やっぱりCoalter of the deepersが好き
シューゲイザーが好きだ。と言ってもきのこ帝国のようなゆるふわなあーいうグータンヌーボみたいなのではなく、ギターの轟音と音楽における実験性のあるやつが好きなのである。
もういい歳になった僕なのだが、いまだに真剣に「どのバンドが好きか?」って話しになることがある。そうなると僕はやっぱり「coaltar of the deepers」と真っ先に答える。周りから「それってシューゲイザーでの話だよね?」って聞かれても僕の答えはビートルズからcannibal corpseまで含めた中でもやはりトップクラス。
とにかく僕はNARASAKIが作り出すギターの轟音と音楽の実験性が好き。こんなバンドは今の所なかなかほかは見つけられない。多分、ずっとこの先もこの人らの影響は受けつずけるんだろうなって。
思うんですけどコーヒーを作って飲み始めた人ってマジの天才か狂人だと思うんですよ。「なんか豆焼いて、なんかすり潰して粉をみずに溶いて飲んだら苦い」これを飲み続けるなんて普通の人は考えないですよ。苦いと捨てるでしょ?普通。
だけどシューゲイザー周辺の人ってある意味この発想に近いと思う。だって普通ギターのノイズや轟音なんて忌み嫌われる。耳元でギターのフィードバックを鳴らされるだけで「うるせー」ってなるのにそれをあえて取り入れるんですよ。どうかしてますよ。だけどコーヒーの苦味と同じでなぜかそれが恋しくなってずっと聞いてしまう。ギターの轟音が好きなのはカフェイン中毒にも似ているのかもしれない。
そんなどうかしているシューゲイザーの発想にさらにヘヴィメタルのエッセンスなんかを取り入れたのがこのCoaltar of the deepersを率いるNARASAKIである。言うなればコーヒーの中にさらにタピオカを入れてみましたーみたいな感じ。とにかくこの人の実験性は凄まじい、枠にはまらない。好きなものはなんでも使うし挙句にはアニメのエンディングにど真ん中のシューゲイザーを持ってくる始末。
DEAR FUTURE
一体何本ギターの音、録音しているんだろうか?こんな曲を聞いてしまったら頭の中で「ひとり朝まで生テレビ」が始まってしまうのだ。「ディレイは何分だ?」「シンセの音の位置はどこだ?」「このギターのミニマルなメロディはテクノとも言えないか?」
頭の中の空想は広がり、興奮のあまりに出てくる答えはこの一発。「なんだこれ、カッケェ!」
これがアニメのエンディングになるなんてどう考えてもおかしい。というよりこれ採用した監督がどうかしてる。だけどそんな幾原監督が大好きだ。多分、世界で一番かっこいいアニメソングのリフだと思う。
Cell (Cat E.P.1)
逆に聞くけどこのギターのダメでカッコよくないところってどこですか?良さを説明しろと言われても無理。かっこいいものはかっこいい。
この世界に不確定性原理っていうものがあって物理や科学だけでは説明つかないことってあるんですよ。それこそ神のみぞ知るセカイ。要は説明できないものはできない。
こんな語彙力を投げ捨てるような話になってしまったけど、一応どこが好きかというとギター。音が好き。えぐい。とにかくヤバイ。あと声も好き。ヤバい。本当にかっこいいものはこんな感想しか出てこない。
NO THANK YOU
ヤバい。イントロだけでぶっ飛ぶ。曲の題名が「結構です。」ですよ。最高じゃないですか。
今回はあまり説明らしい説明がないけど一人でも多く彼らについて知ってもらいたいから頑張って説明していきたい。
ここまで聞いてもらって薄々は感じてもらえてるかもだけど楽曲の振れ幅がかなり大きい。アルバムごとでもシューゲイザーという枠組みの中でもテクノからデスメタル、さらにゴシックロックみたいな音楽や環境音楽のような音楽まで幅が広すぎる。
そもそもでいうとこのギター兼フロントマンのNARASAKI自身がシューゲイザーからの影響、さらにThe cureやNapalm death Dinasor Jr、YMOに至るまで幅が広いから無機質なテクノを持ってきたり、グロウルボイスを絡めてくるハードコアナンバーを引っ張ってきたり、割とポップな音楽をやったり掴み所はないけど聞けば一発で「あっ、NARASAKIの音だ」ってわかる。
c/o/t/d
恐らく一番の代表曲になるんだけど、納得の轟音と疾走感。ギターソロに入る前の一旦ギターのストロークだけになる所でみんなやられる。サビらしいサビなんてないんだけどとにかく轟音のつぼを捉えて離さないかと思えば最後には耽美的な雰囲気で終わってあらゆる角度から音楽をぶつけてくる。死角なしの名曲。
今回はとにかく好きとしか言ってないような気がする。そろそろ本論に向かいたい。
シューゲイザーバンドって維持させるのってめちゃくちゃ難しいんだと思う。なぜならギター轟音っていう一つのイメージに括られがちだからだ。
シューゲイザーバンドで例を出すならMy bloody valentainなんて新しいアルバムができるまで20年ぐらいかかったんですよ。轟音とフィードバックが求められるから表現の限りができてしまうのも当たり前だ。かと言ってさらに売れようとしてRideみたいにポップな方面へ変化を起こすとそれは求められていないと言われてしまう。まぁこれはシューゲイザーバンドに限らずバンド運営において非常に難しい所だ。売れることを維持するのは難しい。
Coalter of the deepersの場合、シューゲイザーを地盤とするけどアルバムごとにバッサリと前作の作風が好きだった人たちをあっさりと切り捨てていく。「付いてくるなら付いてこい」と言わんかばかりだ。これで今の状態まで続いている。これはNRASAKIが他のユニットに参加しても同じだ。特撮にしてもどれにしても。
ゴスロリちゃん綱渡りから落下する
とにかく枠にとらわれない。これが彼らの強いところ。
例えば邦楽ロックっていう枠がある。明確な定義はつけれないけど、なんとなくはその音楽が何かは思い浮かぶと思う。これってもうリスナー側が邦楽ロックにおける枠がもう作られている証拠なんですよ。
っでバンドをやっている人もバカじゃないからその枠になんとか入ろうとする。ここに入らないと売れないと思うから。そんでそこに入ろうとするからこの界隈って意外と表現の幅が狭い。ギターをかき鳴らしてベースはスライドしているようなやつ。下北で石を投げれば五人ぐらいぶつけられるかと思う。まぁこれはこれでカッコよさはあるのだろうけど、枠を限定してしまう考えかたはなんか宇宙の限界みたいでなんか個人的にはあまり好きにはなれない。
枠から飛び出すからこそかっこいい。ヘヴィロックもやるしテクノもやる。シューゲイザーもやる。とにかくかっこいいものは全てをやる。それがCoaltar of the deepersなんじゃないかなと。というよりかっこいいからこそバンドなんじゃないかなと。
リスナーが求めようが、何バンドになろうが音楽的どうであれ「かっこいい」を突き詰めるだけ。まぁこれがバンドが売れるには難しいことなんだけどこれができるCoaltar of the deepersは本当にカッコいい。
「カッコイイ」ただそれだけである。
それでは。