国や学校に期待しない方がいいよ

文:なかむら ひろし

 最近、また「いじめ自殺」の報道がありましたけど、本当に「いじめ」ってなくなる気がしませんね。「道徳の教科化でいじめはなくなるんだ!」とか言ってるバカがいるみたいですけど、絶対に無理。そんななくならない「いじめ」と向き合うにはどうすればいいのか、ちょっと考えてみました。

 まず、「いじめ」って軽く言いますけど、実際には暴行・傷害であったり、恐喝や窃盗っていう犯罪なんですよね。問題を解決するには、「いじめ」は「犯罪」だっていうことを全体で認識し、親が悪いとか学校・教師が悪いとか言う前に、「いじめ」の加害者に責任を負わせることが必要になってきます。つまり、「いじめ」の加害者を暴行罪や傷害罪などでしょっぴいちまえって話です。まぁ、そこまでするには少年法改正が必要になってきますが、少年院送りにしてしまうだけでも随分違うと思います。
 次に「いじめ問題」で面倒くさいのが、学校が無理に和解させようとか、隠蔽しようとかしてくることです。学校は、自分のところで「いじめ」が起こったとなると都合が悪いので、こういう姑息な手を使ってきがちです。学校だけに訴えるのではなく、警察にも行くのです。その際は、「いじめを受けた」とは言わずに「暴行を受けた」などと犯罪であることを強調しておくべきでしょう。学校も警察もなかなか相手にしてくれないというのなら、もう訴訟を起こすしかありません。弁護士費用とかはかかりますが、泣き寝入りするより遥かにいいだろって話です。そのためにも証拠収集は綿密に。
 この方法はお金も労力もかかりますが、「いじめ」は「犯罪」であるということを訴えるのには有効ではないかと思います。裁判に向けて動いていることがわかると加害者側も穏便に済ませるために謝ってくるかもしれませんが、そこで絶対に許してはならないということも強調しておきます。

 ある程度、裕福な家庭であれば、「いじめ」のリスクを回避するために、そもそも学校に行かないという手もあります。勉強なんて学校に行かなくてもできますし、義務教育や高等学校なんて飛ばして大学受験もできます。高校の学費を考えると、家庭教師を雇って、とにかく受験で必要な勉強だけをすれば効率的でもあります。さらに空いた時間で興味のある勉強をすればいいでしょう。そんなことを言うと「学校でしか学ぶことができないこともあるんだ!」などと批判されそうですが、「逆に学校でしか学ぶことができないことって何?」と聞きたいです。友達なんて学校以外でもできますけど?集団活動とかよっぽどサイコでもない限り、社会に出たら嫌でも身につけますけど?つーか、学校行ってた奴は皆できてるんですか?って話です。
 就職なんて大抵どうせ最終学歴でしか判断しないんだから、それを逆手にとって最終学歴だけなんとかすればいいのです。文句があるならそういう企業にどうぞ。芸能人とかほとんど高校に通ってなくても有名大学に行ったりしてるし、一般人がそれをやっても問題ないでしょ。

 なんだか書いてて空しくなってきましたが、それだけ国や学校に期待できないんですよね。果たして、こんなことをしなくても生きやすい世の中は訪れるのでしょうか。

なかむら ひろしのTwitter

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