バズる!燃える!100日後に死ぬワニに熱狂していた人たちの肖像
桜並木の先でワニが轟々と燃えている。そう、例のワニの件だ。
はい。
あれだけみんなしてクソコラや大喜利、考察なんかあったのに今ではgoogleの検索をかけると「ワニ 炎上」「ワニ 電通」そして「ワニワニパニック」。まだあるんですねワニワニパニックって。
手のひらくるくるというよりはもうひきちぎれている状態。そうなってしまえばもう手のひらをひっくり返すこともできない。
どうしてこうなった。
いろいろと思ったんですけどこれ、実はブームの時も今、炎上している時も騒いでいる人って結局、そもそもこのワニは好きでも嫌いでもなく面白いとも微塵にも思ってないんじゃないでしょうか?
どういうことか
まず、今回の漫画の特徴をあげていこう。
・何もない1日の四コマ
・画力が素人以下、そして素人が真似できる絵柄
・ストーリー性は基本、ワニとメスワニの恋模様が中心。
・キャラクターが動物
以上がこの漫画を構成している要素である。
まぁ本当に一言でバッサリ言ってしまうならしょうもないヘッタクソななんJのやきゅう民を緑にしたような主人公の漫画。
だから漫画本体に持つ魅力ってほぼほぼないと思うんですよ。あったとしてもポイントはただ一つ、時限爆弾式の命をライブに可視化させたところ。このライフがドンドンと減っていく過程の結末が気になって観にくる人が増えたんじゃないかな。
こんな暴論で終わってしまうとただの悪口になってしまうので、なぜ、そんな漫画がツイッター民を騙すことに成功したのかをもう少し突っ込んで考えてみよう。
この現象で考えられるのが「ぶっちゃけノリで来たんで説」である。
みなさんはラオウ昇魂式をご存知だろうか?。そう、2007年に行われた北斗の拳の宿敵ラオウの葬儀である。
この葬式って『真救世主伝説 北斗の拳 ラオウ伝 激闘の章』のプロモーションの一環だったんだけど、そこに来ていたとある女性が「ぶっちゃけノリで来たんで」と笑顔で答えたのである。好きでも嫌いでもないけどなんとなく単に人の群れを面白がって見にやってくる。おそらく彼女はラオウの「ラ」の文字も知らないだろう。
何も知らないけど人が多ければ人気に見える。ラオウなんかを知らなくても人が群がっていればそこがホットスポットであることを認知できる。
例えばタピオカ店の行列なんてその一例だろう。台湾って書いてあるけど本当に台湾にあんなのあるのかわからない。だけど流行ってるっぽいから並んでみる。
多分、ラオウの葬儀も同じことで、その人の群れを見た途端に映画『パプリカ』のパレードのシーンみたいになったのでしょう。
この流れは可視化できる「人の群れ」だけじゃない。
みんなが「この映画、面白いらしいよ」という噂もその映画が面白いと見せるようになる。
それはどういうことかというとつまらない映画でもなんとか理解しようと面白いと補完しようとするのだ。
これってつい最近起きていたんですよ。『カメラを止めるな』って映画があったでしょ?あれなんてその一例ではないでしょうか。
口コミで「面白いらしいよ」と噂を流すことでこの映画がつまらなくても面白いと思わなければ、その映画の奇異な演出についてこれない自分が時代遅れに見えてしまう。
あのチープな作風、二段オチ、しょうもない俳優の演技。それらを多数派の人たちが褒めればトレンドに追いついていないと勝手に思ってしまう。
これって世間ではこうですよという強迫観念を植え付けているのです。
あんまりこの映画のファンって見ないけどこんな脅迫的方法で「面白い」という評価を作り上げたからこの映画に好きと言える人が少ないのではないだろうか?
