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大切なのは、見てくれでも人気でもなく「情念」!

文:田渕竜也


人にはそれぞれ、自分自身の基準を測る物差しのようなものを持っている。
この自分基準から漏れるともれなくそれは”アバンギャルド”として認識され、他人の許容の範疇に入らないからそれは嫌悪という形で認識される。

例えばオカマ。
これなんかも僕自身の価値基準では「まぁ人類、70億人もいりゃ、そんな人もいるだろう」って認識なんだけど、人によればこれに嫌悪がある人もいる。
オカマといっても一般的イメージでいえばドラーグクイーンみたいな派手なクジャクみたいなオカマを思い浮かぶんじゃないだろうかと。
これが何となくグロテスクに見えるから無自覚な防衛本能で何となくその存在を遠ざけてしまう。なぜなら見たことのない存在だからである。
当たり前の話だけどこれがまぁなんていうか差別の根本でもあり、無自覚な自衛本能だから難しい話になる。
簡単に説明するとつまり自分が普通とか当たり前とか思っていることも他人からしたら全然普通じゃない認識のパラドクスがあるということだ。
だからどんな優しい人にもこんな一面は必ずある。僕にしてもあなたにしても。

今回は別にそんなLGBTの話がしたいんじゃない、ツイッターお騒がせ女装家である大島薫の怪談についての話である。

何から話したらいいのかわからないので、まずこの人について知人でもないので憶測でしかないけど、まぁ、賢い人じゃないですかね。もう少し突っ込んだところを言うなら賢すぎて面倒なタイプの人間。

ツイッターでフェミを語るにしてもLGBTを語るにしてもこの人は全て計算でやっていると思う。
ターゲットはSNSのめんどくさい女性全般、いわば苦しみ系、物申す系漫画を投稿したりリツイートを回してくるような、言論汚物ゴリラたち。この人たちが期待する回答の全てがこの人に集約されている。

そう、全ては女性支持率を上げるためなのだ。この線が細い華奢なオカマ像も多分、上記の計算ではないかと思う。支持者層である彼女たちの物差しに合う等身大のオカマ像。いわばオカマ界の西野カナである。

多分、本人もわかった上でこれを売りにしているのではないかと思う。

だからあまりこの人について書きたくない、避けたい人物でもある。
安全なところで外野から弓を引いて矢を放つしかできない僕自身は卑怯者であるし、小心者だ。できるならこの文章も支持者である彼女らの目に触れないように祈っている。

ざっくり話したけど、この大島薫という人物、上記のターゲット層以外の人からは誰?という方がほとんどだと思う。
オカマ?女装家?ホリエモンの人?フェミ系ツイッター芸人?SNS炎上芸人?ファンの人たちには申し訳ないけどどれも正解だろうと思う。
けど、今回語りたいのはそのどれも該当しない。

今回は怪談師として取り上げたいのだ。

僕なんかは怪談話を聞いていて
「何だこれ、全く伝わらんなぁ」って思うものがある。

何がって、語り手の思い描いている状況が聞いている人と共有できてないのである。
ガチャって開く扉の音、ホッとしたときの間、恐る恐る後ろを振り向くときの緊張感、話すときのトーンも張り上げたり、小声になったり。
これらの演出込みで怪談という奇妙体験の話はより立体的にイメージが見えて話す人と聞く人は同じ映像を共有することができる。これがうまくいっていないと聞いていても「話に立体感がねぇな」で終始話に臨場感がなく聞き手は話に全く興味がなくなってしまう。
ここで重要なのは聞く人と話す人が同じ映像を見ているということである。
もちろん淡々としていてあえて臨場感のないようにして、薄っすら気味の悪さを演出できる場合もある。
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だけど大島薫の場合は上手い下手の前にまず、怪談の演出不足の一点に尽きる。

そう、情念というものがないのだ。

情念という言い方自体が抽象的で説明しにくいけど、その恐怖の現場を伝えたいとか見せたいイメージを何とかして同じ映像を頭の中で見せようと必死なそんな感じ。

多分、この人自身の人間というものがそうさせているのかもしれない。賢すぎるのだ。器用貧乏。すべて計算で動ける人。
ホリエモンや野獣先輩騒動の時(※ここで詳細を書くのは面倒なのでグーグルで「野獣先輩 大島薫」で調べてくれ)の炎上も恐らく計算尽く。全ては自らのシンデレラ?ストーリーを築くためのアシストパスでしかないかと思う。
考えてみれば大島薫が突然怪談を押し出すこと自体が奇妙なことだ。普段、フェミニスト的なことを言っては炎上、もしくは共感リツイートで名をあげる人だ。
当然、共感ではなくイメージを共有し、リアルに喋り倒す怪談師というものに行くのはなんか違和感がある。

この人の怪談の特徴は知り合いの女性、知り合いの地下アイドル、風俗店店長など社会的アンダーグランドについてる人たちからの怪談話だ。こんな女装家がやる怪談話だ。この階段の情報先の人選にも計算が見えてしまう。

そう、この人が標準に合わせている人たちって社会の外に出ている女性たち。いわゆる水商売やミスIDに応募しようとする育ちの悪そうな人や、薬の名前がアクセサリーになってそうな人。こう言った社会的弱者が共感しやすい情報に共感しやすいことをアンダードッグ効果というけどまさにその層に狙い撃ちしている。
そんでこう言った人たちって自分の物差しに合う等身大だと無条件に賞賛する。だからこんなダメな怪談でも拡散されてしまう。

なぜこのダメな怪談を紹介するに至ったかっていうと、よくわからない芸人やグラビアアイドルが怪談をやるだすのってよくあるじゃないですか。あれってなぜかというと怪談にはある程度のフォーマットがあるからなんだと思うんですよ。
とりあえず「知り合いの〜」って切り出せば実体験ではないけど、リアル風な話ができるし、一人暮らし、山奥の旅館、知らない人からの贈り物など得体性がないものを出せばそれなりに話の内容は怖くなる。
しかしだ。フォーマット的な話は作れど、それを装飾する技術がいる。それがさっき言った、情念だ。
情念のない話って怖くないし、その先の結末が全く気にならない。
だからそんな怪談は正直言って駄作である。

終わりに
散々なことしか言ってないけど、これはあくまでも”怪談”という分野に限っての話であって、多分、これだけの支持者層を狙い撃ちできる人間性は宗教家とか向いてそうと思うんですよね。ほら、イエス・キリストなんかも最初は社会からはみ出た娼婦たちに寄り添ったわけだし。

今日はこんな感じで。
それでは。

田渕竜也のTwitter

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