理性崩壊後に残る本性。beabadoobeeを真面目に聞いてほしい。
経験上になるけど、人間何かを作り出す時って苦しい時ほどいいものが作れるのではと思う。
例えば、「歌が好きー」とか「絵を描くことが好き」なんて言っている人って決まって面白くない作品を作っている。
それは幸福ほど共感を得ることが難しいことがないということに起因してるからだ。例えばスマホ片手に自分のこどもの写真を片手に話をされてもつまらんのである。幸せなご家庭にあるのは一種の自慢みたいなもので、東大合格ママとかも同じ類だ。
結局はそこにあるのは道徳的正しい姿しかなくその道徳的という部分は作られた理性であってそれは欺瞞になる。だからもっと原始的な感情、つまりペーソスの部分に人々は感銘したり共鳴したりする。つまりは苦しいものほど共感性が強くなるのだ。
それから作り手側で言えば何かを生み出す時って苦しいもんで、その嘔吐物が大きいければ大きいものほど苦しくなる。
だからこそ自分を表現して共感性をくすぐることってめちゃくちゃ難しい。もし手元に紙があるなら一度自分の自画像を描いてみるといい。
そんなわけで個人の過去や生きてきて見てきた風景が解け合わさって作品を作るわけだから本当に「いいな」って思う作品は決まって個人のパーソナルベースにある。
自分の内面をどううまく表現をするかこれが一番重要なわけであって、「社会全部が悪い」みたいな薄っぺらい社会批判は一番興ざめしてしまうんじゃないかな?それは自分はなにも悪くないという自己弁護であって、遠回りながらも自己賛美だからだ。
実際、「自分大好き」みたいな自分賛歌な作品はメインストリームには上がってこない。理由としてはそんなもん聞いてたら単純に共感性というよりシャーデンフロイデという妬ましいという感情になってくるからではなかと。
まぁ別に不幸売りというわけでも悲観主義ということではないけど、やっぱりパーソナルベースにおけるペーソスという部分に作品というものをいい作品にしているのはおそらく間違いない。
そんなわけで、そのペーソスという部分で最近の洋楽ってすごくいい人たちが出てきたなーって感じる昨今であります。
beabadoobeeはまじでいい。
Care
何がいいって楽曲がストレートに90年代ど直球すぎるギターサウンドであること。
最近よくありがちのトラップ的だったり、ハイハットの刻みが多い現代的要素は入れたりせず、普通にスマパンとかSonic youthとかのあのサウンド。ど直球すぎるぐらいにオルタナだ。
特に4月ぐらいに出したこの曲は多分彼女の代表する楽曲にはなるのではないかと思う。
Last Day On Earth
My bloody valentineのsoon味を感じる。オルタナサウンド好きの全てのツボを抑えたようなアルペジオリフとかも多分、この界隈が好きな人で嫌いになる人はまずいないと思う。
それからbeabadoobee自身がフィリピン出身のイギリス育ちということもあって、非言語化したリフレインの歌い回しとかはやっぱり肌感覚で多人種社会を感じている人だからこそこんな曲ができるんだろうな。
曲の雰囲気と違ってものすごく詩が終末ものなんですよね。そもそも曲名が『last day on earth』というセカイ系丸出し。地球最後の日ですよ。何しますか?そんな時。パンを焼きながら紅茶を飲みますか?
余談にはなりますが僕はノストラダムスの預言の時、マジに受け取りすぎて自転車でどこかへ逃げ出そうとしましたよ。地球が終わるのにどこへ逃げるっていうんだっていう話ですけど。
“You made it
It’s your last day on Earth
You killed someone last night
And burned down a church
Oh, you made it
よくやったね
これがあなたにとって地球最後の日
昨晩あなた人を殺したわね
そして教会を焼き払った
よくやったね
どうせ世界が終わるという終末の中で道徳とか倫理とか破綻してしまっていることを人殺しや教会放火という過激なキーワードから始まる。
理性そのものがぶち壊された世界観なんだけど、これがセカイ系的文脈で同じ内容を歌ったとしたらどうなるだろうか。
そんなサブカル的文脈で言えば”終わり待つ人々”とでもなりましょうか、世界が崩壊してしまうという仮象的部分だけが焦点にあたると思う。そうなると悲観主義になるけどこの仮象的世界観こそがセカイ系の持ち味なのではないだろうか。
beabadoobeeはそんな言語と世界観、そして音楽性のバランス感覚がとてつもなく上手い。
終末という悲観的な世界を普通に作って歌ったらメタメタに辛気臭くなるけど、リフレインの使い回しとか言い回しで理性がぶち壊されたその先の物事を割とポジティブというか楽天的に表現している。
仮象的世界ではあるけど、それが自身のパーソナルベースにあるから悲観的世界そのものというよりは”理性”という部分に焦点が当たる。
理性とは何か?
やっぱり人間の常識には殺人とかお寺や神社などを荒らしてはいけないようなそんな変な理性が備わっているじゃないですか。
これは仮想にはなるけど、いくら法律がなくなったとしてもおそらく理性という道徳観、倫理観がある限りは多少の殺人のありなしはあっても、爆発的に増えるわけではないかと思う。
そう思う理由としてはいくらムカついても普通の人であればお地蔵さんなんかを蹴り倒さないでしょ?それってごく自然に倫理観というものが宗教とともに理性として組み込まれている現れではないかと思う。
だけど世界が終わるその日としたらそんな理性はどうなるだろうか?多分だけど、いろんな人たちが欲求通りに動くアナーキストになるだろうと思う。
そりゃ信じて救われると思ってきた信条であっても「もうこの後、30分後に人類皆死にますよ」ってなったら暴動は必須になるし、「私を信じなさい」と言っていた人は信じさせていた人たちに焼き討ちに遭うだろうし、そもそも理性を守ることになんの意味もなくなってしまう。
そうなると地球最後の一時間前なんかは人類全部が欲求を満たすために、抑圧されていた性というものを全開放しているかもしれない。つまりはフリーセックス状態。まぁオルガズムとともに地球爆発なんて完全ギャグ漫画的ではあるけどね。
要は終末の最後には倫理観も宗教観もへったくれもないというわけである。
理性なき世界、そこに残ったものこそが、本性であってこれをここでは”原始的本性”とでも言っておこう。
beabadoobeeのこの曲ではその原始的本性を世界中の誰でも口ずさめるリフレインという形で答えを出している。
そんなわけでぜひ、2021年の今の時期だからこそ聞いてほしい人である。
それでは。