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弁証法の失敗と批評空間の崩壊。結局、多数には勝てないっていう話。

文:田渕竜也


いわゆる批評家ってもう死んだ時代になってきたなって思う。

というのはどういうことかというといくらその筋で超優れた専門家だろうが哲学者だろうがその論理が正解でも紛い物の圧倒的多数には勝つことは不可能になった。そんなことを多分少し前から感じている。

例えで言えば呂布がいくら一騎当千のツワモノであっても雑魚の軍勢とはいえ1万人の大群には絶対に一人では勝てないということ。
そういうことが現代の批評空間にそんな空気感というかそんなのがながれている。

批評が廃れるということがなぜ危ういか。それはいわば歴史を作ることを完全に否定するのと同じなんですよ。
だから作品がヒットしたからとかただの話題作とかでめちゃくちゃに評価するのは間違いなわけなんですよ。作品性という部分は全くの別物。
それだったらまがい物でも大量に人がいる程にすればそれだけでいいわけなんであって、そこには作品性はゼロなわけじゃないですか。
YOASOBIにしてもそうで、SNSでバズっているから評価するのは失敗した批評なわけでそれって完全に歴史を捨てて流行という記号を消費を促すようなことでしかない。ただのバンドワゴンに乗り込んだ乗客でしかない。

まぁ評論が廃れた理由もわかりますよ。
世の中はインターネットと通信の発達でSNSが生まれてその中で民主化が進んだこともあって全く見向きもされなかった一小市民の意見なんかが持て囃されて言ったわけだし。
だから声だけが大きいど素人のお気持ちという的外れなお気持ちだけがバズってしまうという一番まずい形になってしまっている。だって有識者よりも無知で白痴など素人のほうが圧倒的多数なわけだから。

ほら、TWITTERなんかを広げてみたらそんなのがよーく見えてくる。
YOASOBIのドラムは軽いからスマホ向けなんだなと論じたロキノンのライターなんかもあっという間に炎に囲まれて燃えてしまったりして結局、しっかりとした認識者の意見を雑魚の大群によってぶっ壊された形になってしまった。

当サイトで何度もサブカルイナゴ化論を唱えているわけだけど、実際のイナゴも単独ではおとなしいけど大量になれば進化して凶暴化していくそうですよ。
件の話もそうで雑魚が大量になればその雑魚も凶暴になってくる。そんな雑魚の渦になっているところを駆除しようにも凶暴化した雑魚が駆除者を取り囲んでしまうわけである。

考えるならこれって完全に民主主義という名の下の小市民の暴走。結局しっかりとした認識の弊害となっていると言ったほうがいいかもしれない。

弁証法って言葉がある。これってヘーゲルの言葉なんだけどこれって意見Aに対して意見Bをぶつけて新たな意見Cが現れてそれに対する意見D・・・とこの意見の無限回廊の先にこの世界の本質にいつか見つけ出せるという言葉。
だけどこの言葉には限界があって、その意見の対立の末、「もうぶち壊してしまえ」とそもそものこの無限回廊を破壊してしまうなり、意見に賛同する多数取り繕ってによって対立意見を潰してしまうということにもなるわけである。
一見、民主的に見えるけどやっていること完全にミャンマー。

それに意見の対立の末、大戦争にもなったりするわけだから弁証法で本質にたどりつくなんていうのは幻想であってむしろそれはねじ曲がった本質が通ってしまう危険性があるわけである。
だからこの一見、民主的に見えるインターネット空間だけどたった一人の人間がもし世界の真理を知っても、さっきから言っている通り大量の雑魚には絶対に勝てない。

今のコンテンツにおいてしっかり批判できる批評って正直に言えば誰もいない。だってみんな褒めないとあとあと小市民達がめんどくさくなるからだ。だからみんな褒めることしかできない。それは無理矢理にでも。
なんだったら「この薄っぺらいドラムの音質もなんとも和式でいいですよね」みたいな感じで褒める。こんなもん全くの無意味でただのお気持ちだ。
これが批評の崩壊している状態だ。

批評という分野が崩壊している現状っていわば、現代を客観視することを一切しなくなった世界。
要はまずいものはまずいと言わなくなった結果、よくわからないカレーライスが原宿のような原色カラフルな激甘カレーがご家庭でトレンドになっているようなもん。
それってはっきり言ってヤバイじゃないですか。そんで日本人の味覚がどんどん激甘化して言ったら歴史がおかしくなっていくわけですから。だから誰かがそう言ったヤバイことに対してツッコミを入れないといけないんですよ。

YoasobiとかAdoとかその辺を何でもかんでも拍手するのはヤバイ。
だってこれら「今、流行ってますよ」なんて言われているものって正直にいえば実態がなさすぎるから。

人気がインスタント感覚で作れる時代。多分、今後この実態のない人気の流れはさらに加速すると思う。
だってサブスクって方位磁石のない広大なマップのようなものでとりあえず「人気ですよ」だけでクリックされていくものだから。

だからどれも実態はないけどとりあえず満杯にした人間だけを見せるだけの作品にしかそう言ったものは見えない。

まぁそんなものを好きだというのは勝手だけど、そんなまずいものにツッコミを入れた批評家に対して雑魚がイナゴの群れのようになって襲ってくるのはカスだなと思ってしまうしだいでもあります。

今日はこの辺で。

それでは。

田渕竜也のTwitter

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