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情報と扇情の波と2020年という一年

文:田渕竜也


毎年この時期になると「今年も終わりだな」って一年を振り返えることになる。

それでやっぱり結局「何もできてないやん」という年末恒例のオチになるのは多分未来永劫、僕ら人間が生きている限りはずっと続くのだろうと思う。

そもそもでいえば「何かできた」って言って丸一年に満足しているやつって見たことありますか?多分、そんな「我が生涯に一片の悔いがない」ような奴なんていないだろうと思うし、なにかしら後悔しながら終わっていくものだろうと思う。

そんな風に偉そうに高らかに死んでいった「北斗の拳」のラオウだってそうだ。

あいつはやりたい放題しときながらいろんな問題を世紀末の世界に放置したまま死にやがった。そりゃ悔いどころか自分の負債を残してなんとなくかっこいい一言だけを残してあの世へ逃げて行きやがったんだあいつは。というようりなんで天に召されてんだ。あんな恐怖政治野郎は地獄が相等だろうに。

まぁそんな話はさておき、やっぱり終わり際というものは名残惜しいものである。
それは「終わり」となればどうしても終わりというゴールまでの道を総括してしまうからだろうと思う。
そしたら「あぁあの時こうしておきたかったな」なんて後悔の念が押し寄せてくる。全ては思い出すから後悔するわけなんですよ。

ほら、ティーンの頃の学生時代を思い返してみるとやっぱり後悔が多いじゃないですか。

「もっと勉強しておけば」とか「遊んでおけば」とか支離滅裂的な後悔の航海の海に流されるけど、結局「何もできてない」がオチになってしまうのだ。
過ぎてしまったことを思い返してもそんなもんなわけでこの年末という時期はそんなことを思ってしまう。

あぁなんて人ってそれぞれ生きているのでしょうか。それが生きるっていうことなのでしょう。

今年、2020年という数字の並びは実にバランスがいいし覚えやすくて数字の形としてとても美しいと思う。

特にロゴをつくるならこれほど作りやすい形ってないんじゃないかと。その形は全体的に丸みに帯びていてころころしていてすごくバランスがいい。だから2020年って結構いろんなイベントがあったと思うんですよね。東京オリンピックもやるはずだったし。ついでに言うと令和も二年だし。

だけど世相はそうにもいかず、世界ではウイルスパンデミックで世界はめちゃくちゃである。

僕が今年の初めぐらいに「デビルマンって本当に人間をうまく描けているな」ってツイートしたなーってことを思い出した。

デビルマンの終盤、デーモンであるか人間であるかで人間同士が対立し合うわけなんだけど、結局、どの場面においても扇情的な情報ってやっぱり強いなーって思う。

たとえば誰かが実証されていない不安を情報発信したとしてその流れが多くの人に目に晒されたとしたら、その実証されていない不安感というものはまるでガンのように腫れは広がっていく。

だって、確かでもないサジェスチョンが流れてそれがたとえ間違っていたとしても多数派になればそれは事実となってしまうからだ。それが実証しようがないものであればあるほどそうであって陰謀論なんかも根底から否定できないのもそのせいだろうと思う。

だから今年、アメリカのドナルド・トランプが大統領選挙で負けたけど、これを不正選挙だって言ってもこれが不正であるかどうかなんて100%は否定できない。あと幽霊とか目に見えないものをある人が見えると言ってもそれを否定できないわけである。

だから陰謀論者との議論ってどうしようもないわけである。

これを「悪魔の証明」というのでこれから先生きていくみなさんはぜひ覚えていてほしい。

なんとなくだけど、今のトレンド作りってこの「悪魔の証明」と「バンドワゴン効果」の合わせ技によるものなのではないだろうか?
例を出すならYoasobiやヨルシカ、鬼滅。これらにここまでスマッシュヒットを打つ要素ってあると思いますか?