だけどあの映画はこのマーケティング法をあまり気付かれなかった。素直に社会はこの奇異な演出を受け入れて消費していった。
だからこの映画の凄さって作品云々というよりもマーケティングの気付かれなさじゃないでしょうか。ある意味、口コミ風マーケティングの聖書と言ってもいい。
ちなみにここまで説明した多数の意見が素晴らしく見える効果を「バンドワゴン効果」といいます。これからもツイッターを使い続ける人たちはこの言葉を覚えておきましょう。
多数とは逆に弱者であればあるほど同情して票が集まる現象を「アンダードッグ効果」といいます。こちらもツイッターでよく見かけますよね。ADHDの人の漫画が急にバズったりするのはこれに当てはまるかと。
今回のワニの件は何もないただ平凡な日常と免れない死という同情心からアンダードッグ効果でバズったと思われていた人って多いんじゃないかな。でもこれは全くの見当違いです。
あの漫画の登場人物たちは五体満足の日常があって、死という不幸以外は不幸というキーワードは出てきません。それに話全体で死を匂わせることもないし、死というテーマ性もない。その死は不幸というよりは終わらせ方といったほうがいいかもしれませんね。近いものの例を出すと『横道世之介』あれも何気ない日常と幕引きの死で終わる。
このワニの勝利ってそのまんま『カメラを止めるな』とマーケティングのやり方が全く同じなんですよ。
下手くそな絵で漫画としても面白くない漫画を「いいね」と思わないと自分がツイッタートレンドから取り残されているように思ってしまう。
そう、多数派というバンドワゴンに乗り込むために「面白い」「感動する」という感覚を化かしていたのである。
だから実際のところ誰もあの漫画に感情移入なんかしていなかったんじゃないだろうか?もしくは無理矢理、流行っているから感情移入させていたのではないだろうか?
おそらくだけどあそこにいた読者たちは無料で騒げる盆踊り程度にしか考えていなかったんじゃないかと。
多分、僕がワニと同じ真似したような漫画をやったところで絶対にバズらない。だって圧倒的多数の「いいね」がないから。
「いいね」と「拡散」という評価をでっち上げでもいいから多く見せるハリボテが必要。
店を探す時だって同じ味で同じサービスでも評価が4と3ではやっぱり4へ行ってしまう。だからバズるって言葉が最近よく聞くようになったけどあれって人工的作為が強いんじゃないだろうか。
内容なんかどうだっていい。だってみんな数値しか見てないから。数値さえ高ければいいように見えてるワケなんでしょうね。
だからこの化けの皮が剥がされてしまった時、この瞬間、ワニの勝利は終わってしまうわけです。
ここまでワニのマーケティングの話をしたけど、僕自身はステマもダイレクトマーケティングも容認なんですよ。
だってワニの場合なんて勝手に無料の下手くそな漫画のマーケティングに引っかかっただけでしょ?僕からしたらそんな文化的低レベルの漫画に引っかかる己のレベルの低さを実感した方がいいよと思うワケなんですよ。
実際、比べるのもおこがましいけど金を出して読む美味しんぼの方が絶対に面白い。というより読んでくれ。あの漫画の登場人物たちの狂いっぷりを堪能してくれ。絶対に値段相応の面白さはある。ぜひ、ブックオフで買ってみよう。
もちろん、マーケティングの黒子性にも問題はあると思いますよ。ワニが死んだ後すぐに商業展開の情報を流すなんて、『ダンサーインザダーク』の死刑後の看守かよ。余韻はいるだろうに。
だからマーケティングはバレたらおしまいなわけでその時点で失敗。それまでクソ漫画に熱狂していた人たちに冷水を浴びせているようなもんです。
この終わりをどうすればよかったかと思えば答えは『あしたのジョー』にありました。
そう、力石の葬式です。力石の葬式は寺山修司が主催で執り行われました。こうやって商品展開の前にファンの有志で大型の葬儀イベントをやる。これが正しい終わり方だったんじゃないだろうか?
未だにワニに怒っている人は一旦は深呼吸をして冷静になって考えたらマーケティング無しには何もできないクソ漫画だったってことに気がつくはずだ。だから悪を斬ると言っても世の中もっと悪どいマーケティングはある。
多分、ワニ側も無傷でこのまま終わるとは思えないし、作者であるきくちゆうきが漫画を描くたびに笑われ、イラストを描くたびに笑われるわけである。これだけネガティブイメージがついてしまっては商業展開して行っても正直きついだろう。
だからこの大勢のパレードというバンドワゴンから下車したらぜひ本屋へ行ってみよう。もっといい本があるし面白い漫画はたくさんあります。
ブックオフだったら500円もあれば十分お釣りが出るくらいの最高のエンターテイメントがある。
大事なのは自分の目と自分の感覚をしっかりと張り巡らせて自分で探すことが重要。そして周りの評価に振り回されずにクソなものにはクソといえばこんなマーケティングには引っかかることはないと思います。
どのみちこの道、この先、きくちゆうきは本当の実力が試されるワケだから今は静かに見守ってあげよう。
それでは。