ギャングスタラッパーが不貞行為ごときで謝罪するな
「悪そうなやつは大体友達」「ストリート育ちのやつぁ手を叩け」
そんなことを言っていたけど、最近では政府と関係を持ったり、小池都知事にものを申したりして社会派な動きをしていたZeebraさん。
まぁいい感じに先輩感を出してジャパニーズヒップホップ界を牽引しようとしていたけど、僕の感想としては「OBヤンキー」「バッタもんのギャングスター」。
そもそもヒップホップというものを知るためにアメリカまで行くという途方もない資本力が彼にはあったわけで彼はバッタもんのアウトローだ。
だけどそういったアウトロー要素を出すのは間違いじゃない。
ヒップホップという世界の成り立ち自体がアウトローなわけでZeebraがバッタもんであれなんであれこれで正解なんですよ。だってこの国には貧困ギャングとかそんなのはいないわけだから。だいたいの国民がそれなりに働いてそれなりの生活ができる。そんな国ではギャングスタなんて成立し得ないんですよ。だからどんな日本のラッパーでもバッタもんのギャングスタにしかなり得ない。多分これにはBoy-kenも同意見だと思う。
だからある程度ヒップホップというものを知っていれば、少々の悪いことぐらいは「まぁそんな世界だからな」で済ませられていたんですよ。
しかしこのごろではラッパーにも不貞だの純潔という言葉が求められるらしいですよ。ラッパーというものを知っている人なら信じられない話だけどやっぱりこの国ではラッパーであれ、バンドマンであれ有名人に対して不貞行為というものは重罪らしい。
まぁ不倫とか浮気とかそう言った文字列の情報に対して個人的に条件反射的に嫌悪があるのは別に否定はしない。それは個人の自由だし、僕個人が基本的人権というものを提示したところで何もならないしね。
だけどこういった「不貞許せない」みたいなしょうもない思想が集まって情念化してしまうことに関しては「どうなんだろう」って思う。そもそも俺らはその夫婦に対して関係ないじゃんっていうのがまず前提として不倫された奥さんがブチぎれるならわかるけど全く関係のないベンチ外の人たちがキレていることに対しての僕個人の不快感だろうと思う。
そもそもラッパーってどんな世界観か知っていますか?
Zeebraが模倣したと思われるラッパーの世界観っておそらく東西抗争時代のヒップホップだ。いわゆる80年代末ごろのギャングスタラップ。NWAが活躍したあの時代だ。詳しくは映画『ストレイト・アウタ・コンプトン』でも見てくれ。その方が手っ取り早い。
そんなギャングスタラップというのはこの黒人貧困街から「マイク一本でマジで掴むぜビッグマネー」というのがコンセプトで、アウトローというのが肝になる。
だから女買って、高い酒を飲んで、クラックを買い漁ってなんて曲が多くあるわけで、そこにはそもそもの黒人街における貧困や差別、銃社会というものが根本にある。
黒人という人種故に差別があって不当に逮捕されたりした鬱憤が溜まって銃社会のアメリカというトリプル役満状態だったからこそ成り立っていた世界観である。
だからこのギャングスタラップが一斉を風靡した時代にはロサンゼルス暴動というアメリカ社会の大きな出来事があって、その上で今年あったBlack lives matterというデモ運動にもつながっていくわけだけど全部説明して行くと新書1冊分ぐらいになりそうだからここまでにしておく。
とにかく貧困と差別と成り上がり、そして状況を打破したい。これがギャングスタラップの四原則だ。
だから成功した強さと富を見せつけたいから表面的なテーマが「アウトロー」が大きくなるんですよね、ギャングスタラップって。
よくヒップホップ系のPVに出てくるドンペリンとかジャグジー付きプールの豪邸とかハマーH2とかこういったイメージって結局は成金なんですよね。「なりてーな!金持ちに!」これが80年代ギャングスタラップの中身だったんじゃないかと思う。
だけど2pacとかNWAの音楽の根本はそこじゃなくてブラックという人種のアイデンティに連なる話であって、その「アウトロー」なイメージって表面だけなんですよ。
そこをすくって模倣してしまっていたのがキングギドラであってZeebraだったんじゃないかなって思う。
Zeebraがバカにされやすいのって多分そういった表面的だからなんですよ。なんで黒人たちがそんな成金になりたがるか、なんであんなダボダボな服を着ているってアメリカ社会との連なりで歴史の中に意味がちゃんとある。
なんであんなに服の色が極端に単色で集団として群れているのかとかもちゃんと意味がある。
だけど日本にはそんな社会がないですよ。だから表面的にしかなれないんですよね。
そんなZeebraさんの楽曲の中でも代表作はキングギドラ時代の『公開処刑』である。下手したらこれしか知らんという人がほとんどじゃないかな。そうDragon Ashやリップスライムをディスったことで有名になった一曲だ。多分、大きいメディアで「ディスる」という行為をしたのはこの作品が最初で最後だと思う。
まぁ「ディスる」という行為自体はヒップホップ単体で考えれば正解なんですよ。やられたらやり返すというのが西洋社会の考え方だから。
だけどここ日本においては話が異なる。礼の文化である日本では無礼は基本的にNGなんですよね。だからこういったギャングスタな文化に慣れ親しんでいない日本人からしたらいきなりアメリカのギャングのコスプレしたにいちゃん達がいきなり暴言吐いてきたみたいな印象にしかならなかったんだと思う。実際、「ディスる」というヒップホップの世界観だけが先行した日本のヒップホップは随分と後進的になったと思う。
まぁこれも色々とzeebra本人にしかわからないと思うけどこの人なりに日本のヒップホップのために頑張ったんだと思うんですよ。そもそもギャング文化を知らない日本人に対して、大きいメディアで率先としてやってきてくれたわけなんだし。それに良くも悪くも彼のメディアやバラエティ番組の出演によって随分とヒップホップスタイルのファッションも認知されるようになったわけだし。
だから「Zeebraの不倫ぐらいでとやかくいうんじゃないよ」って思うんですよね。だってギャングな役回りをやってきたわけじゃないですか。金で女を取っ替え引っ替え、ジャグジープールな世界観な訳だからヒップホップの世界に純潔な思想はカスでしかないわけなんですよ。「掴むぜビッグマネー」が正しい世界。
あとZeebraもZeebraであんなもんで簡単に謝罪をするべきではなかったんだと思うんですよ。
だってそういう世界なんだからSNSや変な活動的な主婦に糾弾されようが何言われようがフリースタイルラップで返すべきだったんじゃないかと。
ラッパーに純潔を求めること、それはすなわちライオンに対して「シマウマを襲うな」というのと同じぐらいの世界観のひっくりがえなわけですよ。だったら開き直ってしまう方が絶対にカッコイイ。むしろこれをしないと後進のギャングスタラッパー達に申し訳が立たない。
まぁここまでギャングスタラップの世界観の説明を理解できたならもうわかっていますよね。ラッパーに純潔を求めることこそがバカだし、それで謝るのもバカ。
だからラッパーが不貞ごときで謝るな。ラップで返せ。以上である。
それでは。