ともだち100人なんていらない

文:なかむら ひろし

 皆さんも『一年生になったら』という童謡を一度は歌ったことがあると思います。その歌詞の中に出てくる「友達100人できるかな」は、友達は多い方が良いという思想の表れです。果たして、本当にそうなのでしょうか。

 歌は、その後「100人で食べたいな 富士山の上でおにぎりを」と続きます。そこに突っ込みを入れたくなるのは、筆者だけではないはずです。「友達100人と自分を含めて101人で食べたいなだろ!」という、突っ込みではありません。わざわざ富士山の上まで登って、おにぎりを食べたいなんて思う奴が100人もいるのかということです。全国を探せば見付かるかもしれませんが、同じ学校ましてや同学年にまで絞るとなると、探し出すのは至難の業でしょう。
 「何を野暮な突っ込みを入れてるんだ!」とお怒りの声が聞こえてきそうですが、筆者が言いたいのは、大人数と繋がることは非常に難しいということです。人が増えれば増えるほど、考え方も多種多様、自分の思い通りにならないぞということです。友達3人ぐらいなら富士山の上でおにぎりを食べることができるかもしれませんが、友達100人となるとマクドナルドでハンバーガーでさえ実現できなかったりするのです。

 友達が多くなればなるほど、自己主張が制限されます。そして、紛争も起こりやすくなります。よしんば富士山の上でおにぎりを食べたいという友達を100人集めたとしても、「五合目までは車で行って、頂上を目指そう」なんて言う人もいれば、「五合目まで登って、そこで食べればいいじゃん」と言う人もいるでしょう。あれこれ言い争っているうちに「もう、お前らだけで勝手にやれよ」と離脱していく人が出てきてもおかしくありません。
 大人数との繋がりを維持するためには、相当な能力が要求されます。自分自身にカルト教団の教祖でもできるようなカリスマ性があれば、維持できるかもしれませんが、大抵の人間にはそんなものはありません。そこで必要となってくるのが、空気的に繋がるということです。
 例えば、AさんはBさん、Cさんと友達だったとします。しかし、BさんとCさんの仲が悪いという場合を考えてみましょう。間に入って仲介できればいいのですが、そうするとどちらか(最悪の場合、両方)との関係が切れてしまうリスクが生じます。そのため、空気に徹するか、どちらにもいい顔をするという選択肢を取った方が、繋がりを維持しやすいのです。多くの人は、こちらを選ぶのではないでしょうか。しかし、そういった関係を本当に友達と呼べるのでしょうか。

 そんな空気的な友達の象徴と呼べるのが、SNSで繋がった人たちではないでしょうか。SNS上でも、友達は多い方が良いという思想が蔓延しています。これが最悪で、この場合の友達なんていうのは、自身のステータスの一部としか見られていないことが大半です。「こんなに友達のいる俺ってすごくない?」って言いたいがための存在に過ぎないのです。こんな点数稼ぎの一部が、本当の意味での友達であるはずがありません。
 SNS上の友達が100人どころか1000人以上もいるという方がいますが、一度そういう方に問うてみてください。実際にやり取りを行っているのは何人いますか?何かあったときに助けてくれる人は何人いますか?そもそも、あなたのことを覚えている人は何人いますか?
 得てしてSNS上で大人数の友達を抱えた人間というのは、所謂「意識高い系」と呼ばれるような人たちだったりします。そういった人たちは、やれ「みんなでBBQをしました」とか、やれ「彼女と高級レストランで食事しました」とか、自分を大きく見せたいがためのリア充ぶった投稿をしてきます。こんなものをありがたがって見ている人には、かける言葉もありませんが、少しでもストレスを感じたりした場合は、迷わず切ってしまうことをお勧めしておきます。

 友達というのは、お互いに助け合い、言いたいことが言い合える、一緒にいて居心地の良い存在でなければなりません。多少のストレスを感じることはあっても、最終的にそれでも一緒に居たいと思えるのが友達です。そうやって振るいにかけていくと、自ずとその数はごく少数に絞られてくるはずです。その人たちを大切にすることが重要で、数の多さが問題ではないのです。

 それなのに、友達は多ければ多い方が良いという思想を植え付けてくる悪の権化というべき存在が学校です。教師は、ことあるごとに「皆と仲良くしなさい」と言ってきます。異なる価値観を持った人間の集合体である学校で、そんなことができるはずがありません。当然、紛争が起こるわけです。そうすると、教師は「喧嘩はやめろ!仲良くしろ!」と生徒たちを叱責します。怒られたくない生徒たちは、自然と価値観の合わない生徒と距離を置くようになります。そうしたら、また教師が「どうして一緒に仲良くできないんだ!」と怒り出すのです。本当にどうすりゃ良いんだという話です。
 価値観の異なる人間と争う必要はありませんが、繋がらないという選択は与えられるべきです。世の中のストレスの多くは、人間関係によって生じます。ただでさえ現在の日本は、ストレス社会と呼ばれているのに、わざわざ自分からストレスを吸収する必要などありません。本当に友達と呼べる人たちとだけ繋がっていれば良いのです。友好関係はできるだけミニマム化して、ストレスを最小限に抑えることが、現代社会を生き抜いていくのに重要なことではないでしょうか。

 こういうことを言うと、クラスではぶられた人はどうすればいいのか?グループ化が進んで閉塞感を抱くようになるのでは?などの疑問が出てくると思います。これらに関しては、また別の機会にお話することにしましょう。

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所謂「意識高い系」は、ブロックしてしまうのが吉。
空気的に繋がったこういう人間の自慢話が、非リア充というコンプレックスを与えるのです。
友達は選べ!友達100人なんて必要ない!

なかむら ひろしのTwitter

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