確かに全部王道だ。

使い古された丸の内サディスティックのコード進行にオートチューンバリバリにカットアップなボーカルラインとか人喰い集団を殲滅する話なんて擦り切れるほどこすられたネタじゃないですか?ビリケンさんの足ぐらいにこすられたネタである。

正直、言ってこれらを「作品」として考えた場合、これらって凡作だと思うんですよ。ヒット作としては王道。

おそらくこれらの布石ってちょっとした陰謀論にしかならないかもだけど「100日で死ぬワニ」がそうだったんじゃないかと。これって多分、鬼滅をヒットさせるための壮大なマーケティングの社会実験だったんじゃないかな。

そう思う理由としてヒットの火付け方がほぼ同じなんですよ。これらの作品を紹介されると途端に「人気」という情報と数字しか流れてこない。
要は数字というバロメーターで人気という具体的な動きを視認化させているわけである。
だから鬼滅だって内容はほぼ知らないけど興行収入だけがピックアップされて、YOASOBIなんかは再生回数だけがピックアップされることで「はいはいこれが流行りですよー」ってみせられているわけである。

これって悪魔の証明であってこれを社会現象といえばそれはそうなるわけなんですよ。内容を知らなくても、何も知らないでもこれが人気という一番はじめの情報だけでトレンドは作られるわけである。

それでもう一点、人気という話題だけが先行することでトレンドを追っかけているそうはこれに食らいついていく。これをバンドワゴン効果っていうんだけど、おそらく、今年のトレンドはこうやって作られたんじゃないかなって思う。

まぁマーケティングというものを考える上で別にどんなハッタリを使ってもいいとは思うんですよ。
思うんですけどただですね。僕が何と無く嫌だなーって思うのが鬼滅の刃の興行収入の話題を盾にバンドワゴンに乗り込んでいるやつらが他の作品を貶すことが本当に気に食わん。お前らの作品じゃねぇだろ。そんなワゴンは事故れ。

そういえばウルトラマンセブンのメトロン星人の話で面白い言葉で締めくくられる。もともとメトロン星人は地球人を暴力で制圧するんじゃなくて、お互いを信用しあわないような装置で人類同士を信用しあわないようにさせて社会を崩壊させるというなんとも回りくどい方法で制圧しようとしていたけど、結局はウルトラセブンによって倒される。
この締めくくりのナレーションがすごく好きで「人類はメトロン星人が思っているほどお互いを信頼していないよ」で終わる。

だけど今の時代ってその逆ですよね。

むしろそこら辺に落ちてあるエロ本の切れ端レベルの情報でも鵜呑みにしてしまう。多分、信用しすぎてるかと思う。
だから不安という情報を共有されてしまうと信用しすぎてしまう。多分だけど不安の底にある深層心理には許せないっていう心理が隠されているんじゃないかと。
それは多分、ある程度の労働があればある程度過ごせてしまう安定してしまった社会だけどこれ以上の社会の進化が望めない上、どこかどんずまりの世の中で、だけどこれにハマらないと生きていけないという成熟しきってしまった社会。
だけど、そんな社会のいきずまりに何と無くの不満を感じている人たちがそんな信用しすぎてしまう人たちなのではないだろうか?
だからなんとなく生きていけるからなんとなく不安なものに対して強く当たってくるんじゃないかと。それでなんとなくの不安に共鳴した集団は大きくなればなるほどその腫れは大きな動きになってしまうわけである。

トイレットペーパーの買占めも、SNSの誹謗にしても不倫という民事の話に乗っかるのも実態はわからないけど不安感から来る悪魔の証明と「とりあえず乗っておこう」というバンドワゴン効果からの動きだったんじゃないかな。

全ての根底には不安感からなんだろうなと。

さて、今年も終わりということでひとまとめに言ってみれば、やっぱり人間って煽りに弱いんだなって思う一年でした。

来年はどんな一年になるかな。2021年もよろしくお願いします。

それでは

田渕竜也のTwitter

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