/ Column

切り抜き動画とファスト映画をありがたがる人たち

文:田渕竜也

「時代をアップデート」

こんなことを言っているやつらってだいたいひろゆきチャンネルで論破論法を学んで中田大学在学の岡田斗司夫教の信者。世間に対して冷笑的な態度で好きな映画はプペルといったところか。
既存の流れに「効率悪い」というけど結局、むしろ逆に非効率化してしまったりして、そんな冷笑的な部分で考えればある意味、一昔前の中二病にも近いかもしれない。

そんな人たちってアップデートどころか、それっぽい人の言動だけを切り抜きにして喋ってしまっているワケだから、いい筋で言えばパペットマペットの牛くん。自分の言動じゃなく誰かの言動を切り抜きして喋っているだけのただのおしゃべりコピーペーストマンというワケ。
最近ではひろゆきの切り抜き動画でも見られるように、本編の動画よりも見出しだけ切り取ってネタバレありのあらすじみたいなのが巷では賑わっている。どうやらそのような精神的尊師のお言葉ですらも効率化となっているそうな。

ちなみに上記のひろゆきは論破王とはいうけどあれは攻めるというより守りの技術ですからね。うまく攻撃を喰らわないようにするボクシングでいえばハメドのようなもん。だからこれを攻撃と勘違いしてしまって攻めの術として使ってしまえばこれは議論の進まないただの地蔵。それか屁理屈になって下手したら「うっせぇわ」ってシバかれて終わる。
だからこの論法は使い手の堂々と発言できるメンタルの強さとそれを補う防御の手段としての使い方なのである。そんなわけで今日は攻撃の手段ではないってことだけでも覚え帰ってほしい。

じゃあ、なんでこんなハリボテでも世間をあっと言わせられるかというと、それは情報の「速報化」にあると思うんですよ。

これが今回のテーマなんだけど、とにかく情報の「速報化」が何だか今年ぐらいから急激に過激化してきている。

例えば最近のニュース。あれなんか今の時代、ちゃんと記事を読んでいる人ってあまりいないんじゃないかな?みんな、見出しの部分だけ見てその情報を飲み込んでいるワケじゃないですか。
だけど見出しの味付けが濃いものであればあるほど飲み込むのが早いわけでよく咀嚼をしないで飲み込む情報って何も考えないから勝手に悪人を作り出してしまったりする。
だから情報によってすぐに政治を悪と決めつけて叩いたり、有名人のスキャンダルなんかに敏感になったり、よくわからないけどとりあえず悪く言っておこうかみたいな感じになるわけ。
まぁ誰かを勝手に憎むという行為も現代国民の娯楽であってだからニュースの見出しって強烈な文句が並ぶのだろうと思うけど。
情報の咀嚼であってただただみんなが叩いてるから叩くのはやっていることはいじめの根本と同じじゃないですか。
だからここ最近のニュースにおける速報性って中身じゃなくて見出しによる単語の「情報」というかみごたえもなく飲み込むことだけが先行しているからじゃないかと。だからそれらの単語が「悪」という味の見出しを飲み込んだ結果なんだろうなと。

そんなニュースの速報性が高まる中、娯楽も速報性が強くなっている。
それがファスト映画という10分のネタバレ動画だ。

ここからは僕の持論にはなるけど、コンテンツを消費する上で、二つのタイプに分けることができる。

1.知識として消費するタイプ
2.ファーストフードタイプ

問題はこのジャンクフードのように食い散らかしてコンテンツを語る人たちだ。
まず、前提を定義するなら知識と情報の違いを考えないといけないと思うんだけど、「知識」とは何か。
一言で言うならとある事柄について知っていることを引用して考えることができること。

例えば火に触れて「熱い」と言うことに対して火が持つ熱について知っているから火が「熱い」っていうことは説明できるし、「温度」と言う補足もあればさらに深く説明できるし「熱量」とかetc…。これが知識なんだろうなと。
そんで情報というと「火は熱い」というその場における情報のみでなぜ熱いかとかそんな火というものの背景や本質がない状態のことを言う。
ここで言う知識のデメリットとしては知るのに時間がかかる。だって火に対して、熱という現象に熱量とか温度とかのいろんな角度で「火は熱い」と言う結論に至るから知識を伝道するのには時間がかかる。
それに対して情報のメリットは知ることによる時間が格段の早くなる。だってそこにある文字列は「火=熱い」だから。でもそれでも間違いではないじゃないですか?だけどこれは知識ではない。
こうやって見てみると間違いではないけど物自体の本質を省いた状態を「情報」と言ってもいいかもですね。

じゃあこのファスト映画はどうだろうか?
映画の実態も見ずに、文字列と話し声だけの起承転結のみの情報で「見た」と言えるかといえばそれは見たとは僕個人の知識と情報の定義で考えれば言えない。それはただのその映画の情報を飲み込んだにすぎないわけだし、そのファスト映画という動画もどこかの誰かが咀嚼して飲み込んだ情報を摂取しているわけですからね。
最初の方でも言った切り抜き動画も同じことなんですよ。どこかのだれかの嘔吐物でしかない。そんな情報をありがたがって飲み込む消費者ってただの鳥の雛でしかないんだなって。それは何にも考えのないただただ情報を飢渇して口を開けているにすぎない。

それがファスト映画や切り抜き動画をありがたがって見ている人たちの本当の正体なんじゃないかなと。

今日はこの辺で。

それでは

田渕竜也のTwitter

ついったウィジェットエリア