ではない。

 そんなわけで和風ヴィジュアル系というフェチズムのハコの元を知らずに通り過ぎるにはあまりにももったいないバンドです。流行ってはいないけど、是非聞いてほしいバンド。PVの古臭いクセが気になる人には音源で聞いてもらいたいです。いや絶対、音源で聞いたほうがいい。

Kagrra – 愁

 バンドは2011年に解散し、ボーカルの一志は怪談作家としてデビューを控えていたけど残念ながら同年の7月に32歳で夭折してしまった。彼の死にはいろんな噂があるけどここでは割愛する。別にそんなものには興味がないから。

 ただ思うのはもう少しこのバンドがリスペクトされたらなと今の音楽Fラン時代に僕は思います。

それでは

 

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