動物的、草食的、そして感情的。Cockroach/遠藤仁平の哲学
Cockroachの再結成がアナウンスされたのは2018年のことだった。まぁ多分、適当にライブでもやってまた活動休止するだろうなと思っていたけど2019年、なんと14年ぶりに新譜をだした。
前作14年前ですよ。その頃に生まれたベイビーたちは中坊となりハイライトのニコチンでキメて髪を染め出す頃ですよ。
僕としては待っていたというより、生まれて間も無く蒸発した父が突然帰ってくるような感じ。そう思えば14年という歳月はあまりにもでかい。
だって結成していたバンドキャリアよりも解散している期間の方が長いから。かくいう僕は彼らを知ったのは解散してからの口だ。リアルタイムで彼らを知ったわけではない。
思えばCockroachが解散してからのその間、いろんなバンドがCockroachを目指していたと思う。重い地を這うサウンドと根暗な世界観、混沌と生命力はまさに関東のさらに東の地で覇権争いが起こっていた。
だけどCockroach、いや遠藤仁平に成り代われる人は結局、誰もいなかったかと思う。どのバンドもどのシンガーも遠藤仁平に成りかわる人はいない。
この洋楽にも邦楽にもない暗いのに強すぎる動物的とも言える生命力。一体、何が違うのだろうか?まさにCockroachというバンド名はその名に相応しすぎる。
そんな訳で少し遠藤仁平について考えてみよう。
よく怒って、泣き、笑う人って感情の起伏が激しく攻撃的で「動物的」な印象を与える。では逆はどうか?表情変えず、情に流されない、冷静、無感動。どうやら「植物的」と捉えてしまう。では植物には感情なんてないのか?という話になるんだけど。これが実はあるらしい。
1960年代のことニューヨークのクリーブ・バックスターという人が「ポリグラフ」と呼ばれる嘘発見器をドラセナという熱帯植物に電極を取り付けてみた。そしたらなんと植物は人間が感情的になったときに見せるグラフを示した。これを「バックスター効果」というらしい。
植物にも感情がある。ということは死というものも感情としてあるのではないだろうか?もっともバックスターの論理も様々な方面から批判もあって一丸に「植物にも感情がある」なんてことは言えない。バックスター自身、詐欺師とも言われていたし。
だけどもし本当に植物に感情があるとしたら世にヴィーガンの言う「動物が可哀想だから」と言ってムシャムシャと青虫のように食ってるサラダも何かしらの感情を持った物体なのかもしれない。
だったらなんだという話なんだけど。まぁ彼らヴィーガンってかなり感情的な集団だから「動物的」なんだろうね。草食動物が穏やかなわけではないからね。野生のゾウとかメッチャ怖いらしい。ウサギとかメッチャ交尾するみたいだし。
なるほど肉食よりも草食の方が食われて死ぬリスクがあるからより感情的になのかもしれない。
「死」というものを目の前にあるとどうしても動物的に感情があらわになってしまう。当然だ。だって自分がこの世から消え去るということが目の前になったら誰だって恐怖に慄くかパニックになる恐らくこの世界で一番動物的になる超自然的な現象だろうと思う。
Cockroachのボーカリストである遠藤仁平の世界観には「死」というキーワードがよく登場する。彼の中の死というものはなんだろうか?
COCK ROACH:赤道歩行
最近のパワーワードブームのバンドに比べると、随分と抽象的な世界観だ。まるでヤン・シュヴァンクマイエルの映像のようだ。
いろんなバンドの「死」をテーマにしたものを思い返してもらいたい。歌詞には「僕が死のうと思った」だとか「死んだ」だとかそんな強い言葉が豪速球で飛び出す。「死」ってキーワードって言葉としての力は強いんだけど、強すぎるあまりに聞き手の奥底まで届くことができない側面もある。だっていきなり「死んだ」ってキーワードが出たらどう受け取るだろうか?「あっ、なんかすごい過激なこと言ってるな」ぐらいの印象しか受け取れないだろうとか思う。これって深そうに見えてすごく浅い。
だけどCockroachは「死」というものを哲学として捉えている。夜眠れない時になんとなくぼんやりと自分の「死」について自問自答している感じ。果てしない疑問に答えなんてないけど、彼は「死」を孤独なものとして捉えている。
だから彼らのテーマって鬱とか病みとかではない。全ての終わりの哲学なのだ。みんな最後は孤独なのだ。そこのパリピも最後には一人だ。
そういえば彼らが結成した1996年当時はちょうどノストラダムの大予言が大きく注目されていた時期でもあった。僕自身、「あっ、もう後三年でみんな死んでしまうのか」と思っていたほど。そのぐらいノストラダムスのインパクトはデカかった。そして遠藤仁平自身もノストラダムスの大予言を深く信じていたらしい。
終わりに
COCK ROACH / 食人欲求者の謝肉祭
このバンドのエネルギー。それは「死」という動物本来ある感情を真っ正面から哲学しているところにあると思う。鬱とか病みとかなんかじゃない。
とにかく「感情」なのだ。一見、暗いバンドにカテゴライズされてしまいそうだけどこんなバンド他にはいない。「死」というものは怖いし、恐る。ではなぜみんな恐れるのだろうか?こんなことを考えているバンドってやっぱり見たことない。唯一無二の存在だ。
「哲学」これが他を追随させない要素だったんじゃないだろうか?
ということを夜のドンキホーテでCockroachを聴きながら考えていたとさ。
11月の新譜が楽しみだ。
それでは。