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2020年、”フュージョン”で生きていく?”80年代シティポップ”で生きていく?

文:田渕竜也

 生活習慣というものはなかなか変えられない。特に「環境を変える」っていうものがそうなんだけど「さぁ、何かあたらしいことやるぞ!」っていうときはめちゃくちゃ張り切れる。だけどいざ「やる」っていうときに限って「やる気」っていうものは急に消えうせる。RCサクセションの『雨上がりの夜』のように肝心な時に限って発車できない。

 自分でもわかっているんだけど、何かを変えるというのはソウトー面倒臭い。そして強い力の意思が必要だ。

 音楽の好みでもそうだYoutubeでいつもと違うものを探そうにもSpotifyなんかで聞いたことない音楽を探そうにも結局、知らないうちに元にいた場所に帰ってくる。「なんだやっぱりNARASAKIのギターいいなぁ」っていう具合でCoatar of the deepersに「もうこの曲飽きたな」って思っても回りに回ってまた戻って来る。まるで神の見えざる手に操られているようだ。

 まぁこんな話はどうでもよくてとにかく何かを変えたいとかそれをなんとかなんとかするのってめっちゃ体力がいる。いつも聞いている音楽一つでもなぜか人は新しい境地へいくことすらためらってめんどくさがるからなおさらの話だ。「Marshmelloの新曲がある。やっぱめんどいからいいや」みたいにどうしてこんなに新しいものってめんどくさいのだろうか?

 例えばなんですけど広大な荒野でめっちゃお腹すかせている時にマクドナルドと良くわからないハンバーガーショップがあるとするじゃないですか?多分、大多数の人がマクドナルドを選ぶと思うんですよ。
 これって知らないものに飛びつくのって心に余裕がある時にしか行かないんだと思うんですよ。だから空いた時間とかパッと何かの拍子に音楽を聞こうとするといつもと同じやつを選んでしまう。無意識のうちに考えるというメモリーを節約している。
 やっぱり知っている方をとる方が思考するのが楽だし、がっかりするリスクはない。

 この流れって大人になればなるほど拍車をかけてくる。だっておっさんとかいつまで「ビートルズ」って言ってんだよって思うかもしれないけど、あの人たちってもう新しいものを探す体力がないんですよ。もう考えることをやめた結果。だってそうでしょ。家に帰れば家族、朝になれば会社。こんな生活で新しいものを取り入れるなんて無理。だからティーンだった頃の思い出に浸るしかないんですよ。

 と、まぁ今回は何かを変えたい人の後押しになればと思いながら聞いている音楽を変えて見てほしいというテーマで行きたいと思います。普段聞いているハードコアを脱ぎ捨てて新たな新世界に入ってみよう。

 昨今のネット界では日本の80年代シティポップ、並びに80年代ジャパニーズフュージョンが密かな人気を博しているらしい。シティポップと聞くと最近ではSuchmosとかceroみたいな音楽を連想したり、アシッドジャズみたいな音楽をを連想されたりするかもだけど、もともと本来のシティポップの感じとしてStealy danとかAORに近いサウンドの感じになるかと思います。

 そもそもシティポップという単語自体が結構フワフワした広範囲の意味を含む言葉でもある。だから決定的なジャンルとしてこれが何かをを決めるのは難しい。だけどなんとなくではあるけど脳裏にあるサウンドはあるのではと思う。
そしてこの80年代のシティポップの延長線上に渋谷系があるんじゃないかと僕個人としては思っています。
 このシティポップ復興に伴ってその時代のバックバンドなどでサウンドを支えたフュージョンも一時期はスーパーのBGMとも揶揄されたけど近年はチルな感覚がインターネット界で普及した結果、その人気が復活しつつある。

 この80年代リバイバルみたいな復活の流れはYoutubeの「深夜に聞く〜」みたいな詰め合わせやチャンネルが人気復活の火種だ。検索すればいくらでもできます。
NIGHT CITY CityPop シティポップ 80s Japanese Mix

 検索したサムネイルを見てもらえれば分かると思うんだけどほとんど懐かしさを覚えるアニメだ。
 で、この手の音楽が海の向こう側のオタクたちを中心に流行ってきている。山下達郎のコメント欄なんてほとんど英語だ。こんな思いっきり日本語で歌っていても余裕で数万という再生回数を叩き出している。いまでもこの界隈はのびていて、このシティポップの音源を買い漁りに海外から日本へ来るなんてケースも多いぐらいである。

 外国人たちに受けた理由はブルーノ・マーズやマーク・ロンソンたちのファンクリバイバルだ。EDMとかTrapなんかの派手な音楽に飽きた人たちがチル、つまり静けさを求めたのがLofiなものとなってその結果がこのシティポップムーブメントとなったんじゃないかと個人的には思う。

 じゃあ、シティポップがどういう音楽かは、とりあえず竹内まりあと山下達郎夫妻を聞いてみるとわかり易いかと思う。
Plastic Love-竹内 まりや

SPARKLE-山下達郎

 どうですか?わかる人なら気がつくと思いますが昨今言われているシティポップとはシャコとエビぐらいに音楽が違うかと思います。わかりやすく説明するとルーツ。
 シティポップといえばグルーヴ感だったりするけど、80年代シティポップのルーツはソウル・ファンク。現代シティポップってヒップホップ・アシッドジャズがルーツになる。だから根本的なノリが違う。

 このなんとなく懐かしさを覚えるレトロな雰囲気なんだけどそれがかえって時代に埋もれてない。おそらくなんだけど80年代シティポップってラジオから流れることを主戦場にしていたんだと思うんですよ。車の運転に聞き流すのにちょうどいいデートソングみたいな感じ。そこがこの当時のシティポップの戦いの場だったんじゃないかと。ではいまのシティポップはどこかというとYoutube。つまり想定している利き手が複数人いるか単独であるかというのが80年代と現代のシティポップの違いがあると思うんですよね。だから複数人を想定している80年代シティポップは現代シティポップを差し置いて海外でも受け入られたんじゃいかな。向こうはパーティ文化だし。

Casiopea – Mint Jams

 こちらはフュージョンという音楽。理論的にはジャズのものを用いてソウルとかファンクのビートに乗せた音楽という認識でも十分かと。なんかすごくノスタルジックな気持ちになる音楽だけど同列に扱われているシティポップではないと感じるのではないだろうか。

T-SQUARE-TAKARAJIMA

 あとT-Squareなんかもフュージョンの代表格ですよね。インストでグルーヴよりテクニカルさを感じればフュージョンという認識でも間違いはないかもしれない。ただフュージョンって基本、リスナーというよりもプレイヤーありきの音楽でもあるので、若干オタ臭さは拭い去れない一面はある。だからシティポップよりも単独で聞くか一人で聞きながらギターやベースをコピーするのがよくあるルート。ただフュージョンはコピーができても絶対にモテないのでそこは認識しておこう。フュージョンの世界ってあくまでオタの世界なので。

どうでしょう?いつも聞いている音楽から新しい境地はいかがだったでしょうか?
このシティポップムーブメントの中心はオタクだ。それも音楽の作り手ではなく、既存の80年代アニメと80年代シティポップをマッシュアップするというDJ的な発想で生まれたと思う。だから聞き手がムーブメントを作れる時代それが現代なんだろうなと。

それでは

田渕竜也のTwitter

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