/ Column

簡単に他人の曲を歌っているけど、カバーって難しいですよって話

文:田渕竜也

「うわ、またこの人、サビだけ歌ってるだけの動画をあげてるよ」

げんなりした眼で差し向けるスマホの画面には顔は画面から見切れてアコギと見知らぬ天井だけが映し出されていた。
まぁ、こんな映像はスマホをいじっていれば1日に幾度かあることだろうと思う。

ある人はアコギ抱え顔を隠して、またある人はマイク片手に流行の音楽に合わせて歌うあれ。
どいつもこいつも顔だけ隠して歌うだけのあの行為。これらすべては匿名性を利用した悪質な精神汚染行為である。
だって邪魔じゃないですか。僕はただただポメラニアンの動画を見たかっただけなのに、最近のポピュラー音楽のカバーが見たくもないのにこのスマホがすすめてきやがっている。

まぁそのカバーをする当事者たちの行動に対する真意は想像するところだけど、おそらくほんのすこしでも人身の存在を知らしめるための行動なんだろうと思う。
普通に生きていてそれなり仕事をしてその報酬をもらって生きていくその人生。そこに何か”特別”が欲しいというなら。しかしかなしいかな、実際にはその努力に対して現実は虚しく、 DMに入ってくるのは、おっさんの「いつも見ています」とか「いい声ですね」などの励ましぐらいだろう。
ほら、おっさんって過去を求めがちじゃないですか。だからスナックとかそんなところへ行けば昭和歌謡とか平成初期ばかりを求められるわけである。安心感を求めるのがおっさんなのであれば、こんなわけだからおっさんって知っている楽曲を探しがちなのだ。そういった懐メロ的な人に集まる人たちの中で自己価値を見出せるはずもない。その上、そこに振り回されれば支持層は固まらない。この現象は自明の話だ。

当たり前の話だけどその結果って結局、他人の音楽で勝負を仕掛けているわけである。それは自身の価値につなげるためのツールが他者の創造物であって、自己のものではない。
おそらくコピーやカバーっていうのは練習過程において参考にしやすい。しかもライブではカバーの方が反響がいいわけであってその楽曲出来たら褒めてもらえるという成功体験がその誤解にに陥るのだろう。

ていうか手軽にJ-totalでコードと歌詞をみて歌って、TIKTocなんかであげてそれで自己価値につなげること自体が厚かましい。内容は繰り返すが誰も君の声は聞いていない。ただただ若そうな人が歌っているというそのヴィジュアルを消費されているだけだ。そこにあるのはその場のストリップであって音楽ではない。そこを勘違いして突き進む人の多いこと多いこと。

ほら、アニメのキワドイコスプレををして承認欲求を満たす人っているじゃないですか。
これも同じことで誰も作品のことが頭に入っていないわけで、そこにあるのは肉体と胸とケツとかのセックスシンボルが前にでた状態である。それと何が違うっていうんですか。だって本来の二次創作って原本を踏破することに意味があるわけじゃないですか。昔少し話題になったドラえもんの最終回の同人誌なんかはそう言った意味で二次創作の踏破じゃないですか。
だけどこのコンテンツをそのままに格好だけを真似をするってこれは完全に安物の場末のホテヘルレベルのコスプレ、やっていることはかつての中国版ドラえもんとか一緒。所詮偽物であってどこか安物で本物じゃないモノマネですらない何か。それがコスプレであって、シンガソングライター風なのである。これらの話からコスプレイヤーとシンガーソングライター風のカバー屋って構造で言えば同じなのだ。というのは僕個人の見解ですよ。

だから要は手短なカバーをネットにあげる人達はお手軽で簡単なシンガーソングライターのコスプレでしかない。これらの話からなんだったら無数にいる露出狂寸前のコスプレイヤーとお手軽カバー動画のシンガーソングライター風の人たちとの違いは説明できますか?やってること他人の作品を二次使用することで自己価値を上げようとする勇ましさという根底の下心では全く同じことではないだろうか。
だから僕にはこの両者の違いを説明できないし、同じだと思っています。

僕の知っているところで言えば、フォロワー1000人に対して自分のバンドに呼べるお客はゼロっていう人も知っている。
仮想の世界での戦闘数値とは随分と異なる。それはなぜかと考えればそこには圧倒的に実力不足なのである。
そんなわけでコスプレイヤーの例でえなこや御伽ねこむあたりで考えればお手軽に人の歌を歌ってうまくやっていこうとするならよっぽどの容姿端麗、もしくはストリップまがいのエロでやっていくしかそこで自己価値は作られないだろうと思う。

それにクラシックの音楽は演奏者である。演奏を極めているからこそショパンのショパンの音楽という過去の時系列から現代の演奏者の生きているこの時代の時系列で演奏できるわけでお手軽なシンガーソングライターコスプレとは全くの似て非なるものである。そこをまず理解してもらわないとこの話は理解し難いかと思うけどね。

僕がジャズのバンドをやっていた時に言われたのが、「極めた落語家は古典落語へ行く」と言ってたなて。それはやっぱり皆が知っている話をいかに自分の技術で笑いを持っていくかっていう過程がある。それとクラシックは同じ世界線にあるわけで、演奏する人の技量次第では同じショパンの音楽でも全然変わる。
 
だからコスプレイヤーやクラシック音楽の基準で考えれば二次創作の踏破がどれくらい難しいことだかはわかるだろう。
そう、二次創作は難しいのである。

わかりましたか、こちらからは以上です。ご静聴ありがとうございました。

田渕竜也のTwitter

ついったウィジェットエリア