Instagramという修羅の国

文:なかむら ひろし

 皆さんはインスタグラムをやっているだろうか?私も最近アカウントを作ったんだけど、まだ全く何も投稿していない状態。そろそろ何か投稿しようと思うので、良かったらフォローして下さい。なんて宣伝したところで本題に入ることにしよう。

 何年か前、『しくじり先生』というテレビ番組でGENKINGさんがインスタに写真を投稿するためだけにブランド品を買っては売るを繰り返した結果、ローン地獄に落ちたという話をしていた。インスタをはじめとしたSNSにあまり興味のない人なんかにとっては正気の沙汰ではないと思うんじゃないだろうか。

 もっと小さい話だと、インスタに写真を投稿するためだけにタピオカドリンクを買って、後は飲まずに捨てるなんて人もいるらしい。こちらも同じように理解に苦しむ話だと思う。そして、この話は「食べ物を粗末にする奴は生かしちゃおかねえ」というコウケツ様みたいな方々から怒りを買って炎上したそうだ。

 え?コウケツ様って誰だって?いや、今回はそっちじゃない。こういうインスタにハマる人たちのことを私も9割9分9厘は理解できないが、1厘くらいは理解できるところがある。それはインスタが修羅の国だということはわかるからだ。え?修羅の国を知らない?まあいい、とりあえず『北斗の拳』を読んでみようか?

名も無き修羅

修羅の国、それは死の海の果てにある闘いの修羅しか生まぬ国。15歳までに100回の死闘を繰り返し、生き延びた者だけが修羅と呼ばれ、修羅となった後も数百の屍を築き上げることで、やっと一人前の修羅として、仮面を外し、名を名乗ることが許される。男子の生存率は1%らしいが、明らかに女子の方が少ないとか、名前のある修羅より最初に出てきた名も無き修羅の方が圧倒的に強いじゃねえか!という突っ込みどころも多い国。それが修羅の国。

 人がモノを買うのって、基本的にそれが必要だからだよね。生きていくためには飲み食いしなきゃいけないわけだから、食料品を買うなんてことは当たり前。だけど、生存のためだけに食料品を買ってるんだったら、業務スーパーやドンキホーテで売ってるような安いモノだけを食べていれば良いわけなんだけど、いかりスーパーや成城石井で買い物をする人だっている。また、漫画や映画、ゲームや音楽といった生存に直接的には関係ないモノにもお金を使ったりもする。それはただ生きてりゃ良いわけじゃなくて、より生活を豊かにしたいという欲求があるからなんだよね。

 だけど、GENKINGさんやタピオカドリンクを飲まずに捨てる人たちの行動は生活を豊かにしてるのかって言われたら、答えはノーだ。じゃあ、彼らはなぜ一見すると無駄にしか思えないような行動を取るのかというと、承認欲求を満たすためなんだよね。平たく言うと、「すごい」「羨ましい」って言われたい。皆さんにも少なからず承認欲求ってあるでしょう?当然、私にだってある。何か行動する時の原動力のひとつになるものだから、必要なことだよね。

 じゃあ、どんな時に他者を「すごい」「羨ましい」と思うのかっていうことを考えてみて欲しい。それは他者が自分や身近な人間にはできないことをした時だと思うんだよね。他者が自分や身近な人間が当たり前のようにできることをやったからって「すごい」「羨ましい」なんて思わないはず。絶対評価ではなく相対評価、他者との比較によって生まれるんじゃないかな。

 例えば、あなたは年収1000万円の人をどう思うだろうか?ほとんどの人は「すごい」「羨ましい」と思うはずだ。だけど、あなたがもし年収5000万円だったらどうだろうか?きっと「すごい」「羨ましい」なんて思わないはずなんだよね。

 人間は大体同じようなレベルの人と一緒にいることが多い。高校とか大学なんて同じような学力の人が集まるわけだし、就職しても同じようなレベルの学校を卒業した人が集まってくるわけだから、ちょっと頑張って、周りよりも頭ひとつ抜け出すことができれば、「すごい」「羨ましい」って思ってもらえる。

 それがインスタになると、相手が世界中の人々になっちゃうんだよね。まあ実際には言語の問題なんかで日本中ぐらいには収まると思うけど、それでもすごく広いよね。一般ピーポーの我々からしたら、自分よりも高いステージに立ってる人なんて山ほどいる。そんな人たちから「すごい」「羨ましい」なんてなかなか言ってもらえるもんじゃない。クラスや職場の人気者くらいじゃ羅将·渡辺直美の足元にも及ばないんだよね。

 それでもインスタという修羅の国に渡り、修羅を目指して涙ぐましい努力をする人たちがいる。やっと修羅になれても、仮面を外すことも名を名乗ることも許されない名も無き修羅。それでも修羅になれたらまだ良い方で、ほとんどの人がインスタをやめるかボロとして生きていくことになるんだけど、どうしても修羅になりたい人がいるんだよね。そういう人が無茶をしちゃう。それがGENKINGさんなんだけど、あそこまでやっても『砂時計のアルフ』レベルに過ぎないんだから恐ろしい世界だよね。

 別にインスタのフォロワー数とか「いいね」の数がその人の価値ってわけじゃない。渡辺直美さんが日本人の頂点だろうか?名も無き修羅が手負いだったとはいえ金色のファルコを倒したんだから、羅将は別格だとしても、サモト様なんかより遥かに強い。郡将カイゼルよりも強いかもしれない。インスタではボロでも正体はシャチだったなんてこともある。何も悲観する必要なんてないんだよね。

 ただ、そんなことはわかっていても、自分の承認欲求だけでなく、他者の承認欲求からも逃れられないのが修羅の国。ネットやSNSの発展で人との繋がりが希薄になったなんて言う人がいるけど、逆に我々は不特定多数の人と繋がり過ぎてしまっているんじゃないかと思う。嫌でも他者の自慢話が聞こえてきて、自分が名も無き修羅やボロであることを思い知らされ、自尊心を傷つけられる。

 果たして、救世主が死の海を渡って、この修羅の国を訪れる日がやってくるのだろうか?

なかむら ひろしのTwitter

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