正々堂々戦えというのは強者の理論

文:なかむら ひろし

 現在、ラグビーのワールドカップが日本で初めて行われているということで一部では盛り上がっているようだ。私も高校生の時に少しやったことがあるんだけど、ルールがいまいち分からないままプレイしていたことを覚えている。ラグビーが好きな人には悪いけど、日本ではワールドカップといったらサッカーだよな。

 サッカーのワールドカップといえば、ポーランド戦で日本が1点リードされているのにも関わらず、時間稼ぎのパス回しをしたことが賛否両論の嵐を巻き起こしたのは記憶に新しいと思う。この日本代表の作戦に否定的な意見として目立ったのが「正々堂々戦え」や「敬意に欠ける」というものだった。個人的には別に反則をしたわけじゃなくて、ルールに則ってのプレイなんだから良いだろと思うんだけど、許せない人も相当数いるのは事実なんだよね。

 そこで今回は「正々堂々」って何やねん?ということを考えてみたいと思う。そのヒントを与えてくれるのがジャギ様だ。何?ジャギ様を知らない?じゃあ、死ね···じゃなくて、今すぐ『北斗の拳』を読んでくれ。

ジャギ様

「おれの名をいってみろ!」「兄よりすぐれた弟なぞ存在しねえ!」「きさまのその耳が弟に似ている」などの名言を残した名言メーカー。見るからに悪そうな風貌と絶対大物じゃないよねという漂う小物感がチャームポイント。アミバと同じく「なりすまし」を行うが完成度は低い。ソードオフショットガンという玄人好み(?)の銃を愛用。皆も空気椅子をやるときは「北斗羅漢撃」のポーズを取ったよな?

 前回扱ったアミバと同じく『北斗の拳』の超人気キャラクターということで、説明は不要だったかな。

 とんでもなくイカれた悪党なんだけど、非常に魅力的なキャラクターということでいろいろ語りたいところではあるんだけど、今回注目したいのはキムとかいう破門される人がいる中、北斗神拳伝承者の最終候補まで残った実力者であるはずのジャギ様が拳だけじゃなく含み針や銃などを使って戦っていた点なんだよね。

 ケンシロウは「どうして拳だけで戦おうとしない」と批判していたけど、答えは簡単で「拳だけでは勝てないから」に尽きる。ジャギ様は自信満々を装ってたけど、絶対分かってたと思うよ。自分の方が遥かに劣っていたことを。年下にボコボコにされたことで復讐の鬼になってしまい、自分を見失ってしまったんだよ。

 まぁケンシロウはもっと鍛えて強くなれって言いたかったんだろうけど、あそこまで力の差を見せ付けられたら奇策に走るしかないよね。体格とか身体能力なんて頑張っても覆せないレベルってあるからね。実際、身長160センチしかないのにヘビー級王者を目指すなんて無理だよ。特に負け=死なんて状況だったら尚更だよね。

 世紀末の世界では法も秩序もないからアレだけど、現実の社会でも法律やルールに反していなくても「正々堂々」を強要され、批判されることって結構あると思うんだよね。何もスポーツの世界だけじゃない。商売だって、恋愛だってそうだ。品質では勝てないから価格で勝負する。容姿では勝てないから経済力で勝負する。別にいいじゃないか。

 それを「安かろう悪かろうなんて社会を悪くする」「金で人の心を買おうとするなんて下衆の極みだ」なんて批判するのは強者がその地位を守るために言う詭弁なんだよな。自分にとって有利な土俵で勝負させれば負けない訳なんだから。それを強要する方が「正々堂々」としてないんじゃねぇの?強者はケンシロウみたいに「あいかわらずそんな物にたよっているのか」と言って、堂々としてれば良いんだよ。

 奇策っていうのは弱者が強者に対抗するための唯一の手段。他人から批判されようが、自分のフィールドを見付けて、どうすれば勝てるかを模索するのが一番。何回負けても一回でも勝てば、それは勝者だ。ちゃんと評価してくれる人もいるって。ただ、法律やルールを破っちゃうと、ジャギ様のように「ばわ!」ってなっても文句は言えないから注意な。

 最後に言っておくと、何も行動を起こさない弱者が奇策を批判するのが一番みっともないから止めといた方が良いよ。批判じゃなくて参考にしような。

なかむら ひろしのTwitter

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