もっと素直になろうぜ

文:なかむら ひろし

 先日、友人と食事する機会があったんだけど、そこで仕事の愚痴を散々聞かされるはめになった。ネガティブなことを言う人間と一緒にいてはいけないみたいなことを言う自己啓発にハマった意識の高い輩もいるが、私は別に苦じゃないし、むしろ良いネタになるんじゃないかとワクワクしてしまう。はいはい、下衆で悪かったな。

 その中で特に印象に残っているのが、彼の上司が未だに仕事は「教わるよりも盗め」というスタイルであること、具体的な数字や根拠のない勘と経験に基づいた指示を繰り返し、成果が出ないと部下の能力や努力に問題があると怒鳴り散らすという話だ。名前は出さないが、まあ誰もが知っている昔からある企業。こんな旧態依然とした体制でよく保っているものだ。

 その上司とやらはこれまで実際にそうやって仕事をしてきて、出世したわけだから、それなりに自信があるのだろう。部下にも同じように接するというのは当然と言えば当然のことかもしれない。ただ、そんな時代はとっくに過ぎ去っているんだけど、時代の変化を受け入れる=己のこれまでの実績や価値観を否定することと捉えているんだろうね。人間にはプライドがあるから、頭の中では変えた方が良いとわかっていたとしてもなかなか変えられない。

 もっと素直になろうぜ。そんなんじゃ、妖星のユダみたいになっちまうぞ。え?妖星のユダを知らない?そんなあなたは今すぐ『北斗の拳』を読んでくれ。

ユダ

南斗紅鶴拳の伝承者、妖星を宿星に持つ男。人は裏切りの星と呼ぶが、本人曰く、妖星とは美と知略の星らしい。南斗聖拳崩壊の元凶のひとり。グラムロックのような派手なメイクに褌姿で初登場。読者を震撼させた。レイとの最期のやり取りでゲイだと思われがちだが、恐らくバイ。というか、美しければ性別という概念など必要ないのだろう。その割りに手下は汚いオッサンばかりだが。「切れろ切れろぉ」は誰もがプールで真似したはず。

 ほとんど同意を得られたことはないんだけど、私が南斗六星拳の中で一番好きなキャラクター。まあ完全に色物キャラだから仕方ないよね。でも、ユダのエピソード好きなんだよなあ。

 ユダが追求しているもの、それは究極の美だ。彼が言う美とは、自身の派手なメイクが示すように華やかな女性的な美と彫刻のような筋肉隆々の男性的な美のハイブリッド、それこそが彼の追求する究極の美。彼は鏡の前でこう呟く、「おれはこの世でだれよりも強く···そして美しい!!」

 皆さんは彼を見て、だれよりも美しいと感じるだろうか?恐らく誰もそう感じないと思う。実は彼自身もそのことに気が付いているんだよね。彼はレイの飛燕流舞を見た時、己が信じて疑わなかった究極の美という概念が音をたてて崩れ去ろうとした。しかし、ユダは崩壊しそうになった己の価値観を崩し切ることができず、嘘で塗り固めて補強してしまう。レイを醜く切り刻むことで、無かったことにしてやれば良いと、現実逃避に走ってしまうんだよね。

 ユダは自分の追求する究極の美というものを改めて見つめ直すチャンスをレイによって与えられたのにも関わらず、それを放棄してしまった。この時、素直に自らの考えの浅はかさを認め、新たな究極の美を求めて、精進していれば、南斗紅鶴拳をさらに強く、美しいものに昇華させることができたのかもしれない。レイは飛翔白麗を決めた後、彼にこう言った。

「衰えたな···ユダ」

 人間は新しい価値観に触れていかないと成長が止まる。どっかの夢の国じゃないけど、永遠に完成はしないんだよね。価値観が凝り固まって、頑固な人間になってしまうと、日々成長している人たちよりも相対的に衰えていくことになってしまう。そうやって、所謂「老害」が誕生する。 

 また、新しい価値観に触れてこないと、先鋭化してしまい、主義主張の異なる人間に対して非常に攻撃的になってしまう可能性が高い。ユダがレイを八つ裂きにしようとしたみたいな感じで、自分の想定していなかったものは排除することで正気を保とうとする。これもネットなんかを見てると顕著に表れているよね。

 あと、新しい価値観に触れるって言っても、その価値観自体が新しい概念ではないといけないわけじゃない。古くから存在する価値観がすべて後進的であると決め付けるのもまた自己の成長を阻害する。良いモノは良いと素直に受け入れる寛容さが重要。

 まとめると、『北斗の拳』というタイトルは知ってるけど、読んだことはないっていう若い方は是非読んで、新しい価値観に触れて欲しいということだ。きっと継ぎ足し継ぎ足しで設定がぐちゃぐちゃになっていくことに驚くことだろう。『北斗の拳』は引き際の大切さも教えてくれるのである。

 それでは健闘を祈る。

なかむら ひろしのTwitter

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