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バンドやっている人はなぜバンドもの映画に嫌悪を抱くのかを検証してみよう

文:田渕竜也


嗚呼それにしても・・・・・・・
鳴呼こんなにも・・・・・・・
私はある一本の映画に絶句している。
視聴中、怒りや悲しみ、恐れともつかない感情に、頭の中はまるでバジルが咲くが如くパニックになってしまった。サイテー映画として呼び声が高い『死霊の盆踊り』でも最後まで観れた僕だけど、その映画だけは我慢できなかった。無理だ。まるで視聴覚版ロボトミー手術だ。
これほど僕の理性をぶっ殺してくれた驚愕の作品。その名は「音量を上げろタコ何言ってるのかわかんねよ」っていう映画だ。
おそらくだけど僕の人生で見た映画の中でデビルマンクラスに匹敵する。いや、デビルマンはまだ笑えたからいい。話のネタとしては十分ぐらいに一流映画だ。だけどこの「音量を上げろタコ何言ってるのかわかんねよ」っていう映画、つまらないというより場面全体のギャグがそもそも何言ってんのかわからないし、笑いどころがわかりにくい、笑いのポイントも滑っているので共感性羞恥である僕にとってはまさに地獄のような映画である。全く笑えないというポイントではデビルマン以下すぎて、視聴を止めてしまえばフリスビーとしての活用法以外ない。
兎にも角にも阿部サダヲが出てくる映画には気をつけろということだ。私はただ単に八十八ケ所巡礼が出演するということで見たんだ。蓋を開いてみればパンドラの匣。絶望しか詰まってなかった。だからこれ以上語ろうとも思わん。
とりあえずこの映画を作ったスタッフは一度、周星馳の映画でも見てギャグとストーリーのメリハリの付け方を勉強してくれ。周星馳はすげーぞ!

ところで映画を見ていく中でバンドというものって結構地雷多くないですか?リンダリンダリンダ、少年メリケンサック、ベックなどなど数々の地雷を踏んでは死んでいった。
おそらくなんだけどバンドをやっている人ってバンドもの映画が苦手な人って多いんじゃないかと思う。なぜバンドマンはバンドもの映画が苦手なのだろうか?

例えば『ヲタクに恋は難しい』っていうオタクの恋愛を扱ったアニメ作品がある。これが結構、オタク界隈では嫌われているらしい。
何でも今のオタク世界では陽キャオタと陰キャオタで性格が二分しているらしく、このアニメ作品での好き嫌いはこの両者によって半々ぐらいに賛否は偏っている。
平たく説明しておくと陽キャオタというのがオタサーなどに属し「集団でオタクコンテンツを消費する」人たちで逆に陰キャオタは「単独で消費する」人たちのこと。

まぁそもそもでいうとディスプレイの中のピクセルの集合体を「嫁」って言っていた陰オタ連中からしたら、人の色恋なんていう記号が頭の中にあるはずもない。だからこの作品において陰キャオタたちが嫌っているのは決して自身のオタク特性によるマイノリティーっていう記号に対しての同族嫌悪なんかじゃないと思う。おそらく「そんなのねぇーよ」っていう陰キャオタ側からの声ではないだろうか。

言っちゃえばこの『ヲタクに恋は難しい』って作品の問題点ってケータイ小説の問題点と同じところなんじゃないかと思う。ケータイ小説ってレイプされたり、妊娠したり、流産したと思えばまた付き合って、元彼が病気になってまたくっ付くてな感じでディープな出来事が並ぶ。こんなの場末のスナックのママでも経験したことがないんじゃないかな。
ディープな出来事だけを並べてるけど、現実にはほぼありえない。まるで不幸という記号をアクセサリーにして着飾っているようだ。だからちゃんと生きていく経験を重ねた大人たちからしたらケータイ小説に対しては「薄い」という印象を持ったんじゃないかと。
現に00年代当時、この記号とは真反対にいる陽キャティーンエイジャーたちはこれを「リアル」と言って涙していた。多分、このリアルと感じたのは生きた経験が少ないからなんだと思う。
『ヲタクに恋は難しい』も同じでリアルな場で使われるネットスラング、笑ってるけど怒ってるギャグ表現、オタクとしてのキャラ配置に至るまですごく記号的でアクセサリー的。だけどこのオタクの要素ってただの飾りであって主軸は恋愛なんですよ。しかも付き合う過程じゃなく付き合ってからの。
だけど「オタク」というキーワードとオタクを登場人物にしたこの作品をオタクもの作品として見たら、こんなの陰キャオタからしたら「ねーよ」って感想しか残らないんだろうな。それに主軸の恋愛なんて頭の中にその記号がないから理解できないし当然イライラするんだと思う。

さて、またバンドやっている人がなぜバンドもの映画が苦手かっていう話に戻る。
結局、上で言ったことを踏まえるとバンドやっている人って完全に陰キャオタ側に入る。だって楽器というものを知っているし、バンドっていうものも知っている。知っているからこそ「ねーよ」っていうツッコミを入れてしまう。そのツッコミが増えれば増えるほど「バンド」っていう看板をぶら下げた作品に対し、内容が薄く感じる。
例えばNANAなんかは特にそれに当てはまるかと思う。この作品をバンド経験則から見ると「バンド活動という記号に置き換えて恋愛や青春をやっている作品」である。
いや、確かに恋愛・青春漬けのやつもいるよ。だけど実際は職業フリーターだし、見えない未来を追ってるし、金はどんどんと消え、痩せこけていく。ライブをすれば金が減るし、遠征に繰り出しても金が減る。そして限界を迎えたメンバーは失踪という最悪のケースにまで発展したりする。
そう現実はもっと残酷だ。恋愛の駆け引きなんてやっている時間なんてない。青春なんてものはとっくの昔に終わっている。

これじゃ陰キャオタと同じじゃないか。だからバンドもの映画を見ると「ねーよ」って思って嫌悪を抱いてしまう。だからバンドやっている人ってバンドもの映画が苦手なのではないだろうか?

最後にバンドをやっていた私ではあるので、そんな私からバンドやってる人でも楽しめる映画をいくつかご紹介しておきたい。

はじまりのうた

この映画監督であるジョン・カーニーがもともとバンドやっていたっていうことあって、音楽を奏でるだけじゃなく、売り込み、資金の獲得やレコーディングのコストの下げ方に至るまで「バンド」というものに対する想いがすごい。
あと最後の舞台であるニューヨークの街でレコーディングして街自体を作品にしてしまうコンセプトは最高にかっこいい発想。

爆裂都市 BURST CITY

ジャパニーズパンクの初期微動を感じるなら多分これをみればいいかと思います。映画として見るなこれは暴動だ。

24 Hour Party People

マンチェスターの大型クラブ・ハシエンダを中心に盛り上がったポストパンク、ニューウェーブの回顧録的作品。Joy divisionも出てくるしThe smithも出てくるしでめっちゃ好きな作品なんだけどどこにもDVDがないんだよな。昔おいてあったTSUTAYAはとうの昔に潰れてしまったし。

それではまた次回

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