ベッタリは逆に危険

文:なかむら ひろし

 プリンセス プリンセスの曲で「いつも一緒にいたかった」なんていう歌詞がありますが、本当にいつ何時も一緒というのは、恋人であれ友達であれ、なかなかきついものがあると感じるのは、筆者だけではないはずです。いつ何時もというのは極端な話ですが、毎日やそれに近いぐらい常に一緒にいるというのはきついものです。ひとりで勉強をしたい時もありますし、黙々とガンプラを組み立てたい時もあります。しかし、世の中にはいつも誰かと一緒にいないと正気を保つことができない人間というものが存在するのです。

 そんな奴はもう病気じゃないかと思ってしまいますが、現在の日本では意外なほど普通に存在しています。クラスに友達がおらず、昼休みに一緒に昼食をとる人がいないため、ひとりトイレで弁当を食べるという、所謂「便所飯」が流行っているなんていう話があるくらいです。ひとりでいることがとんでもない恥なんだと刷り込まれているのでしょう。
 逆にひとりでいる人間を過度にバカにする人間も危ないです。そのような行動を取っている手前、ひとりでいるところを見られるわけにはいかないということもあるのでしょう。

 友達というものは、常に一緒にいなければならない存在ではありません。お互いが会いたいと思い、お互いの都合が良ければ会えばいいのです。昨日会ったばかりなのに、会いたくて会いたくて震えるとか言われたら、西野カナさんでも逃げ出します。
 実は、「てんぷら」のメンバーも付きに1回しか会っていません。メンバーによっては、数ヶ月に1回しか会わない人もいます。筆者は他にも年に数回しか会わないような友達がいますが、関係は至って良好です。信頼関係さえ構築できていれば、会う頻度なんてほとんど関係ないのです。

 そうは言っても、「友達とはしょっちゅう顔を合わせるもんなんや!」という頑固な分からず屋がいるものです。中には、経済的な理由もあるのかもしれませんが、テラスハウスよろしくルームシェアなんかに憧れる輩がいたりするそうです。それで上手くいっているなら結構なのですが、関係が深まるどころか破綻するケースもよくあるようなので注意した方が良いでしょう。
 聞いた話では、家賃を折半していたところ、相手が家賃を滞納し始め、ついには行方を暗ましたなんていうこともあるようです。そうなると関係が深まるどころか、遺恨を残すことにもなりかねません。
 そこまでいくことはなかったとしても、一緒に生活すると、お互いの生活習慣にストレスを感じることもあれば、プライバシーが制限されることにストレスを感じることもあり、必ずしも楽しいことばかりではないということを肝に銘じておくべきです。一緒に生活するだけで関係が深まるなんて考えは甘すぎます。しょうもない理由で同棲を始めたカップルが途端に破局するなんて話も少なくないわけも分かるもんです。
 どうでもいい話ですが、同棲の「棲」という字の訓読みは「すむ」です。しかし、この場合は動物や魔物なんかに使われる字で、人間には使いません。巣の中で本能のまま動物みたいにバコバコやってるバカップルにはピッタリな言葉だと改めて感じます。

 話が逸れてしまったので元に戻すと、同じ家に住んで一緒に生活するまでいかなくとも、友達とはいつも一緒にいるべきだと考える人間に多く見られるのは、自分の都合を押し付けたがるというところでしょう。
 非常識にも夜中に電話してきて、「今○○と飲んでるんだけど、今から来てよ」なんて言って、「明日仕事だから」と断ると、「ノリ悪りい」とか「使えねえ」とか言ってくるゴミクズ共がその代表です。友達だったら、相手の迷惑を考えろって話ですが、あいつらはそんなことすらできません。あと、休み=暇と決め付けてくる奴とかもいますね。逆にあまりにも下から会うことをお願いしてくる奴も怖かったりします。

 あと、このような人間の特徴として、「友達だろ」とか「絆」とか「友情」とかいう言葉を多用する人間も危ないです。耳障りの良いような言葉ですが、実際に口に出す人間は危ないのです。恐喝紛いの使い方をする連中もいれば、疑心暗鬼の塊で常に確認作業を行っている連中もいます。
 前者の場合は、友達なら助けてくれて当たり前だと、何でも無理強いしてくる厚顔無恥も甚だしい、浅ましいクズなのですが、後者の場合は、友達という関係に村社会的な性質を持ち込んでしまったパターンです。村八分を恐れて、常に同調を求めるのです。ちょっと集まりに顔を出さなかったり、メールの返信(今だとLINEか)が遅かっただけで、「ノリが悪い」だの「俺らのことを軽視している」だの理由をこじつけて、爪弾きにするケースがあるので、自らがコミュニティから村八分にされていないことをアピールする必要があるのです。
 「絆」という言葉を辞書で調べたことがあるでしょうか?震災以降、ありがたがって使う人が増えたように思いますが、本来の意味は犬とか馬なんかの動物が逃げないように繋いでおくための綱のことです。あなたは、絆という名の鎖で繋がれてはいませんか?

 実は、これまで挙げてきた特徴に最もよく当てはまるのが、不良とかヤンキーとかDQNと呼ばれる人間です。彼らは仲間を最も大切にするなんて言われていますが、孤独を埋めるために同類でつるんでいるだけです。本質的には、孤独な人間と変わりません。そこに攻撃性が加わっただけです。
 普通、不良とは関わりたくないので、必然的に不良は孤立します。しかし、同じように孤立した不良となら分かり合える余地があるため、不良同士で繋がるのです。不良のコミュニティは絶対数が少ないなので、そこで上手くやっていけないと、新たなコミュニティに加わるには多大な労力を要します。その結果、過剰な繋がりを求めるのです。そして、裏切りは最大の罪と考え、その報復は常軌を逸していたりします。任侠の世界に通じるものがありますね。

 このように、過剰に繋がりを求めるとおかしな方向へ行ってしまう恐れがあるので、友達とは付かず離れずの適度な距離を保つことをオススメします。親しき仲にも礼儀ありとはよく言ったものです。漫画『聖闘士星矢』の一輝のように「俺は群れるのが嫌いだ!」と言って、いつも単独で行動しながらも、ピンチには必ず駆けつけるような関係って良いと思いませんか?

tbs_9
DQNポエマーのコミュニティは、村社会そのもの。
一度もめると、その地域では暮らせなくなるとか。
田舎のヤンキー共もなかなか大変ですなぁ~なんてまったく同情しないけど。
村社会を考えると、人々が田舎を離れて、近隣住民との関係が希薄な都市に移っていった理由がよくわかりますな。

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