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ムカつくがバズる。いいものが沈んでいく。

文:田渕竜也

最近、ネットをやっていて気づいたことがある。

それは嫌なものほどよく読み込んでしまうことだ。臭いものには蓋というけど、ことに情報となると臭いとわかっていてもなぜだかそれを確認しないと気が済まない。

例えば好きなバンドに対して「歌唱法がねっとりしてる」だの「ボーカルがうざい」だの「顔がうるさい」など見ていてウンザリするコメントや感想を見なきゃいいのについ見てイラついてしまう。
何でやLuna seaかっこええやろ。Ryuichi Kawamuraさんを悪くいうな。せめてSugizoのギターをちゃんと聞いてから評価しろ。

そんなものは読んで、「このどさんピンが」、「ディレイもリバーブも区別つかんくせに」と思いつつムカつくとわかっていても見てしまう。
まるで他人のケツアナに鼻を埋めるかのようだ。そう、むしろ、暇つぶしにムカつきたいのである。くっ悔しい!ビクンビクンとクリムゾンの薬を盛られた女騎士のようにそのひどい情報に飢えてしまっているのである。

皆さんも上記のような経験はないだろうか?ちなみに私は常々そうだ。それが毒だとしても何かジャンキーなものを摂取したくなる。じゃなきゃTwitterもやってないしね。

逆に自分が得する情報となると途端にその情報について興味がなくなってしまう。というより読み込む気にならなくなる。何というかムカつかないと読み込む気にならないというか。

どうやらバズる情報というものには人をムカつかせることにあるらしい。

考えてみればアンチという存在って非常に矛盾した存在だ。だってあいつらって嫌いなものの対象に対して知識が豊富すぎる。お互い知りすぎている。

例えば政治の煽りあいがそうだ。

「左翼のここが嫌い」や「ネトウヨのここが嫌い」ってお互いスラスラ言えるのはお互いのことをよく知っているからであって、知っていないとと罵り合いに発展しない。というかできないよな。

全く知らない顔も知らない人を思いっきりディスることって不可能なわけですよ。その人のパーソナリティ、容姿なにも情報がないから。だからリモートで顔を隠してフリースタイルラップなんてのも多分だけどできないんじゃないかと思う。

要は好きの反対は嫌いではないということだ。好きの反対は無知であり嫌いの反対は無知である。そう、何も知らない状態こそが最強なのだ。

よって、情報が溢れている中で何かムカつかせる、感情の何かにひっかかることができれば奴らの勝ちなのである。勝手にムカつく奴として覚えてくれるから。ほら、学生時代のカスみたいなやつに限って夢に出てくるのと同じ。

そういったバズるという根本にある方法論は炎上商法とよく言われているけど、僕の中では納得いかないことがある。それは本当にいいものの情報がこう言った奴らのせいで情報の底なし沼にハマって沈んでしまっていることだ。

YoutubeやTwitterの魔境地獄を見てもらえればその様相は理解できるだろう。Twitterのトレンドには政治の煽り合いやジャニーズのキーワードが、そしてYoutubeでは1秒足りともクリックしたくならいな自己啓発動画。
だけどここに本当に必要な情報もどこかに転がっているわけでこういう奴らのせいでかき消されているのだ。

いい情報とはなにか。

それはそれぞれの個人にも委ねられるけど、僕の場合なんかはデスメタルだったり、ハードコアだったりするわけで、こういった情報は圧倒的に数が少ないから件の煽り合いの大きな声のせいでかき消されてしまったりしている。

ただ、この問題ってどうすることもできないのが実情なんですよね。大勢の人間が自由意志の元で情報を流しているしそれを受け取っているから。
だからこれを解決するには大元のネットを使える層を思いっきり少なくするか、そういったアングラ人種のためのインターネットワールドをつくるかそんとにこの世界をぶっ壊すぐらいしないとどうにもならいから。

めちゃくちゃ大きな話になったけど現状、どうしようもない情報が溢れかえってしまっているのも事実だし。やっぱりまだ人の少なかったFlash職人全盛期のほうがクオリティは低くてもその情報の面白みというものは物凄かったと思う。

この時代のネットの面白みってパロディ性にあったわけなんですがわかりますか?

パロディのいいところってある程度知っているものをモチーフにしているところ。
ドラえもん系フラッシュにしても日本国民のおよそ大多数がドラえもんのことを知っている。サザエさんも国民の大多数が知っている。だからあの手のフラッシュ動画って笑えた。

だけどこのスマホ登場以降、人間が自由意志の元で発言することが容易になった。そんななかで「このパロディって著作権侵害ですよ」なんて正論しか口にしない奴らがパロディ性に対して著作権を掘り起こそうとするわけですよ。これが害悪なんですよ。
そう、面白いやつが面白いものを公開できる時代ではなくなったのだ。今はなんていうか共感性を伝染病のようにうつしあう時代なのである。
今のSNS時代になんとなく嫌悪感がある正体は多分これ

それでは。

田渕竜也のTwitter

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