情報が多すぎる。リツイートなんて気にせず自分で確かめろ
もうあと少しで2010年代が終わりそーだ。90年代終わり頃は世界滅亡ブームってのがあって、ミッシェルは世界の終わりをパンを焼きながら紅茶を飲み干して静かに待つと歌って、アニメはどれも少年少女たちが世界の命運を握ってわけもわからず戦ったり、テレビでは人類滅亡の特集が繰り返し放送されていた。だけど僕らはどこかそれに「すごいのがくるぞ」とか「あぁこのまま大人にならずに終わるんだな」とかなぜかどこかワクワクしていた。
だけど今、こうやって文章を書いているわけで99年の大予言もそのあとにあった2012年のマヤの予言もカスリもせず、原発は爆発すれどそれでも変わらない日常は続いていく。多分、10年代が終われど20年代がすぎてもちゃんとドラえもんの22世紀はやってくる。「乗るのよ、シンジくん」やモヒカン野郎とバギーみたいなイカれた世界は絶対にこないのだ。
来てしまった未来っていうのは手元のスマホで自らの日常を流したり他人の日常、だれかの思想にブチギレる油の染み込んだロープで繋がれた世界だ。戦争を放棄して70年以上、みんな平和すぎて暇だ。
だから他人、それか互いの正義を正体不明もしくは権力者にぶつけ合って燃え盛る時代になってしまった。ある意味、イカれた世界といえばそうか。
みんな見たくもない情報に踊り狂い繋がれたロープは轟々と燃え盛る。こう言ったところが昨今のツイッター事情とかの嫌いなところであり、つまらないと思ってしまう。
だけどそれが「つまらない」なんて言ってもしょうがない。僕たちはよくも悪くも歴史のそういうステージに生まれついている。とにかくいまの僕らは手元の道具で世界と繋がってしまっているのだ。
情報過多。
これが2010年代をあらわすなら一番適切な言葉かもしれない。スマホをいじればすぐに芸能人の不倫や誰かが発信している社会の不満までご丁寧に網羅してくれる。暇つぶしにはいいんだけど、これが結構ストレス。
正直言えばツイッターって奴がめっちゃ嫌いなんですよ僕。面白い情報が載ってるかなって思ってツイッターを開いてもムカついてくる投稿ばっか。「生理の辛さなんて知ったこっちゃねぇよ」って言いたくなるようなリツイートで回ってくるお説教マンガ。トレンドなんて野壺の肥溜めと同じ観る価値なしだし。
みんなスマホの情報を娯楽と感じているかもしれないけど実際はめっちゃストレスなんじゃないかと。むかつきながらスマホをいじってまとめサイトやらツイッターを開く。僕らってバカだから100回のうち一回でもなにか面白いことがあればついついそれに依存してしまう。
脳の話でムカついている状態と楽しんでいる状態って同じ働きしているから不合理なんだけどその一回感じた快楽に溺れてる。
だからみんなスマホから離れられなくなった。これが2010年代の世界。イカれたSNSの世界へようこそ。
さて、こうしてみると本当にスマホを開くと情報が多い。
例えば牛肉って検索するだけでも健康と出たり、不健康って出たり。いやどっちだよ。どちらもいろんな情報が溢れすぎてどれをかいつまんだら良いかわからん。
それに聴きたい音楽や観たい映画、映像もサブスクで簡単に観られるようになった。とにかく数が膨大だ。
NetflixやSpotify、Apple Musicなど多分、二、三年前ぐらいからサブスクが流行り出したと思う。
これのおかげで世界中の音楽や映画がメジャーなものからマイナーなものまで気軽に見たり聞いたりできるようになった。「なんでも聞ける、観る」これって響きはいいんだけど、いざやってみるとこれが酷なもんで情報が多すぎる。一体、何を聞いたらいいのかわからない。
これの何が問題かっていうと初心者に全然優しくないんですよ。服とか興味ないのにWEGOとかWho’s Whoなんかに行ってしまってあれもこれも店員に服を勧められている状態。どれも同じように見えるっての。
だから映画や音楽のアンテナが未熟な思春期真っ只中に何かを観たい聞きたいと思ってもサブスクの世界に入っても何もわからないんですよ。自分の居場所も何もわからない状況で「さぁ自分の好きなものを探せ。ワンピースはこのネットの世界のどこかにある」って言われてもわからないんですよ。ナミなし、ポーネグリフなしでグランドラインを航海するようなもん。
だから今言われているサブスクの時代って玄人が喜ぶような時代になったって感じるんですよ。現にサブスク入れた音楽の年間チャートを見てももうAKB擁する秋元一族やジャニーズ帝国の影もない。もっとなんていうか音楽側のKing gnuとかOfficial 髭男が入っていて「あぁ、もうこういう時代になったんだな」って。
考えてみれば音楽や映画が好きになるきっかけってなんだっけ?家庭の事情なのか友人を経由してか、謎の先輩からなのかドンドンとアングラな道へと踏み外されていく。例にもれなく僕なんかは家にあったスターリンのCDと車の中で流れるINUやあぶらだこやクソ映画と60年代ガレージロックにやたら精通していた数少ない友人のせいでアングラ街道を突き進むことになりました。どうしてくれるんだ。S伯くん!
こういう状況の中で、自分が本当に好きなものを探すのって本当に難しくなって来た。だって今、Twitterで「king gnuが苦手」って言ってる人っていると思いますか?多分、僕ぐらいですよ。彼らを苦手って言ってるのって。
情報が情報を呼んで人が渦になる。やがてその渦がデカくなってコントロールが効かなくなる。それまで好きになる道筋が個人と対人から情報に置き換わった。
流行トレンドのジャンクフードにも近い。タピオカが流行っているから飲むとかバナナジュースがこれからはやるらしいから飲むみたいにみんなが聞いているから聴くもしくはみんなが凄いっていうから観るってな具合だ。もしかしたらこの辺りがSNSで話題になっているものを褒めないといけない空気感であるのかもしれない。
だから情報過多の時代の良し悪しって拡散力じゃないかなと思う。今のYoutubeとかTwitterのリツイート出回ってくる無駄にグロウルボイスの入ったアイドルまがいのバンドっているじゃないですか?あれって結局、音楽性云々よりもだれかのツッコミ待ちみたいなもんだから拡散力が強い。やれ「荒ぶるなんとか」だの「デスボやめいww」だのああいうのを観るたびに僕なんかはリツイートをブロックするか通報するようにしているんですけどね。
だからこんな洪水のような情報の状態だけど、結局、信じれるものって自分の目と感覚なんじゃないかと。
結局、頼りになるのは自分の判断なんですよ。いいか悪いかって。口コミってたくさんあるじゃないですか?メシ食いにいくにしてもなんにしても口コミだらけだ。いい口コミと言っても入ったらがっかりしたケースって結構経験している人多いと思うんだけど、それと同じでいくら口コミで拡散してもそれが質のいい情報とは言い切れない。
結局、それがいいか悪いかは全部やって確かめるしかない。例えば自分の足でライブハウスへ行くだとか、そこで同じ人種の人から音楽を教えてもらうだとか、だれかと映画についての議論をコーヒーを飲みながらやるだとか。
いくら情報がアップデートしても時代が変わろうともこの部分だけは人類が知能を持ってコミュニケーションを取れるかぎりシフトチェンジはできない。そう思うのであります。
それでは