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ツラいライブでのMCの時間。君たちはどうするべきか?

文:田渕竜也


普段、日常を過ごしていて無駄な時間って思い起こせばたくさんの場面に出くわす。
思い起こせばスマホをいじってる時間だったり、なんとなくバイキングで人の揚げ足をとってる坂上忍をみているときなんかは本当に「あぁ無駄な時間だなぁ」と実感する。

もちろんウチのてんぷらも閲覧するのはそんな無駄な時間に含まれるかと思うけど、思っていてもそんなことは言わないでください。皆様にはどんどん無駄な時間を過ごしていただきたいと思いますので、今回もよろしくお願いします。

ところで街角のライブへ行ってこんなことを思ったことってありませんか?

「このバンドにMCって要るか?」

まぁ MCを細かく説明するつもりはないけど、曲間の箸休め的なあれのことである。

なんかバンドの人たちが急に喋り出すやつ。と思ったらネタをやり出したりするやつ。あれの無駄さたるやなんたるか。本当に嫌な時間ですよね。

確かにメジャーどころがやる分にはいいんですよ。夢を語ってもちゃんと叶えていて説得力があるから。
それとちゃんとボケに対して笑いが出ていればこれは面白いからいい。
あとはちゃんと客席も満杯でファンに囲まれているようなバンド。これはちゃんとついて着ているファンがいるからいい。

これらの例なら僕もMCをやるのは納得する。

だけど今回問題にしたいのはブッキングライブでMCをやっている人たちのことである。

例えば集客10人前後でどうしようもないような場末のライブハウスのライブ。

これのMCなんかはまさに生き地獄のような時間を過ごすことになる。

このMCを見る時間はよく考えてみれば無駄なんかじゃない。ただの苦行なのだ。見ていて苦しい。しんどい。

ぼくなんかは共感性羞恥というものがデカイので、露骨に受けを狙ってど滑りしているMCを見るのは本当に辛い。
苦痛に重ねる苦痛である。多分、釈迦の6年の苦行よりもど滑りしているMCを30分聞くほうが絶対に苦行だ。

だったらあんなもんやめたほうがいい。

MCを聞いていたら「「ハァ…ハァ…夢を追っかけるのって笑われるよね」。
マジでその口から二度と「夢」という言葉を発せられないように縫い合わせてやろうか。そんなことしか思えない。
夢を語ってんじゃねよ。お前ら観客僕を含めて10人ぐらいしかいねぇぞ。何だよその上から目線。

あと中年のバンドの「売れてないけど、楽しくやってます」みたいな自虐的になMCをしているのも辛い。
売れてないことと観客すくねぇことを言い訳すんな。自虐に走るなら人間失格みたいに「生きていてすみません」ぐらい言ってみろ。円谷幸吉の遺書みたいに落ちるなら完全に落ちきれこの野郎。

あと曲の始まりに永遠と何か熱い語りを入れているのもうざい。さっさと曲を始めろよ。僕含めても観客5人やぞ。ソーシャルディタンスやぞ。
同じこと上から目線でベラベラ喋んな。これでいて曲が始まって見たら普通の曲ってもうね、どうしてやろうかと。

とまぁ僕の方も言いたいことを言わせてもらったけど、要するに売れてないバンドが上から目線のMCをやるのがちょっと聞いている側としてはキツイ。というよりも説得力がないのだ。

例えばあなたがだれかの説教を受けていたとしよう。

これがセックス時は危険日でもゴムをつけずに中出しするようなとんでもないどクズ野郎としたらどう思うか。
「何やねんこいつクズのくせに何を抜かしてんねん」ってなりません?
これはやっぱりその説教をする側に隙がありすぎるからこうなるんですよ。

この話と売れてないバンドからの一方的なMCという説法は両者ともに近いものがある。
言いたいのは状況と言っていることに矛盾があるから全く説得力がない。

まぁ説得力のないMCに関しては百歩譲ろう。聞きたくはないしイラっとするけどまぁいいよ。

この問題の深淵はそのMCがグッダグダになってしまうことだ。

僕の学生時代の記憶になるんだけど、学祭で漫才やコントをやる人たちがいた。
そう、いわゆる素人コメディアンである。

素人のお笑いって見たことありますか?本当に酷いんですよ。
そもそもボケと突っ込みのリズムや間の取り方なんてその概念はないし、ネタもどこかで見たことのあるやつかただの若者の調子乗っているだけで酷い。失敗したお笑いというものはただのお調子者の独壇になってしまうのである。

お笑いの喋りというものを島田紳助がかつて自分たちがやっているネタは8ビートか4ビートか。まず自分たちが何をやっているのかを理解することが重要であるとリズムに例えて話していた。
素人コメディアンの喋りの絶望は自分が何をやっているのかを全く理解できていないのである。
理解できていないとなぜダメかというと、その言葉で響かせたい人というものが見えてこないのだ。

これと同じでグダグダのMCというものは誰に聞かせたいのかが全く見えないのである。だからただ熱いことを叫び散らしていても「あぁなんかうるさいやつだな」ぐらいにしか思えない。
また、笑いを取ろうとしても素人コメディアンなもんだし、それでグダグダになってしまえばお調子者の独壇と同じことなのである。

だからねー僕は今一度MCをどうしようかと考えている人たちに言ってあげたい。別にあんなもんやらなくてもいい。常々そう思う。

まぁチューニングしたりちょっと箸休めに休憩したりしたいときは正直に「チューニングしまーす」とか「ちょっと休ませて」と正直に言えばいい。その間で何か受けを狙うのが間違えていると言っている。というよりあんなもんやめてしまえ。

と、まぁ今日はこんなところだな。それでは。グッドラック。

田渕竜也のTwitter

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