自分で自分の首を絞めるな
現在、日本は「アイドル戦国時代」などと呼ばれるように、アイドル産業がたいへん盛んだとか言われています。その中心となっているのがAKB48です。このAKB48を見ていると、日本の縮図とまでは言えなくても、学校に当てはめてみると、結構しっくりきたりします。
AKB48は、毎年「総選挙」と呼ばれるファンによる人気投票が行われています。この総選挙で上位になったメンバーは、テレビなどのメディアでの露出が増え、楽曲でもたいへん目立つポジションが割り振られるようになります。特に1位になったメンバーは、センターと呼ばれ、グループの顔として、活躍することになります。つまり、人気者がいい思いをするのです。
これは、学校においても同じようなことが言えるのではないでしょうか。わざわざ選挙なんてことはしませんが、自然にクラスの中で人気者とそうでない者に分かれていきます。このような傾向は、濃淡こそあれ、どこの学校でも必ず存在します。
人気者は、交友関係が広く、恋愛においても強者となります。一方、人気のない日陰者となってしまった生徒は、狭い交友関係しか築けず、最悪孤立してしまいます。恋愛に関しては、異性として見られることもないというレベルだということも少なくありません。
それでは、人気者とそうでない者を分かつための指標は、どういったものなのかというと、ほんの些細なことだったりします。顔面の良し悪しもそうでしょう。運動能力やユーモアのセンスなんてものもそうでしょう。「何を言ってるんだ!大きなことじゃないか!」と思われるかもしれませんが、よく考えてみてください。
小中学生なんていう義務教育を受けている段階で、他人よりも遥かに優れた能力を持っているような人間などほとんどいません。顔面の良し悪しといった生まれもってのものの僅かな差でしか優劣を判断できないのです。
いくら顔面が優れているといっても、日本を代表するようなトップモデル並みの顔面というわけでもありません。運動能力にしても、周りよりもちょっと優れているなんていうレベルです。ユーモアのセンスに関しては、面白い気がするだけで、内輪だけで笑ってるというような感じすらします。学校での人気というものは、その後の社会的地位に直結するというわけではないのです。
AKB48を見ていても、美醜の判断には個人差によりますが、客観的に見て上位組が特に美しいというわけでもありません。ダンスや歌唱力に関しても同じです。AKB48自体、他のアイドルグループなどと比較して、顔面や歌唱力が特に優れているというわけでもありません。AKB48に詳しくない人間からしたら、一般人が数人紛れていたところで、まったく気付きもしないでしょう。
こんなことを言うと熱心なファンの方々から怒られそうですが、別にバカにしているわけではなく、そういうコンセプトで生まれたグループですから事実なのです。何が言いたいかというと、人気というものは、必ずしも何か決定的な優劣の差によって生まれるものではないということです。
確かに決定的な能力差によって人気者になる人もいますが、むしろそういうケースの方が稀で、一般レベルではちょっとした差でしかありません。だから現時点での人気に一喜一憂する必要なんてありません。そんなことを考えている暇があったら、勉強でもしてた方が遥かに有意義です。
しかし、そうは言ってもまったく人気のない日陰者は、自分自身を追い込んでしまいがちです。例えば、自分は不細工に生まれてしまったばっかりに、スポットライトを浴びることはないし、一生異性にも恵まれない日陰者だと考えたりするのです。そして、どんな場面でも自分を卑下し、上手くいかなかったことを生まれの不幸として呪ったりするなど、思考停止に陥るのです。
現在の日本は、格差が広がり、見えない階層が形勢されつつあります。個人の努力だけではどうにもならない問題もたくさんあります。しかし、ほとんどの人間は、まだなんとかなる状況にあります。顔面にコンプレックスがあるからといって、人生を諦める必要などありません。いくらでも道はあります。まだ間に合います。生まれの不幸を呪うのではなく、打開策を自分の頭で考えるのです。
所謂いじめ問題は、明らかにいじめる側に責任があります。しかし、日陰者が日陰者であり続けることは、自分自身の問題でもあります。自分が日陰者であることを受け入れ、日陰者らしく生きていこうと選択するから、日陰者であり続けます。自分で自分の首を絞めているのです。
そういう筆者ですが、実は人気者になりたいとは思っていません。かといって、日陰者になろうとも思いません。ただ、気の合う人間とだけ一緒にいることができれば満足です。人気者にはたくさんの人間が集まってきます。たくさんの人間がいれば、それだけ変な人間もたくさんいるということです。
別に誰もが人気者を目指せとは言いません。ただ、いつまでも自分を卑下し続け、それなりの生き方をしようとしていたら、気の合う人間も集まってはこないでしょう。集まってきたとしても、それは傷の舐め合いでしかありません。それこそ、精神の死です。
最後にAKB48で思い出したのですが、AKB48はじゃんけん大会というものもやっています。人気投票ではなく、じゃんけんでセンターを決めるのです。じゃんけんの結果に一喜一憂するなんてことは、学生時代にはよくある話です。筆者は、このじゃんけんで非常に苦い経験をしました。
小学生高学年になると、クラブ活動をさせられたのですが、誰もが希望するクラブに入れるわけではなく、定員がありました。定員を超える希望者が集まった場合、じゃんけんで決めることになっていたのです。
筆者がどのクラブを希望していたかは忘れてしまいましたが、見事にじゃんけんに負け続け、入ったのが手芸部です。手芸になんてまったく興味がなかった上に、他の部員は一度も話したこともない女子ばかりで、半年も手芸部として活動しなければならないことが憂鬱で仕方ありませんでした。今思えば、バックれたら良かっただけなのですが、若さ故に真面目だったのでしょう。
しかし、地獄に仏とはこのことで、第一希望のクラブに入れなかった友達が手芸部に移ってきてくれたのです。その友達が1人いただけで、嫌で嫌で仕方なかったクラブ活動を半年間、休まずに行くことができたのです。
持つべきものは友達なんてよく言ったものです。今でもその友達とは繋がっていて、このことを感謝しています。
どうでもいい話ですが、手芸部では『パーマン』のコピーロボットのストラップ、パーマンバッジのワッペンを作ったりしました。
友達が一緒に入部してくれたおかげで、今でもボタンくらいは直せますし、少しは役に立ったかな?
いや、友達の大切さが分かったというのが大きな収穫でしょう。
友達ができなくて悩んでいる方は、自分自身の首を絞めるような真似はするなとだけはどうしても言いたい。