ルッキズムとヒャッハーな人たち
随分と遅くなってしまいましたが、2020年初投稿。今年も我々、TEMPLAをよろしくお願いします。今年は所謂「リアルイベント」って奴をやるみたいなので、その時は是非お会いしましょう。
先日、知り合いの女性と映画やドラマの話になったんだけど、その方は本田翼さんが嫌いらしい。どうして嫌いなのかと聞くと、「演技が下手、顔が良いだけ」「よく見たらそこまで可愛くもない」なんていうルサンチマン丸出しの理由で思わず笑ってしまった。演技が好みじゃないで済ませればいいのに、容姿のことにわざわざ触れるあたりがね。きっと演技がどうこうよりも容姿で優遇されていると感じるのがより気に入らないのだろう。
この世の中、容姿による優遇あるいは不遇、所謂「ルッキズム」というものは確実に存在している。容姿に恵まれていない人たちが不平を訴えるのは無理もない。ユリアのような美貌があれば、どれほど人生が変わるのか、羨望の眼差しを送っているのだろう。えっ?ユリアを知らない?そんなあなたは今すぐ『北斗の拳』を読んでくれ。
ユリア
本作のヒロイン。南斗六星拳のひとりで、慈母星を宿星に持つ南斗正統血統。自身は拳法を心得ておらず、南斗五車星に守護されている。兄はリュウガ、異母兄はジュウザという美男美女ファミリー。ケンシロウと恋人関係だったが、シンに浚われてしまう。ケンシロウが浚われたユリアを助けにいくというのが本作の最初のストーリー。
良いところの子でぬくぬくと育てられ、世紀末最強のケンシロウと婚約なんて最高やんと思いきや、死ぬほど嫌いなシンに拉致されて自殺未遂、次は拳王様に拉致されて殺されかける。やっとケンシロウと一緒になれても既に身体は病に蝕まれていて、数年で死亡。うーん、世紀末の世界では最高の美貌を持ってしてもこの程度。キャラクターとしても浚われている期間や死んでいることになっていた期間が長すぎるため、リンやマミヤと比べて出番が少なく、人気が出にくいという二重の意味で「悲劇のヒロイン」と言える。
まあ僅かな余生をケンシロウと一緒に平穏に過ごせたという意味では本人的には幸福な人生だったと振り返っている感じだから良かったのかもしれないけど、客観的に見るとなかなか辛い人生。いくら容姿に恵まれていても彼ら彼女らなりに苦悩ってあるんだよね。
現実世界でよく聞く話で言うと、女性の場合だと性犯罪の被害に遭いやすいっていうのはあるよね。また、男女共通の話で言うと、正当に評価されにくいってところかな。本田翼さんだって、ぼーっとしてたら人気が出て、ドラマの主演のオファーが来たっていうわけじゃない。彼女なりに一生懸命やってきたはず。そこら辺をすっ飛ばして、容姿だけで売れたみたいな言い方をされたら、本人も気が悪いと思うよ。
容姿に恵まれていない人たちにとってはそんなことは些細な問題に過ぎないみたいに言ったりするかもしれないけど、本人が幸福かどうかなんて主観的な問題。容姿に恵まれていない人が容姿に恵まれた人から「ブスは痴漢に遭わないから幸せだよね」なんて言われてもムカつくでしょう?でも、被害に遭った人からしたら、煽りでも何でもなく本心で言ってることだってあるんだよ、きっと。
最初に言ったけど、そうは言ってもやっぱりルッキズムというのは存在していて、容姿に恵まれていない人たちが不遇だったりするのは世紀末でも同じなんだよね。『北斗の拳』に登場する女キャラクターって、私が確認する限り、美人ばっかりなんだよね。美醜の判断っていうのは個人差があるにしても、ある程度は納得して貰えると思う。小さい頃はこれを不思議に思ってたんだけど、今ならこのように解釈できる。容姿に恵まれていない女性は真っ先に容赦なく殺されていた。
まず、暴力が支配する世紀末において、生存していくには相当の戦闘力が求められる。一般的に戦闘力が低い女性は不利だし、それ故に標的にされやすい。男性だって、村人レベルでもやたらマッチョだったりするぐらいだからね。マミヤみたいに並みのモヒカンレベルが相手なら同等以上に渡り合えるくらい強かったら良いんだけど、そうじゃない人は戦闘力の高い人に守ってもらう必要がある。
