かわいいは作れる、賢いも作れる。どちらも人造的。
「かわいいは作れる」って言うキャッチコピーがあった。確か資生堂の化粧品だかのCMだったと思う。
「かわいい」と言う言葉自体、その人のパーソナリティであったり身振りだったり身につけているアイテムなど、自身の容姿を問わず身の回りの着飾り次第でどうにかできるものである。
例えばロリータファッション。あれってフリルがついていたり、ツインテールだったり、一般常識に於けるロリータ像で塗り固めてかわいいを具現化している。これなんかは「かわいいは作れる」の典型的な例だと思う。
ハリボテの着ぐるみのように着飾れば綺麗や美人と言われるよりも「かわいい」と言われる方が簡単なのである。
ロリータファッションの例だけじゃない。
女性がパステルカラーのピンクを身につけたり、わざわざキャラクターの小物をカバンに付けたり、冷酒1合も入らないような水筒を持ち歩くのも全て少女感の演出の一種なのではないかと。
すごく人造的だ。
ちなみに「かわいい」といってもその形には「愛らしい」と「醜い」の2種類に分かれる。
「愛らしい」というのはさっき上で説明した通りだ。少女感の演出の話。
だけど逆に「醜い」のに可愛いというものもある。
それで思い出すのがスポンジボブ。
あれって正直、気持ち悪いじゃないですか。穴だらけでよく見てみるとなんか蓮コラみたいで。
集合物恐怖症の僕にとってはあれがムリで苦手だ。
しかしあれがかわいいと言われてちやほやされるわけで、あれって多分だけどその奇妙奇天烈なものに可愛いと言っている自分が可愛いと思っているからなのではないかと。
ある種、相手をかわいいと言って自分が世界ランクの上へ行こうとしている表れではないかな。
こんな場面って見たことないですか?「〇〇ちゃん、その服、めっちゃかわいいー」っていう面白くないあれ。朝の『ZIP』でみるあれ。
あれって思うに自分より上の人には言わないんですよ。
自分を守るためだから。人を褒めるとそのあとが優位に立てるんですよ。褒める人って必然的にいい人になるから。
それに「かわいい」という言葉自体が人造的な言葉だからその人自身じゃなくその服に対して「かわいい」となる。
だからこの「かわいい」を連発する人って「キレイ」とは言わないわけなんですよ。「キレイ」はその人自身の評価につながるわけだから。
まぁここではこの「かわいい」からの心理戦を「下から作戦」とここでは仮に名付けておこうと思います。
もしよろしければお使いください。無料ですよ。
随分と前置きが長くなった。
要は「かわいいは作れる」というのは人造的だという話。ここまで話せばわかっていただいただろうか?
人造的な演出。
これが本題なんですけど、最近テレビを見ていたら池上彰が出ていたんですよ。
彼の番組ってめちゃくちゃ違和感ありませんか?
なんかよくわからないけど、なんとなく感じる変なこの不快感。
その正体が何かと考えたらそれが人造的に作られた君主像ではないかと思うのですよ。
そう思うのには三つポイントがある。
一つ目のポイントはテレビに映る賢そうな人っているじゃないですか。古くは上岡龍太郎、ちょい前なら島田紳助なんかがそうだろうと思う。
彼らのテレビ番組での発言って大したことを言ってそうで言っていない。
賢そうに見せているだけなのだ。それは本人たちがなんどもインタビューで答えている。
例えば、今注目のバンドは?と聞かれたら普通なら打首獄門同好会とか答えるだろうけど、あえて嘘つきバービーとか答えてみるのだ。
模範的回答じゃなくて重箱の隅をつくような回答。
そうするとなぜそれかを答えられる時間がもらえるのと聞き耳を持ってくれる。
これをちゃんと答えることができれば知的に見えるわけである。
そう、賢そうに見えるのにはトリックがあるのである。
そして二点目は徹底した出演者の管理。
これは自分以外の出演者全員をバカしか置かないということだ。
つまりどういうことかというと誰も反論させないようにしているから自分の知識量の範疇で十分に君主として立ち振る舞えるのだ。
言って仕舞えばブサイク軍団の中の唯一女性と喋れるブサイクみたいなやつ。そいつはどうなるかというとそのバカの中から祭り上げられるのですよ。グループの中で代表として英勇となるわけですよ。
だから自分よりもレベルの低いやつらを集めると必然的に勝手に英雄として祭り上げられるのである。
そりゃそうだ、自分の知らないことをなんでも知っているように見えればそうなる。
ちなみにこの現象は歴史を見ても市民革命時によくおきる。ジャンヌダルクなんかはその例に当てはまるんじゃないかと。
そして最後の三点目になるのが、テレビという額縁。
出演者がバカばっかだから、池上彰に質問する内容も少し新聞を読めばわかるレベルでもなんか凄そうな人にうつる。
そしてこれがお茶の間が見たらどうなるかといえば、「あっなんかすごく賢そうな人」っていう認識に至るわけである。
これらのポイントって言ってみれば現代人が過去にタイムスリップして『てこの原理』を披露して重い持ち物を持ち上げるなろう小説の主人公みたいなもんですよ。持ち上げた岩を見て「うぉすげぇ」って旧時代の人たちに感銘されて本人は「あっまた何かやっちゃいました?」みたいな関係性なワケなんですよ。
だからこの池上彰の論法を『なろう論法」呼びましょう。
いいですか、賢いは作れるんですよ。しかも簡単に。
今日はここまで。それでは。