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食い散らかされ、消費されていったサブカル畑の肖像

文:田渕竜也


 「こちら側はもうダメだ。食い散らかされて死んでいくのも時間の問題だ」っと話を聞いたのは大阪のとあるサブカル系バーの店主の話である。

 僕の方もサブカル関係にはいろいろと憶えがあったのでよくよく話を聞いてみると、そのサブカルバー周辺では近年、テレ東の深夜ドラマに出てきそうないわゆるサブカルクソ野郎たちの観光地として盛り上がっていた。
 だけど2019年に入ってから、そのサブカルクソ野郎たちが別のサブカル系が集まっている雑居ビルの方へ移動してしまったため、最近ではめっきり人が減ってきたという話。簡単にまとめるとそんな話だ。
 かろうじてそれまでの常連やその時代のサブカルに染まりきった人たちはまだいたとしてもそれは首の皮一枚で繋がったような状態。しまいにはそのサブカルバーが集まっているビルの一部が中国系企業に買われてしまったそうだ。
 「ここももう長くない」とその店主はこの先の未来は暗そうに話していた。

 僕のような鳥貴族のメガハイボールで満足する人間にはこういったコンセプトバーという空間はどうにも他人事のように聞こえる。だけどサブカルどころか地底に潜り込んだハードコア人間側からすればその火種は対岸の隣国での出来事であるけど、その対岸では野盗が「ヒャッハー」って食い尽くされ崩壊していく隣国が見て取れる。

 サブカルの話で振り返ってみれば、クラスの陰キャまではいかないけどどこか冷めて学校のクラスを「まだジャンプなんかで盛り上がってんの?」「あんな大衆の情報で踊らされるアイツらってバカじゃない・・・」みたいな自分が何か特別な存在であろうとするところにアイデンティティーを見出していたような気がする。そしてコミックIKKIとかガロ系漫画やナゴムレコードの音楽、中島らもとか寺山修司の本を読むようになり、何となく美大を受けようとするけど予備校で挫折してデザイン専門学校行ってなんとなく演劇をやり始めてそのままDTPオペレーターみたいな人生を歩む人がサブカルブラッドルートだった。ある意味、セカイの中でオンリーワンを目指そうとする中二病みたいなもんだな。例に出したのは極端かもしれないけれど、要は何かを拗らせて重箱の隅のような道をはずれたものを買ったり聞いたりしているような人たちだ。

 思うにこのサブカルっていうジャンルがそういったカルチャーを趣味とするところではなく、いつのまにかファッションとライフスタイルとして認知されていった結果、「こういうのがサブカルだよな」みたいな見た目が先行した形のパッケージ化されていったと思う。形容し難いけどなんとなく「サブカル」っていう言葉を聞けばその姿はみなさんならなんとなくは想像がつくだろう。

現代サブカルの正体

 それにしてもこの「サブカル」っていう意味自体の範囲が広すぎて一言では収集がつかないような気がする。

 そもそものところで80年代に「サブカルチャー」という言葉が広まった当時ですら漫画、アニメだけじゃなくAVやオカルト、新宗教、竹の子族にいたるまで、サブカル扱いになっていたわけだからその正体を掴むのって雲をつかむように難しい。

 恐らくサブカルという言葉を聞くと一般的にオタクやピアスだらけで髪色が変なヴィレバンの店員みたいなイメージを思い浮かぶ人が多いかと思うけどこのイメージですら両者ともに対極にあるような種族だ。これだけでもこのサブカルっていう言葉が如何にふわふわした言葉か分かるだろう。

 だからサブカルってなんとなくはイメージはつくけどその姿や形を説明するのができないのではないだろうか?

 「サブカルクソ野郎」っていうキーワードがよく聞くようになったのはモテキ以降の話。フェス!ナタリー!浅野いにお!アイドル!下北!みたいなあれ。まるでゴシック建築のような一貫性のないカルチャーの羅列だけど現代の「サブカル」のイメージってこれがかなり近い。これが現代のサブカルの正体が大きくクローズアップされることになったポイントじゃなかと。

 確かにモテキ以前からサブカル野郎を嫌う傾向にあった。だけど「こういうのがサブカルだよな」みたいなパッケージされた形でメディアで大々的になったのはこれが火種となったと思う。

 そのいわゆるサブカルクソ野郎ってオタクとは全くの別人種。黒人、白人以上に人類と猫ぐらい違う。考えて欲しい。オタクの本棚に浅野いにおの漫画って想像できますか?リリーフランキーを崇拝してそうですか?そんなオタクなんて見たことない。逆にきんいろモザイクを持ってるサブカルなんてものも見たことない。ここから見えてくるのはやっぱりサブカルとオタクとでは全くの別だということだ。

 同じようにサブカルクソ野郎とヴィレバンの店員に近いようだけどこれも微妙に違う。近いようでなんか違う。今、話にしているのはピアスとか髪色もないもっと無色透明に近いいろはすのみかん味みたいな奴ら。

 極端な例を出せば黒のXLのトレーナーにメッチャ白い肌に加工した自撮り、ハッシュタグで邦楽ロック好きと繋がりたいみたいな人種の人たちではないだろうか?今回問題にしているのはこの人たち。SNSを使い慣れたインフルエンサー的立ち回りをやってる人たちのこと。

 今のサブカルの正体ってパリピになんだと思うんですよ。パリピって常に流行を追っかけてるわけじゃないですか。クラブでEDMに行ったかと思えばトラップに行くしテキーラ飲んでると思えばコカレロを飲んでたり、あいつらって常に流行に対して流動的だし廃れるのも早い。サブカルも同じで米津玄師かと思ったらKing gnuだったり、フェスでオフやったり、自撮りで釣ってSNSで絡んだりしてるわけですよ。現代と過去のサブカルとでは音楽や書物の前に流行というファッション性が先回りしてしまったんじゃないかと思う。

 話ちょっと逸れるけど、僕が学生の頃ってやたらと細眉毛が流行っていた。太い眉毛なんて両津ってあだ名になってたんだけど今って太眉毛がトレンドじゃないですか。あれだけみんな太眉毛をバカにしていたのに今では真逆なわけで、流行って言ってしまえば矛盾をはらんでいる。矛盾が起きるからこそ消費が起こるし、捨てられもする。

 だからその結果、トレンドを追う人たちが多くなったテリトリーではその土地が食い尽くされた後は別の土地へ行くように常にジャンクフードのみたいに消費していく。

 現代サブカルっていう世界はこの先もっと先細りしていくんじゃないかな。最初の方に言った大阪ミナミのサブカルバー群から移った人たちもまた次のトレンドが浮いてきたらそっちに行くだろうし。

 だって彼らの正体はサブカルじゃなくてパリピなのだから。

 まぁどっちにしたってとにかくサブカルっていうのはもう泥舟状態。もうあんまり中島らもみたいなサブカルヒーローも出てこなさそうだしね。

 それでは

田渕竜也のTwitter

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