暗い人間は死ぬしかないのか?
体育の授業や体育会系のクラブ活動などで、「声出していこう!」という言葉を一度は耳にしたことがあるのではないでしょうか。そして、「声を出したからって上手くなるわけじゃねぇよ!意味ねぇよ!」という疑問を持った方も同時にいるのではないでしょうか。これは、日本という国は「声を出している人」言い換えると「元気で明るい人」でないと生きづらい世の中であるという教えなのです。
スポーツに関して言うと、この声を出すという行為には、科学的に実証された効果があるようで、アントニオ猪木の言う「元気があれば何でもできる」というような単なる精神論ではないということが証明されているそうです。声を出すことで瞬間的に筋力を限界まで使うことができるようで、ハンマー投げの選手がハンマーを投げるときに大声を上げるのは、このような理論に基づいているそうです。また、声を出すことで深呼吸をしているのと同じ状態になり、リラックス効果や持続力を高める効果も確認されているようです。他にも声を出すことによるメリットは多数証明されており、スポーツに関しては、声出しの効果は信憑性があるように感じます。
しかし、問題なのは、スポーツ以外の分野にも、この「声出していこう!」が持ち込まれていることなのです。しかもスポーツにおける科学的な効果とは異なり、精神論的な用いられ方がほとんどであることが危険なのです。例えば、求人広告などで「元気で明るいスタッフ募集」「元気で明るいスタッフが待っています」なんていうことを書いている企業は、はっきり言って怪しいものです。専門的な知識や能力ではなく、「元気」や「明るい」といった極めて精神論的な尺度で人材を求めているのですから、後は推して知るべしというところでしょう。
こういった求人は、飲食や販売、サービス業に多いように思えます。実際に店舗に足を運んでみると、馬鹿でかい声で接客されることもしばしばです。最近は見かけなくなりましたが、某古本チェーンでの「いらっしゃいませ、こんばんは」の輪唱は失笑ものでした。こういうことを言うと、「活気があっていいじゃないか」と反論される方もいると思います。好き嫌いはあるにせよ、確かに声を出すことが必要な業種というものもあります。問題なのは、「声の大きさ」ではなく、そういった企業には「体育会系的精神論」が蔓延っている可能性が極めて高いという点です。接客業なのだからと「元気で明るく」振る舞うことを強要され、「元気で明るく」振る舞うことができるのだから、まだまだ働けるという無限ループです。こういった業種にブラック企業が多いのは、さもありなんというところでしょう。
ブラック企業は極端な例としても、就職活動では「元気で明るい」ことがどのような企業でも求められます。いくら専門的な知識や能力を有していたとしても、「元気で明るい」をクリアできなければ、面接ではじかれてしまうのです。そういった理由で、社会で活躍できるはずの人材がくすぶったままであるということは、社会にとって不利益であること他なりません。
昨今、やたら話しかけてくる「元気で明るい」タクシードライバーが嫌だという人が多いということで、必要以上に話しかけないように教育しているタクシー会社があるということを聞いたことがありますが、日本という社会はまだまだ「暗い」人には厳しい環境であることに変わりありません。逆に「元気で明るい」をクリアしていれば、DQNみたいな人にでも甘いとも言えるかもしれません。これも問題視されるべきでしょう。
日本で就職するには、「元気で明るい」をクリアせねばなりませんから、いくら暗くても「元気で明るい」ふりをしなければなりません。面接ではクリアできても、実際に就職した後も「元気で明るい」が継続できなければ、社内で生きていくことは難しくなります。「暗い」人は、「元気で明るい」人を演じなければならず、常にストレスを抱えて生きていかなければならないのです。
これだけ世の中の人が「声出していこう!」を推奨しているにも関わらず、座ったり、立ち上がったりするときに「よっこいしょ」という声を出すことは「ダサイ」とされます。これこそ、科学的な効果が実証されたピッタリな状況であるのに不思議なものです。年を取ると、急な動作は腰などを痛める危険性があるので、ゆっくり注意しながら脳と筋肉に上手く伝達するということがより安全で良いと言われているのです。
ただ、「よっこいしょういち」までは必要ありません。蛇足です。かつて流行ったギャグですが、周りが反応に困るので「よっこいしょ」までで止めておくのが吉です。また、同じように流行った「斧だ、拾お」というギャグがありましたが、斧なんてどこにも落ちていません。無理矢理にも程があるギャグです。使える場面といえば、ファンタジー系RPGでもやっているときぐらいなものです。若い人には何を言っているのか分からないかもしれませんので、かつて横井庄一、小野田寛郎という旧帝国陸軍軍人が存在したということを補足しておきます。
なんだか話が下らない方向へ進んでしまいましたが、こんなことを言ってないとやってられないぐらい「暗い」人には厳しい話なので、お許し願いたいと思います。現在「暗い」とされている人は、世の中に合わせて、ストレスを抱えながらも「元気で明るく」振る舞っていくのか、厳しくとも己を貫いていくのか選択することに関してのみは自由です。しかし、このような日本の風習に一石を投じるような人がいてもいいのではないかと思う次第であります。
「声出していこう!」という体育会系的精神論は害悪。
スポーツ界の中で止めておくべき危険思想。
「暗い」と言われる人は、「元気で明るい」だけしか取りえのない人を叩き潰せるだけの知識と教養を身に着けようではありませんか。