ただ、水も食糧も不足していて、他者を守る余裕なんてない時代。必然的に家族が優先になるのは当たり前だよね。だから、パートナーとして選ばれやすい美人が多く生存しているんだと思う。また、美人は性的な需要も高いから、アイリのように殺されずに生け捕りにされるケースが多いことも影響しているのかな。まあそれが幸福かどうかは別問題だけど。
そんな感じで世紀末の世界の女性が生存していくには容姿が結構重要なファクターになっていると言えると思うんだよね。男性の場合も強そうに見える容姿というのはアドバンテージになり得るかもしれないね。まあ現実世界はここまで秩序のない世の中かって言われたら、少なくともこの日本ではそんなことはない。あんまり参考になりそうにないけど、ひとつだけそんな場所があるとすれば、ネットの世界だよね。
芸能人とか有名人なんかは当たり前のように容姿のことを言われているし、顔出ししているYouTuberなんかもコメント欄に動画の内容とかじゃなくて、(誹謗中傷だけじゃないにしても)容姿についてのコメントが山ほど付いている。社会性の低い小学生くらいの子供ならアレだけど、普通面と向かって相手の容姿のことを悪く言わないよね。それがネットの世界だと当たり前のように行われている。もちろん全員が全員じゃないけど。
面と向かって容姿のことを悪く言わないのは、相手を傷付けることになるからやらないっていうのが普通だとは思うけど、無駄な紛争を避けたいというのもあるだろう。世の中、美男美女ではない人が多数だから、「鏡を見てから言え」みたいにそのまんまカウンターを食らうリスクも抑止力になっているんじゃないかな。ただ、匿名性のあるネットの世界ではこの抑止力は働かない。メディアで顔出しするにはそれなりの精神力が求められるなんて言われるけど、さすがに限度はあると思うよ。
容姿のことを悪く言うなんていう行為はどんな人でも簡単にできる最も幼稚でしょうもない暴言だから、本来ならさほどダメージを与え得るものでもないような感じがしなくもない。ただ、匿名であるが故により本心が反映された率直な意見とも言えるわけで、受け取る側も過剰に反応してしまうところが問題をより複雑化しているような気もするよね。
結局、容姿のことを悪く言う人たちっていうのはヒャッハーな人たちと同レベルだから、通報、ブロックやミュートという秘孔を突くぐらいしか自衛の手段はないのかなあなんて。ネットってコミュニケーションツールなのにコミュニケーションの方法を閉ざすという回答が現状ベストアンサーってあたりが何とも皮肉な話だよね。
ここまでの話はメディアで顔出しなんてしない人にはあまり関係ないかもしれないけど、ルッキズムが浸透してるのは何もネットの世界だけじゃない。容姿が直接的に収益に繋がるようなお仕事、モデルなんかを除いても、容姿の差が就職に大きな影響を与えているなんて話がある。お隣の韓国では就活前に整形手術を受けることが男女を問わず、流行っているなんて話だ。どこかで言ったことがあると思うけど、日本でもそれなりに名の知れた企業の採用試験を受けると、最終面接になると容姿の悪い人がほとんどいなくなるんだよね。これって偶然とは思えない。
容姿の良い人は能力も高く見えるから、幼い頃から他者を引っ張っていくような役割を与えられやすかったり、ちやほやされて自信が付くっていうのがあるのかなあなんて思ったり。やっぱり不細工って言われ続けてきた人よりも社会性は身に付きやすいんじゃないかな。単純に全員が容姿で判断されているんじゃなくて、後天的な要因も大きいのかと思ったり。
容姿に恵まれていない人たちにとっては、とても残酷な話ではあるんだけど、そんな人たちだって本能的に醜いモノよりも美しいモノを好むわけだから、脳や身体能力と同様に容姿だって、その人の才能だと認めざるを得ないところはあるよね。
そして、客観的であれ、主観的であれ、美醜の判断を行うことができない世界なんて未来永劫訪れることはないし、そんなことは皆が解かっている。だから、容姿によって判断されるという現実を黙認したり、嘆いたりするしかない。ただ、中には己の性格や言動を棚に上げて、レイシストだと攻撃したりする人たちがいる。こうなってしまったら、ヒャッハーな人たちと何ら変わらないように思える。こんな無間地獄から抜け出すには国民レベルを向上させるしかないと思う今日この頃。