私がヴィーガン論争に気持ち悪さを感じる理由
皆さんはヴィーガンという人たちをご存知だろうか?数年前からメディアでも取り上げられるようになってきているので、ご存知の方も多いことだろう。ベジタリアンの一種で肉や魚を口にしないだけでなく、乳や卵なんかも口にしないほか、毛皮や革製品も身に着けない人たちだ。定義としては可能な限り、動物たちから搾取しないという人たちのことを指す。
それで、このヴィーガンとアンチヴィーガンともいうべき人たちが度々論争を起こしているのだが、これがなんか気持ち悪いんだよね。結論から言うと、理由は主に3つある。極論を持ち出し過ぎ、おこがましさを感じる、宗教化している。それぞれ見ていこう。
ヴィーガンの方たちの考える意味とはズレるとは思うけど、私自身も動物が好きで、世話をした動物を出荷する畜産業なんてとてもできない。そういう意味ではヴィーガンの方々の考えもまったく理解できないわけではない。
ただ、畜産農家の方をなんて残虐なことをする人たちだなんて思うこともない。実際、私は肉も魚も食べるし、革製品だって持っている。だから、肉が大好きだから食べたいんやという人たちのことだって、もちろん理解できる。別にそれで良くない?
例えば、ヴィーガンの人たちはコロナウイルスのワクチンを接種しないはずなんだよね。何故なら、ワクチンが完成するまでに様々な動物実験が行われているからだ。多くのマウスの犠牲の上に成り立っているワクチンを接種するなんておかしいよね。ワクチンだけじゃない。いかなる病気に罹っても、動物実験を行って作られた薬品を使用してはいけないはずなんだよね。
ただ、私はヴィーガンの方々にワクチンを接種するなとか薬品を使うなとか、鬼の首を取ったかのようなことを言うつもりはない。最初に言ったヴィーガンの定義を思い出して欲しい。あくまでも“可能な限り”なんだよね。この薬を飲まないと死ぬって人にヴィーガンなんてバカな真似は二度としないと誓えば、薬を飲んでも良いぞとか言っちゃう人の方がどうかしてる。
逆に栄養面を考慮して、動物性の食品を最低限摂取しても、ヴィーガンを自称したって良いはずだよね。いくらたんぱく質は豆類から十分摂取できると言われても、アレルギーがある人だっているわけだし、動物性たんぱく質を摂取しないと体調に異常をきたすっていう人だっている。そういう人たちに動物性の食品を摂っている癖にヴィーガンを名乗るんじゃないと言うつもりもない。
ただ、こういう人って、ヴィーガンにもアンチヴィーガンにもいるんだよね。ヴィーガンを自称するなら、薬品を使うなとか動物性の食品を一切口にするなとか。個人が出来る範囲のことをやってりゃ良いじゃん。まず、ここが気持ち悪い。
次にヴィーガニズムというのは、恐らく己のために他者を犠牲にするのは良くないという考えが根底にあると思うのだが、あまりにも突き詰め過ぎると、一種のおこがましさや自己陶酔を感じるんだよね。考え方自体は悪いことじゃないとは思うんだけど、それでマウントを取ろうとする人はなんだかなぁって。
そもそも人間に限らず、生物は他者との関わりなく、生きていくことはできない。敗者がいるから、勝者がいるように、己が何かを得たなら、それを得ることができない者がいるのは必然だよね。他者にまったく不利益を与えることなく生きていくことなんて不可能だ。それをあたかも実践できていますみたいな顔をして、マウントを取ろうとしてくるヴィーガンに関しては、気持ち悪さを感じずにはいられない。
最後に宗教化してるっていう話。別に宗教が悪いということではなく、ヴィーガン論争が宗教を発端とする紛争みたいな感じになってるのが、なんか気持ち悪いという話。
動物たちが可哀想っていう意見も分かるし、雑食動物である人間が食物連鎖の輪の中で、動物を食するのは自然なことだから、命を頂いていることを自覚し、犠牲となった動物たちに感謝して生きていけば良いっていう意見も分かる。ただ、ここに環境問題が絡んでくることで話がややこしくなる。
ヴィーガンの方が言うには、食肉の需要が高まると、家畜を飼うためのスペースや飼料が必要になるので、森林を伐採するなど、環境を破壊することになるらしい。また、牛などがメタンガスを排出することで、温暖化も進むという。
この環境問題というのは、人間を含めたすべての生き物に影響を与える。まだ、この世に誕生さえしていない、これから生まれてくる命に対してもだ。そうなると、命を頂いて生きていることに感謝しましょうなんていう考え方は通らなくなり、一気に多様性が失われることになる。
また、環境問題に取り組むには、自分ひとりがヴィーガンをやっていたところで改善されるわけではない。少なくともヴィーガンがマジョリティになることが必要と思われる。そこでヴィーガンの考え方というものを広めていく必要が出てくるんだよね。つまり布教するようになるわけだ。
別に布教自体は悪いことだとは思わないんだけど、漸進的な人もいれば、急進的な人もいるわけで。ここで様々な紛争が生じるんだよね。これはヴィーガンとアンチヴィーガンだけじゃなくて、ヴィーガン同士でも内紛が生じたりする。漸進派がヴィーガン食は健康良いとか少しでも肉を食べる機会を減らして欲しいなんていうと、急進派が健康目的でヴィーガンをやるなんて真のヴィーガンではないとか少しでも肉を口にするのはけしからんとか言ってみたり。少しでも間口を広げようとしている人たちと原理主義者が争う姿は正に宗教だよね。
過激な急進派の印象が悪くて、まだまだ日本では変わった人扱いされてしまうヴィーガンだが、個人的には支持している。私自身がヴィーガンになるかどうかはわからないというか、ならないとは思うけど、話の分かるヴィーガンの方とは少しは分かり合えると思う。影ながら応援しているので、是非頑張って欲しいと思う。